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第五話第五章(最終章)『満月』
著:古樹佳夜
絵:花篠
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◆◆◆◆◆居酒屋◆◆◆◆◆
吽野「おじさん、こっちに串3本」
店主「はーい」
宵の口。
商店街の居酒屋のカウンター席に、吽野はぽつんと一人座り、
ジョッキを片手に、一杯やっていた。
普段であれば傍に阿文が並んでいて、
マイペースに杯を傾けているというのに。
吽野は小さくため息をついた。
阿文は闇市から帰るなり、寝込んで起き上がる様子もない。
吽野「……現世に神仏がとどまるのは、難しいもんだな」
吽野は虚空に向かって呟いた。
それは、主人のことでもあり、相方である阿文のことでもある。
懐から銅鏡を取り出し、それをカウンターに置く。
自然と主人と交わした会話が思い出された。
主人曰く、この鏡は、闇市で出会った男が長らく所有していたと言う。
それ故、この汚れた銅鏡を長く依代にするのは困難なのだ。
ならば、この銅鏡を所有してた、あの男の正体とは――……
質問を重ねたかったが、
銅鏡を介しての交信は不安定で真相には未だ辿り着けていない。
おまけに、心配事は他にもある。
現在の阿文の依代には、しっかりとしたヒビが入っている。
吽野(依代の替え時なんだ。こんなことは一度や二度ではなかったし)
吽野はジョッキを傾けて、心配事を喉の奥に押しやろうとした。
きっと近いうちに、主人の手で阿行像は再建される。
そのための繋ぎを早く見つけないとならない。
念の為、不思議堂店内を隅まで掘り返して、代わりを探したが
阿文の器にちょうどいいものはなかった。
布団に横になったまま、ぐったりする阿文を見て、焦りも覚えた。
吽野「まあ、考えすぎても、仕方のないことだ……」
先ほどまで作業をしていたので、
身体中埃まみれでクタクタだった。
ただでさえ、今日は大捕物だったのだ。
店主「はい、串3本」
吽野「ありがと」
皿を受け取り、焼きたての鳥を頬張りながら、吽野は阿文を思った。
おかゆを作って台所に置いてきたが、
きっとあの様子では手はつけてないだろう。
夕飯をさっさと済ませて家に帰ろう。
3本目の串を頬張った時だった。
??「その鏡、しまっといた方がいいぞ」
吽野「ん?」
??「嫌な気配がする」
カウンターの隣から声がした。
横を見れば、いつの間にやら座っていた真っ黒な服を着た大男がいた。
男はこちらに視線もくれず、何をしているかと覗けば
手元で一心不乱に焼き魚をほぐしている。
嫌な気配と、この男は言った。
主人曰く、この鏡は汚れがあるというから、言い当てられたことになる。
吽野「わかるのか」
??「まあ……」
妙に低い声だ。威圧感があって、重々しく腹に響く。
顔から視線を落としていけば、
黒いタートルネックから刺青がはみ出している。
それから、耳たぶのあちこちを貫通している刺々しい銀のピアス。
吽野は怯んで、ジョッキの酒を飲み干した。
??「警戒してるだろ」
空のジョッキを握りしめていた吽野は、酒の代わりに
ごくりと生唾を飲み込む。
吽野「警戒しない方がおかしいでしょ」
どう見てもカタギじゃない。
男はじろりと睨んだので、吽野と視線がぶつかった。
おかげで、その瞳が真っ青であることに気づかされる。
整った鼻梁。髪は真っ黒で、長く伸ばしている。
外国人だろうか。
吽野「あんた何者?」
??「ただの通りすがり」
酒のある店で、この手の輩に絡まれるなんて、
面倒だし都合が悪い。
なるべく平静を装って、刺激せず、
やり過ごそうと、吽野は心に決めた。
男はカウンターに何かを置いた。
それは、くしゃくしゃになったレシートだった。
??「紙……これしかなかったわ。まあいいか。お兄さんペンある?」
吽野「……万年筆なら」
??「貸して」
吽野は袂に放り入れていたままの万年筆を男に手渡した。
男は慣れた手つきで、紙に線を引いていく。
吽野「それ、なに?」
??「おまじない。なんかあったら、駆けつけてやる」
吽野「えー……電話番号かなにか?」
??「はは! まさか。そういうのは可愛い子にしかしない」
ナンパなやつだな、と吽野は鼻で笑った。
困った時にこいつに電話をかけたとして、
ことが済んだら取り立てられて身ぐるみ剥がされてしまうのでは……。
想像して、吽野は身震いした。
吽野「ねえ、『なんかあったら』って、どんなこと?」
??「さてね。俺の勘だと、今夜中に起こると思うぜ」
吽野「言い切る根拠は?」
?? ないよ。勘だっていってるっしょ」
冗談を交えている間に、男はペンをカウンターに置いた。
??「俺の勘って、だいたい当たるんだよね」
吽野「怖いこと言うなよ……」
??「はい、これ袂に入れといて」
男が書いた線は交差して、格子模様になっていた。
一体、なんの模様なのか。おまじないと言っていたが。
裏を返すと、コンビニで煙草と水を買った会計が書いてあった。
吽野の目には、ただの悪戯書きにしか見えない。
??「そんじゃね」
男は立ち上がって、勘定を置いて去っていった。
残された皿の焼き魚は、綺麗に骨だけになっていた。
◆◆◆◆◆不思議堂◆◆◆◆◆
煌々と満月の照る丑三つ時だった。
布団の上から雲ひとつない夜空をぼんやり眺める。
吽野の目は冴えていた。
相変わらず、阿文は起き上がってくる様子もない。
静かで、けれども妙な胸騒ぎがする夜だった。
先ほど居酒屋で声をかけてきた、
あの男の声が耳にこだまする。
??(今夜中に起こると思うぜ)
吽野は手に持っていた銅鏡を懐にしまい、
ムクリと起き上がった。
そして、足音を立てぬよう、静かに立ち上がり
阿文が寝ている寝室まで歩んでいく。
吽野の部屋と隣接しているので、数歩の距離だ。
襖の前に立つと、部屋の中からかすかな唸り声がする。
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