先日、サンフランシスコからロサンゼルス間のおおよそ552kmの距離を平均時速1100km/hの交通手段で、わずか約30分で結ぶ新しい交通システム「ハイパーループ」の構想が発表された。この発表で人々の度肝を抜いたのが、起業家:イーロン・マスクである。彼はシリコンバレーを拠点にこれまでにペイパルテスラスペースXソーラーシティといった複数の会社の創業に関わってきた。南アフリカ出身のイーロンは1989年にカナダに移住、大学卒業後はシリコンバレーに居を移し、それから次々に他の人が思いつかないような革新的なアイデアを具現化し成功を収め、今でもその勢いはとどまるところを知らない。

 

しかし、そんな彼はビジネス界での華々しい成功の裏で、5人の息子に恵まれながらも2度の(凄惨な)離婚を経験するなど、プライベートでは少なからず苦労があるようだ。作家の元妻ジャスティン・マスクの激白(?)ストーリーを中心に、彼の知られざる経歴を少し紹介したい。

 

私は彼のβバージョンだった (イーロンの元妻)

学生時代の出会い

イーロンがその後に妻となるジャスティンに初めて出会ったのは、クイーンズ大学(カナダ)の寮の中だった。ジャスティンが寮の部屋へと向かう階段を登っているとき「このあいだのパーティでお会いしましたよね」とイーロンから声を掛けられたのが始まりだったという。実は彼女はそのパーティに参加しておらず、イーロンの作り話であった(後に彼は「談話室で見かけた彼女に声を掛けようと思っただけ」と認めている)。その後2人はアイスクリームを食べに行く約束をするが、当日に彼女はメモを残してドタキャンする。数時間後、ジャスティンが談話室で勉強していると、後ろで誰かが咳払いをした。そこに立っていたのは他でもなくイーロンで、両手にはドロドロに溶けたチョコチップアイスが。

 

イーロンはペンシルバニアへ大学を転校するが、彼女のもとに定期的にバラが送られてきたり、カナダに帰省した際にふたりで食事を共にするなど、順調な関係を築いていった。大学卒業後、英語教師として日本で1年を過ごしたジャスティンは、カナダに帰国後バーテンダーとして働き始める。これから大学院へ進もうか、それとも日本へ戻ってゆっくりと小説を書こうか迷っていた矢先、大学院修了を控えたイーロンからの電話がかかってくる。

 

卒業式を終えたイーロンはシリコンバレーへと移り、すぐにZip2.comを起業する。会社は順調に成長し、のちに株式時価総額2000万ドルをつける。若干20代で巨大な富を気付いたイーロンは、巨大な土地と邸宅(加えてマクラーレンF1とプライベートジェット)を購入し、彼女を迎え入れ新しい生活を始める。

 

X.com(のちのPaypal)の成功と新婚生活

一財を築いたイーロンは、その資金を持ち越して次の企業(クレジット決済サービス):X.comを立ち上げる。この会社はのちにPaypalとなり、その後の成功はご存知の通りだ。

 

そんなビジネスの成功とは裏腹に、ふたりの新婚生活はスタート当初から不協和音を奏でていた。イーロンが男尊女卑の文化が根強く残る南アフリカで育ったこと、また2人の間に膨大な収入格差があったこともあり、典型的な亭主関白の関係が築かれていく。彼の気に食わないことがあるとジャスティンが厳しく追及されるようなことがしばしば起こるようになっていた。彼女が「私はあなたの妻よ。あなたの部下ではないわ」と抗議すると、返ってきたのは「もし君がボクの部下だったらきっとクビにしてるさ」

 

 第1子:ネヴァダちゃん

2002年(結婚から約2年後)Paypalは米国最大のオンラインオークション、eBayに買収されることになる。同じ頃夫妻はロサンゼルスへと移り住み、そこで彼らの一人目の息子ネヴァダちゃんが誕生する。イーロンはPaypalの売却によって、さらに1億ドルを手にし、ふたりの生活はますます豪勢で幸せなものになるはずだった。そんな時、あおむけに昼寝をしていたネヴァダちゃんの呼吸が停止する。乳幼児突然死症候群(SIDS:Sudden Infant Death Syndrome)と呼ばれる病気で、病院に搬送されたが脳死の判定を受ける。ふたりは3日後に生命維持装置を外す決断をし、ネヴァダちゃんは母親の腕の中で亡くなった。まだ生後10週間だった。

 

イーロンはそれ以降、彼の前でネヴァダちゃんの名前を出さないよう周囲に念を押した。そんな彼の言動を理解できなかったジャスティンは激怒したが、イーロンにはその怒りの理由が分からなかったという。ジャスティンは悲しみと怒りを押し殺し、前向きな生活を取り戻そうとした。結果として、次の5年間でジャスティンは双子と三つ子の息子を出産し、3冊の小説も出版したが、彼女の気持ちが完全に晴れることはなく、セラピストとの対話を持ちながら何とか生活を続けていった。

 

大富豪の妻としての暮らし

結婚7年目のふたりの家には5人の家政婦がおり、日中は家の中がオフィスになった。ハリウッドの高級ナイトクラブでパーティを開けば、その隣ではパリス・ヒルトンレオナルド・ディカプリオがパーティをしていた。ラリー・ペイジ(Googleの創業者)の結婚式では、貸し切りのカリブ海の島の上でジョン・キューザックと酒を飲み、ボノ(U2)の歌を聴いた。移動はもちろんプライベートジェットで、プライベートアテンダントがシャンパンを注いでくれた。

 

成功者としての華やかな生活の陰で「普通の」おだやかな生活を失ったジャスティンの不安感が募っていった。イーロンは取り憑かれたように仕事に没頭し、家に帰ってもいつも他のことを考えていた。彼を支えるために多くの犠牲を払っていたジャスティンだが、イーロンはそれにも気付かず「君は本を読んでいるばかり」と細かなことにまで文句を言い放った。ふたりの関係は「幸せな夫婦」からは明らかにかけ離れたものだった。

 

気づいた時には、ジャスティンは不健康にやせ細り、染め上げた髪は不自然なほどブロンドだった。彼女は自分を見失い、整形だのメイクレッスンだのシミ隠しだの、そんなことに興味を持てなくなった。男性の話にニコニコしながらうなずく女性にもあからさまに嫌気がさした。さすがのイーロンもカウンセリングを勧めるなどしたが、2つの会社を担う彼も甚大なストレスを抱えていた。そんな事が続き、ついにある日「今日関係を修復するか、明日離婚するかだ」とジャスティンに伝える。翌朝イーロンは書類にサインし、ふたりは離婚した。

 

その後

離婚の6週間後、ジャスティンのもとにイーロンからテキストが入り、彼が再婚することを知る。2人目の妻は20代前半のイギリス人タルラ・ライリー。彼女がブロンドでないことを知ったジャスティンは少しほっとしたという。結果的には2012年にタルラとも離婚が成立し、プライベートではまたつまずく結果となってしまった。

 

やはり起業家はクレイジー?

よくアメリカでは”You have to be crazy enough to be an entreprenor.” (クレイジーな人間でなければ起業家にはなれない)、と言われる。まさにイーロンは優秀な起業家だが同時にとんでもなくクレイジーである事は間違いないだろう。実際に彼を知るその人々の多くは、彼の事を一言で”The Crazy Guy”と言う。恐らく頭のネジが一つか二つぐらい外れていないと、アメリカでビジネスは遣っていけないのだろう。

 

上記の様にプライベートではかなりのゴタゴタを経験しているが、そのクレイジーさ?が功を奏したのか、ビジネスでは破竹の活躍を続け、2010年にスペースXが打ち上げた宇宙船を民間企業として初めて地球の周回軌道に乗せることに成功した。2012年以降にはテスラ自動車からモデルSが発売され、これまでの電気自動車の常識を覆す製品としてアメリカや日本を始め、世界中で話題を集めている。プライベートでの不祥事がありながらビジネス・テクノロジー界で継続的に成功を収めるイーロンからこれからも目が離せない。

 

もし自分がクレイジーだと思っているのであれば、真っ先に起業するべきであろう。

 

 


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