
season2~ふたりの陰陽師編~
最終話『吽と阿 おわりとはじまり』
著:古樹佳夜
絵:花篠
(第五話はこちら)
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主人の加護を受け神の依代として変貌を遂げた吽野と阿文。
未だかつてない程に強く、大きな、身に余るほどの神気が二人の背を押す。
身の内に主人を感じ、もはや恐れるものなどない気がした。
二人は満月を振り返り、満月が下す命を待っている。
二人は満月を振り返り、満月が下す命を待っている。
「やれ」
言葉は気丈に放たれた。
かつて親友だった雪明に非情な運命を強いるしかないのだと、わかっている。
それでも、やらねばならない。背負う使命のため、雪明も、満月も、一歩も引く気はない。
駆られた二人は空高く飛び上がり、雪明に宿る厭魅丸に体当たりする。
そのまま地面に抑え込むのは容易だった。怨嗟の咆哮を上げ抵抗するが、終いに威勢は無くなって、
阿文と吽野の神気に焼かれて悶えている。
「神に殺生はさせない。最期は俺がやる」
二人を退け、霊符を瞬時に刃に変質させると、まっすぐに雪明の胸めがけて突き立てた。
厭魅丸の悍ましい断末魔が周囲に響き渡った。
同時に、雪明の腹あたりが、ボコボコと奇妙に波打っている。
まるで、蛇でも飼っているように蠢き、膨れ、盛り上がり――間も無く腹を食い破るように出てきたのは小さな真っ黒い鬼だった。
「これが厭魅丸の正体か!?」
吽野は驚くが、雪明を押さえ込む手を緩めることはしなかった。
「これは――厭魅丸じゃない。雪明の使役していた鬼だな」
「……どういうことですか?」
「自分ごと食い殺すつもりなんだろう。厭魅丸が弱った頃合いを見計らって発動させたんだ。雪明のことだ、生前に術を仕込んでいたに違いない」
「君には敵わないな――」
息も絶え絶えになりながら、雪明が言った。
仰臥したままうっすらと目を開けた雪明の目は澄んでいた。
顕在化しているのは、もはや厭魅丸ではなく、雪明自身のようだった。
「すまない。俺はお前に全てを背負わせてしまった。せめて、真実を教えてくれ」
雪明の横に膝をついた満月はすでに冷たくなりかけている幼馴染に語りかけた。
それに応えるように、雪明は薄く笑った。細々と、掠れながら紡がれたのは、
並々ならぬ覚悟と壮絶な死の様相だった。
「力の強かった父でさえ、厭魅丸に負けてしまったのを目の当たりした……。
死期を悟ってからは、僕にしかできないことがあると思い直し
厭魅丸に一矢報いるための秘策を、生前の父と話していたんだ。
僕の寿命が尽きた後訪れる呪いを厭魅丸にかける。
そのために、僕自身が『生き呪物』になることを――」
満月は、やはりそうかと小さく呟く。
魘魅の術を、自らの死体を用いて行った。悪鬼に永遠の死をもたらすために。
「そんなこと、できるのか?」吽野と阿文、そしてその場に居合わせた者全てが懐疑的だった。
「厭魅丸と交渉……した。死後、この体を明け渡してもいいと。でも、好き勝手させるつもりじゃなかった……。屍鬼を自らの体に取り込んだ状態なら、厭魅丸が弱った時、僕の身体ごと始末してくれるから。しかしその代償に、僕の意識はほとんど追いやられていた。だから君たちを邪魔しに行ったり、傷つけたり……すまなかった」
雪明は側にいる吽野を探して、薄れゆく意識の中で侘びた。もう腹の中の鬼は体の半分以上を食い荒らしていて、下半身は無くなっていた。
「神の眷属まで巻き込んで迷惑をかけちゃったけど……でも、策は講じたつもりだった」
「勾玉の仕掛けか。用意周到だな」
「もう、後半は僕の意識も表に現れている時間も長かった……厭魅丸自体、君たちと戦ってじわじわと弱っていたからだろう」
雪明は小さく息を吐いた後、ようやく安堵したように笑った。
その表情は、何かに開放されたように晴れやかで、穏やかだった。
その表情は、何かに開放されたように晴れやかで、穏やかだった。
「君たちのおかげで、ようやく、かたをつけられそうだ……厭魅丸は、僕が……連れて行くよ」
満月はかろうじて残っている雪明の右腕を握り、
「すまない、ありがとう」とだけ言って、青い瞳から一筋の涙を流した。
全てを親友に背負わせてしまったことを後悔した。
普段自身の感情を表立って出さない彼が見せた明確な悲しみだった。
満月の言葉に、雪明の返事はなかった。
もう、頷くこともできないほど鬼に喰われていたからだ。
代わりに、最期に短くふっと息を吐いて絶命した。
そして、不思議なことに、食われた身体は絶命の瞬間に風塵となって消えてしまった。
雪明が去った後、茫然自失となった満月はしばらく地面に膝をついたままだった。
天を仰いで、彼の死を悔やみ、二度目の喪失を受け止めようと必死だったのかもしれない。
ただ黙って、彼は悲しみに絶えていた。その様に声をかける者はなかった。
「……主人。雪明さんの魂は完全に消滅してしまったのでしょうか……」
阿文は縋るような気持ちで、内なる主人に語りかける。吽野は阿文の気持ちを察するが、
彼の最期を見た以上、希望は持てないと悟った。
【かの陰陽師は、命を代償とした行いが認められて、今は常世の国の入り口にいます】
常世の国は、主人の住まう国。神々の行き先である。
厭魅丸を滅ぼした功績が認められて、その魂の行き先を神が選んだ。
それは、選ばれた人間にしか許されない栄誉なことだった。
「よかったな」
吽野が言うと、満月も安堵して頷いた。
けれども、満月はその場からしばらく動けずにいた。喪失の寂しさは依然残っている。
「……あいつの生涯の大半が、苦しみで満たされていた事実は消えない。酒の味も知らずに早世して……迎えた二度目の死も、自己犠牲で終わった。俺は、支えになれもせず……ただこうしてまた残された。俺がだらしないばかりに、果たせず仕舞いだった。願わくば、まだ雪明と言葉を交わしていたかったよ」
満月の言葉を受け取った主人は言葉を紡ぐ。
【彼が常世の国へ行くことは、約束されています。ですが……迎えは先に伸ばしにもできますよ】
【……未練があるのなら、連れ戻すことも】
「死者が蘇ると言うのか!?」
「あんな状態から……?」
そばで窺っていた酒呑童子と茨木童子も驚きを隠せずにいる。しかし、一番に驚いているのは満月だ。その言葉は、一筋の希望をもたらすものだった。
「主人様、どうすれば連れ戻せるのですが?」
「我々にできることがあるのなら、なんでもいたします」
阿文も吽野も思わぬ提案に前のめりになる。
【ここに、常世の国への入り口を作るのです。現世に戻すには、道を引き返せばいい】
「常世の入り口を?」
【阿行、吽行。向かい合い、両の手を繋ぐのです】
二人は、主人に言われるままそれに従う。思いもよらず向かい合ったその仕草に二人は面映い気持ちとなった。
何が起こるのか分からずにいると、まもなく繋いだ腕の中心から、眩い光が放たれた。
その光は水面のように揺れ、二人が作った腕の中いっぱいに広がった。
【今、阿行・吽行の腕の中で終わりとはじまりは繋がり、一つの円となりました】
腕の内側に広がった光る空間はどんどん大きくなり、阿文と吽野は和を壊さぬよう、
互いに手を結んだ。
光る空間からは一陣の風が吹き、目をすがめ、必死に覗き込む満月の髪を大きく揺らしている。
【この向こうは常世の国の入り口。そこに、まだ彼はそこにいる】
指し示された先に、見覚えのある背を見とめて、満月は大きく呼びかける。
「雪明!」
振り向いた雪明は頭上に現れた狭間から覗く顔と、しっかりと目があう。
「早く! 連れ戻せ!」
吽野の言葉に背を押され、伸ばされた右腕を最大までのばす。
雪明の頬に喜びの涙が伝った。
「常世の国への旅路も悪くはなかったけど……」
少し迷いはあったが、雪明は踵を返した。
また友に会うため、延ばされた手をとったのだった。
◆エピローグ
長期の留守から不思議堂に戻った吽野と阿文は、しばらくの間店を休店として、
のんびり過ごすこととした。置いてきぼりのノワールの機嫌が悪くなっていたので、
またたびや鰹節を与えて、大いに可愛がる必要があったからだった。
「こっちは酷い目に遭ったってのに、呑気なもんだ」
吽野の相変わらずの愚痴も健在で、変わらぬ日常がそこにある。
今回の事件で大きな傷を負った後遺症もなく、元気にしている相方の様子に
阿文は安堵していた。
神社を清め、社の再建も完了したのを見届けた後、主人は
現世の守りを吽野と阿文に託し、常世の国に戻っていった。
「ところで満月のやつ、遅いじゃないか。どこまで酒を買いに行ったんだよ」
「もうそろそろ来るんじゃないか?」
「ただいま」
不思議堂に酒を持って現れたのは満月。そしてその後ろに続いて、両手に一升瓶を抱えた雪明が不思議堂の玄関を潜る。
今日は、常世の国から帰還した雪明を迎えて、四人で呑む約束をしていたのだった。
「縁側で呑もう。今朝庭の花が咲いた。花見ができるぞ」
「それはいい」雪明が朗らかに笑う。
厭魅丸から開放された本来の雪明は、静かで上品な物腰の男だった。
相変わらず色が白くて、女性のようにも見える痩躯だが、
以前のような痣はもうなく、健康そのもののように見えた。
「こうしてまた現世に戻って来れたことは、みんなのおかげだよ。本当に感謝している」
「わかったわかった。そういう話は酒を飲みながら話そう」
吽野は満月から酒を受け取って、足早に縁側の方に向かった。
「おつまみを作っておいたんです」
「じゃあ、俺も手伝おう」
「僕も」
阿文が台所に向かうと、満月と雪明も快く手伝うといってついてゆく。
「ところで、雪明は酒は飲めるのか?」
茶化すようにいった満月に、雪明が応じる。
「死んだ時点での年齢を気にしているなら、全く問題ないよ。僕は今、人間の輪を外れた存在だからね。法は適応外さ」
一同の間で笑いが起こる。
「時がくれば常世の国の住人に戻るなら、つまりは僕や先生と同じ扱い?」
「なるほど。俗人は俺だけか」
「徳を積めばわからんぞ?」
偉そうな表情の吽野を、満月は肘でついた。
「では、最期は一緒に主人のもとで暮らしましょう。ノワールも一緒に」
ノワールは阿文の膝の上で、喉を鳴らして伸びている。
またたび酒を分けてもらってご満悦の表情だった。
またたび酒を分けてもらってご満悦の表情だった。
花吹雪が風に舞う。
和やかな春の庭で宴会は続き、月が照らす夜まで続いた。
【了】
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season2~ふたりの陰陽師編~
第五話『羽化の刻』
著:古樹佳夜
絵:花篠
(第四話はこちら)
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満月が運転する車で蘆屋家の本家へ向かう道中、
鳴り響いた携帯の着信は非通知だった。訝しみつつも阿文は電話をとった。
『おお、阿文か? ワシじゃ、ワシ!
ちょっと困ったことになっておる。助けてくれぬか』
『阿文さん! お久しぶりです!』
電話口からは少年の声と、その言葉に被せるように男の声も聞こえる。
随分と騒がしい。その声には聞き覚えがあった。以前、とある怪異を追う中で
知り合いとなった酒呑童子と、その舎弟の茨木童子。
彼らは大江山に住んでいる鬼だ。二人とは長い付き合いで、今でも定期的に手紙のやり取りをしている。
「携帯にかかってくるなんて思いもよらなかったです」
酒呑童子は現代のテクノロジーに慣れていない。ゆえに阿文は携帯の番号を教えた記憶はなかった。
『茨木がインターネットとかいうのを使って、店に連絡してみたが、なかなかでねぇから、コウシュウデンワとかいうのでケイタイ番号にかけてるっ』
なるほど、言われてみればホームページに番号を載せていたのを思い出す。
「どうかしたのですか?」
『どうもこうも! 俺らが寝床にしている岩屋が襲われてメチャクチャなんだ。その上、まだ山で暴れていやがる。おかげで山から追い出されちまって』
「え! では、今どちらにいらっしゃるんですか?」
『ひとまず人間のいる街に避難してるぜ。頼るモンも近くにいねぇし、困ってんだ。不思議堂のお前らだけが頼りなんだよ』
心底弱ったと酒呑童子はため息をついている。電話の後ろでは茨木の「お願いします!」という大きな声もしていた。
「す、すみません、……そちらに助けに行きたいのは山々ですが、
今僕たち手が離せない状況でして」
言いかけたところで、隣で漏れた会話を聞いていた満月が、割って入った。
「大江山なら、蘆屋本家にも近い。付近にいるなら、ピックアップしていくが」
電話の相手が置かれた状況が、芳しくないことを察したのかもしれない。満月の提案に酒呑童子は喜んだ。早速阿文と満月は、指定された待ち合わせ場所――国道沿いのガソリンスタンドに向かった。
◆――国道沿いのガソリンスタンド。
そこには小さなコーヒーショップが併設されていた。
「おう、阿文か。元気そうじゃねぇか」
「お久しぶりです」
小柄な少年と大男が阿文に手を振る。二人はカウンターに腰掛けて、甘いコーヒーを啜っていたようだった。「こんな甘ったるい汁より、辛い日本酒が飲みてぇ」と酒呑童子はぶつぶつ文句を垂れている。
酒呑童子を見るなり「随分小さいんだな……」と満月は呟いていた。まさか、平安の世を騒がせた伝説の鬼が少年の風貌をしているとは思いもよらなかったらしい。
「みない間に、吽野は随分デカく育ったな?」
満月を見とめて、酒呑童子はカラカラと笑った。
「違いますよアニキ。これは吽野アニさんじゃないです」
「ああ、本当だ。別人か」
ボケる酒呑童子に茨木が素早く突っ込む。阿文は満月を二人に紹介し、彼が
蘆屋道満の子孫で、現役の陰陽師であること。今は満月の式神として一時的に
力を借りていることを説明した。
「そいつは心強い。では陰陽師に相談に乗ってもらおうか」
酒呑童子の話では、岩屋を襲撃してきたのは
昔から近くに住んでた顔馴染みの土地神だったらしい。
「狂って襲いかかってきたんだ。まるで悪いもんに当てられちまったみたいにな」
満月は腕を組んで、考えを巡らせる。
「……もしかしたら、事態は繋がっているのか?」
「どういうことですか?」
阿文が聞き返すと、満月はとって返し、3人に合図した。
「詳しいことは、本家の祠についてから話そう」
「ところで吽野はどこにいる? まさか、喧嘩したのか?」と酒呑童子も茨木も辺りをキョロつく。阿文は事情を話し、さらわれた吽野を捜索中であること、蘆屋家の本家に調査に向かう最中であることを告げた。酒呑童子は仰天し吽野の身を案じた。
◆――蘆屋家本家 祠の前
そこから一晩かけて車で移動し、ようやく本家に到着した。
満月に案内された本家の敷地は広大で、池や林を挟み一目では見渡せない程だった。門から続く小道からは、平屋の家屋が点在しており、
親戚筋や、本家の離れがいくつもあるのだと、満月は説明する。
途中、何人もの使用人が「お帰りなさい」と声をかけられたが、満月は軽く返事をしただけで、黙々と前に進む。
三十分ほど歩いた頃、ようやく裏門に辿り着いた。
「奥に見える山も蘆屋の敷地で、祠はその中だ」
裏門から、まっすぐと伸びる山道を前に、酒呑童子は「うへぇ」と情けない声を出した。登山が始まるとわかって、茨木の背におぶさる。いつものが始まったと、茨木はそれに黙って従う。その様子を見て、普段の吽野のことを思い、阿文は密かに胸を痛めていた。
「あと十分もしないうちに祠だ」
満月は振り返り気遣いを見せる。
「聞こうと思っていたが、祠っつうのは、なんの祠だい?」
酒呑童子は今更な質問を投げかける。先ほど説明をしたはずだが……。
「厭魅丸という、悪鬼の類を封じている」
「おお、懐かしい名前だ。ワシと同じ頃、平安京で暴れていた奴だな」
「知っているのか?」
「もちろんだ。奴はワシらよりもずっとタチが悪い鬼畜だ。
屍鬼を操る隠れ陰陽師……時の政府が断じて、奴は死刑になった」
酒呑童子の言葉からは、実際に見てきた歴史の重みを感じる。
「それも致し方ないだろう。 『死』を取り扱う術は陰陽道では禁忌。死は汚れであり、黄泉がえりは推奨されていないからな」
「死んだと思ったが、奴はすぐに復活してしばらく都で暴れ回っておった。
ワシは奴のしでかしたことで、犯してもいない悪事の濡れ衣を着させられたから、恨みがある!」
「何百年越しの恨みをぶつけてるんすか、アニキ」
「ワシたちはせいぜい、酒を盗んで、人を攫って、都で暴れたくらいだ。死体を蘇らせたりはしない」
十分にそちらもタチが悪い……と阿文は突っ込むか悩んで、やめておいた。代わりに、浮かんだ疑問を口にする。
「……殺された後に、どうやって復活できたんでしょう?」
「知らん」とそっけない酒呑童子の代わりに、満月が答えた。
「死刑になる直前、呪詛と怨念の塊を招魂の儀式で集め、外道を駆使して『人工の鬼』を作り、その身に宿した。奴は、『屍鬼』に成り変わり安倍と蘆屋でそれを調伏した……と伝え聴いている」
「いつの間にか陰陽師に始末されて、見なくなっていたが。まさかこの石の下に押し込まれていたとはなぁ」
「ついたぞ」
満月の合図で、一同前方に顔を向けるが……
そこには石が積んであった形跡しかなく、、道の端には砕けた大岩だけが転がっていた。
満月は惨状を見て。やれやれとため息をつく。
「こりゃあひどい。粉々に壊されてる」
「見事、封印は解けておるようだなぁ!」
酒呑童子と茨木は祠だった場所をぐるぐると回ってみる。
一方、満月はしゃがみ込んで祠の残骸をひっくり返し、うーんと唸った。
「やはり、勾玉が持ち去られている」
「勾玉?」
「厭魅丸が蘇るため残した勾玉だ。鬼を作るための依代――怨念が一つの命を得るに至った元凶。我々陰陽師は、この依代に厭魅丸を封印し直していた」
満月は立ち上がり顎をすった。
「これではっきりした。厭魅丸は完全に復活している。おそらく、雪明を依代にしてな。その影響で各地の神々が悪鬼と化し暴れ回っているのだろう」
「ふむ。確かに2つの事件が繋がった、というわけだ」
酒呑童子が腹落ちしたその時。大岩の裏から地面を踏み締める音が聞こえた。
音のする方に目をやると、そこには立ちはだかる人影がある。
「先生……!」
現れたのは、吽野だった。
目は虚で、精気が感じられない。ようやく立っているような様子だった。
「大丈夫か、具合が悪いのか?」
阿文が手を差し伸べると、吽野は血相を変えてその手を払った。途端に、吽野は膝を追って四つ這いになり、獣のような格好になった。
「なんてこと。完全に手に負えん。岩屋を襲ってきた土地神そっくりだ!」
手強い敵だと判断した茨木は、酒呑童子を抱えてその場を少し離れる。
「阿文、こっちに来い!」
慌てて満月が阿文の袖を強く引っ張る。
「この子が、君に会いたがったから、ここまで来たんだよね」
吽野の背後には、いつの間にか雪明が立っていた。
「雪明、どうして厭魅丸を復活させたんだ? お前が依代になっているんだろう?」
満月が投げかけても、雪明は微笑むだけだ。ただ、
「今にわかるさ」
そう言って、吽野の背に手を置く。その衝撃で、吽野はびくりとのけぞり、
肩を怒らせながら、目の前の阿文に向かって突進していった。その様は知性を忘れ、ただ血に飢えて突き進んでくる狼の姿そのものだった。
「うわ!」
飛びかかる吽野を避けきれずに、阿文は尻餅をつく。
満月はすかさず阿文に呪文を施し、式神化して応戦するが、吽野の攻撃には
一切のためらいがなく、阿文の腕や首筋に食らいついて歯を立てる。
「ぐうう」
雪明の完全な操り人形と化している吽野は、一言も言葉を発さず、獣のような唸りをあげるだけだった。本来自我のしっかりとした相棒が、正気を失って
暴れ回る様は阿文の心を抉る。うまく応戦することができないでいた。
「どうしたの? 相方のこの姿、阿文君は気に入らなかったかな?」
「阿文、吽野に遠慮するな!」
かわすばかりで攻撃に転じない阿文に満月も檄を飛ばす。
「でも、先生が……!」
満月が呪符を出し、呪いをかけると、札は細長く伸びて、太刀となった。
手渡されるまま太刀を構えたが、阿文は大きく首を振る。
「先生に、こんなものは向けられない」
「いいからやれ! 死んでしまうぞ!」
命令に従わない阿文に痺れをきたして、満月は吽野の掌に刃を突き立て、
無理にでも二人を引き離す。吽野は「ぎゃあ!」と悲鳴をあげた。
「君が行かないなら、こちらから仕掛けようか」
雪明は足元に退避してきていた吽野の襟をぐいとひっぱり、手元に引き寄せた額を掴んだ。
「うぐ、うぐぁ……!」
呪い印が体を這い、みるみると全身が黒いアザの色に染まっていく。その様を目の当たりにして、阿文はゾッとした。
吽野は断末魔をあげて悶えながらも、その苦しみとは裏腹に、よろよろとこちらへ向かってくる。その様は、最後にひと噛みしてやろうと、病気の獣が捨て身で向かってる姿を思わせた。
「雪明、吽野を使い捨てるつもりか」
「先生!」
阿文は吽野に必死に呼びかけるが、口から血を吐き、喘いでいるだけで、何も反応しない。ただ、獣のように爪と牙を剥き出しにして飛びかかってくる。
アザに蝕まれた吽野は、雪明の操られていながらも、足がもつれ、息も上がって、いよいよ地面に倒れ込み、それでもなお雪明の命令に従い、立ちあがろうとしている。
攻撃もままならず、よろよろとおぼつかない吽野を、阿文は抱き止めたが、そのまま二人とも足元に倒れ込んだ。
「このままでは先生が死んでしまう」
阿文は一筋の涙を流した。落涙が懐にしまった主人の箱を濡らす。阿吽の危機を知ってか、箱の中で主人が動き、熱を持っているのを感じていた。
「雪明、もうよせ! こいつらは関係ないだろう! 厭魅丸を復活させたいのなら、俺を攻撃して来い!」
満月の呼びかけに、雪明は応えなかった。代わりに、右の小指を立てて、満月に何かの合図をする。その様子は、先ほどまでとはまるで違っていた。
「満月……、僕を、殺してくれ」
「何?」
「約束だろう。僕を、このまま、コロ……」
言いかけて、雪明は身悶えてその場に倒れ込んだ。急な事態に、満月も動揺する。その言葉はまるで、雪明の意思ではないようだった。
「厭魅丸の全ては、僕の中だ、今ならやれる。早く」
満月はその様子に驚きつつも、具に観察し、状況を把握しようとしている。
その時、地面を舐めたままだった吽野が小さくつぶやいた。
「阿文、クン……」
呼びかけた言葉に、阿文は思わず涙を一筋流す。
「先生……? 正気に戻ったのか?」
「胸が、痛くて……」
もう吽野に戦意は感じられなかった。そばにいて様子を窺っていた酒呑童子と茨木も手伝い動けない吽野を仰向けにさせる。吽野自身も「ここだ」と胸を指さして、阿文は着物をはだけさせる。
阿文の目に飛び込んできたのは、胸元に深々と刺さった杭のようなものだった。雪明が刺したものだ。
「これはなんだ?」
「……っ」痛みがあるのか、吽野は答えない。代わりに悶えるばかりだ。
「これ、というのは? なんのことだ?」
「さあ?」
酒呑童子と茨木には杭が見えていないようだった。
覗き込む満月はハッとする。
「勾玉だ」
満月が雪明に視線を送ると、雪明は目を閉じたまま、口だけを動かしていた。
「その勾玉は、もう依代じゃない。呪いを浄化するだけのものだ。その子を解放する準備はできてるよ。だから……」
「わかった。俺が浄化の力を増幅させたらいいんだな?」
満月が問いかけると、雪明は小さく頷いた。
「彼を助けて。そして、その後に、僕を……!」
「わかってる」
満月は阿文に目配せする。
「阿文、吽野を助けられるぞ。お前も協力しろ」
「え……? でも、どうやって」
「呪いの浄化を試みる。お前らの主人の協力も必要だ」
満月は阿文の懐に手を置き、語りかける。
すると、阿文の胸元が熱を持つ。箱の隙間から眩い光が漏れ出ている。
阿文が蓋を開け、満月が主人を慎重につまむと、吽野の胸の辺りに置いた。ちょうど、杭が打ち込まれた辺りだ。
「阿文、お前にも吽野に刺さったものが見えるだろう」
「はい」
「いいか、手を置いて、合図したら一気に引き抜くんだ。お前がやれ」
「……わかりました」
阿文は言われるままに従った。今の満月には、状況を打破してくれるだろうという、確かな説得力を感じた。
満月は阿文の背中越しに力を注ぐ。体の内側から湧き上がる気の流れを感じる。不思議なことに、吽野の胸に刺さった杭に、みるみると黒い澱のようなものが吸収されていく。同時に吽野の顔色も回復し、血の気が戻っていくのがわかった。
「いまだ!」
満月の合図とともに、阿文が杭に力をこめて引き抜く。
抜き切った後、目を開けた吽野は、ゆっくりと上半身を起こし、救ってくれた阿文に思わず抱きつく。
「阿行、ありがとう」
真名を呼ぶと、阿文は微笑んだ。
「よかった。吽行」
二人の様を見守っていた酒呑童子たちも、安心したように笑みを見せる。
金色の蛹が、硬い殻を破ろうともぞもぞと動き、そして、背中に一筋の亀裂が走る。蛹の背が割れ、眩い白い光を放ちながら、折りたたまれていた
大きな羽が開いていく。その姿は神々しいアゲハ蝶となった。
「主人様……!」
現世に顕現した姿に、二人は歓喜する。それは、封じられた神の復活の兆だった。
地に臥していた雪明が、ゆらりと立ち上がる。
上半身に力を持たずに、まぶたは完全に閉じて、その様は、まるで屍のように見えた。
【この依代は、死してなお勝手な足掻きを】
雪明の喉奥から、禍々しい掠れ声が聞こえる。
「雪明の中の厭魅丸だ。完全に目覚めたな」
「吽野、阿文。まだ、大きな仕事が残っているぞ」
目の前に立ちはだかった厭魅丸を倒すのだろうと二人は察する。
「けれど、どうしたら……」
「方法はある。お前らの主人に直接力を借りるんだ。――神の依代になってな」
【力を貸しましょう】
主人が阿文の手から羽ばたき、阿行と吽行の頭上に舞い上がる。
満身創痍の二人を、主人の放った加護が包む。熱い熱の渦中で、傷は癒え、首筋を長くうねる髪がくすぐった。爪の先、髪の先まで主人の力が宿っている。
阿行も吽行もお互いの変貌した姿に目を見張った。髪も、着物も――
その姿はかつて主人の下に仕えていた時の、二人の真の姿だった。肌に浮き出ている紋様は、もはや使役される式神として刻まれてはおらず、主人に仕える証として存在している。主人と神の使いを確かに繋ぐものだ。
依代となった二人の神々しさに、満月は少し呆気に取られつつも、口の端で笑みを作った。
【阿行、吽行。万物の始まりと終わりを司る――一対の剣を授けましょう】
宙から一対の剣が舞い降りてくる。それは、鮮やかな緋と、純白の鞘に収まった神器だった。阿行と吽行は深々と首を垂れ手から剣を手に取る。
そして――
「吽行、始めよう」
「いよいよ、けりをつける時だな。阿行!」


【第五話 了】
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season2~ふたりの陰陽師編~
第四話『式神』
著:古樹佳夜
絵:花篠
(第三話はこちら)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
十歳を越す頃には、死への恐怖を手放した。
誰しもいつか死ぬ日が来る。
陰陽師であれば、数多の神でさえ、死から逃れえぬ存在だとわかる。
陰陽師であれば、数多の神でさえ、死から逃れえぬ存在だとわかる。
肉体が燃え尽きるとき、最期の熱を発する。
争おうとも無意味だ。
この呪いがあるかぎり肉が爛れ、崩れ落ちるのを止められはしない。
この呪いがあるかぎり肉が爛れ、崩れ落ちるのを止められはしない。
死は怖くない。
けれど、波のように押し寄せる孤独を、拭い去るのは困難だった。
けれど、波のように押し寄せる孤独を、拭い去るのは困難だった。
同じ境遇の満月なら、この気持ちをわかってくれるのかな。
――ねえ、満月。僕が先に死んじゃっても、満月は僕のことを覚えていてくれる?
弱気なことを言って、試すつもりはなかった。
本当に、僕はもうすぐ死ぬのだ。
――お前は死なないよ。俺たちで呪いをなくすんだろ。
満月に背をさすられた時、その願いを真実に変えられる気がした。
約束だ。厭魅丸を一緒に倒そう――
◆
吽野が意識を取り戻すと、そこは板の間だった。
体が重い。後ろ手に縛られているのか、うまく起き上がれなかった。
仰向けになったまま辺りを見回す。
部屋は薄暗くてよく見えないが、床板は所々朽ちて沈み込んでいるし、
部屋中にカビの匂いが立ち込めている。
外は雨か。雨漏りをしている天井を見ながら、
古い廃墟なのだろうかとぼんやり思った。
部屋中にカビの匂いが立ち込めている。
外は雨か。雨漏りをしている天井を見ながら、
古い廃墟なのだろうかとぼんやり思った。
気味の悪い場所だ。
「大丈夫かい?」
雪明が顔を覗き込んできた。吽野は嫌悪感から身をよじって顔を背けた。
「うぅっ」
思わず唸ったのは、腕から肩にかけての痛みのせいだった。
「賀茂さんに手当をしてもらったのかな?」
解けかけた包帯を雪明が乱暴に引き千切ると、ジクリと焼けるような痛みを感じた。
「君のあざ、どんどんと広がっていくね」
「お前のせいだろう」
「そうだね。でも、君はもう僕の式神になるのだから。お揃いで嬉しいでしょう?」
「俺を……?」
冗談だろうと、吽野はゾッとした。
「君は満月が使役している狛犬だよね?
元々、名のある神の遣いなら式神としても立派に働いてくれそうだ」
「何を馬鹿なこと言ってるんだ! 俺はお前の言うことなんてきかない。
さっさと解放しろ!」
吠える吽野の口を手で覆い、雪明は静かに「黙って」と命じた。
途端に吽野の体は強張り、虫ピンで止められた羽虫のように
指の先まで動かなくなってしまった。
もはや視線すらも動かせない。
指の先まで動かなくなってしまった。
もはや視線すらも動かせない。
「命令が聞けて、いい子だね」
雪明は吽野の首に手を回し、爪を立てた。
「それじゃあ、早速飼い犬には首輪をつけようか」
おもむろに雪明が呪文を唱え始め、抑えた首を徐々に締め上げていく。
抑えた指の下に鋭い痛みが走り、
吽野の首を一周するように黒ずんだ紋様が浮き上がっていく。
抑えた指の下に鋭い痛みが走り、
吽野の首を一周するように黒ずんだ紋様が浮き上がっていく。
息苦しさと痛みでもがく吽野の姿を、雪明は楽しんでいるようだった。
「躾は最初が肝心だ。さっき、僕に同じことをした罰だよ」
次に、着物をくつろげ、腹の辺りに手をかざす。
「さて、最後に、神の形代となる準備と行こうか」
『神の形代……? なんだそれは。どういうことだ』
頭に浮かぶ疑問も、声にはならなかった。そうしている間にも
臍を中心に紋様が這っていく。
焼印を押し付けられているような痛みと不快感で吽野の額に汗が滲む。
焼印を押し付けられているような痛みと不快感で吽野の額に汗が滲む。
その顔を覗き込んで、雪明は愉快そうにニヤニヤと笑みを浮かべた。
わざと苦しめているのだろうか。
わざと苦しめているのだろうか。
「じゃあ、最後にコレを埋め込んであげる」
(何を……?)
嫌な予感がして、吽野は必死に雪明の方を見た。雪明の手には
翡翠でできた石器が握られている。
それは滑らかな曲線を描いた勾玉のように見えるのに、
なぜか先が鋭く尖っていて、まるで刃物だった。
その尖った先端を雪明は吽野の腹めがけて振り下ろした。
それは滑らかな曲線を描いた勾玉のように見えるのに、
なぜか先が鋭く尖っていて、まるで刃物だった。
その尖った先端を雪明は吽野の腹めがけて振り下ろした。
獣のような悲鳴が吽野の喉から漏れる。
肉を裂き、勾玉が体にめり込んでいった。ズブズブと体内に埋没していく。
不思議なことに、それは完全に肌の中に埋まり切って、後には傷ひとつ残さなかった。
「ほら、もう大丈夫だよ」
雪明が語りかけても、反応はない。
吽野の意識は痛みで焼き切れてしまっていた。
吽野の意識は痛みで焼き切れてしまっていた。
◆
阿文が目を覚ますと、満月が運転する車の助手席に座っていた。
ぼんやりとする意識の中で、ようやく思い出せたのは、
連れ去られた吽野のこと。阿文は思わず身を乗り出した。
「満月さん、先生は」
「後を追ったが、途中で気配が途絶えた。雪明が結界を張っているんだろう」
満月の言葉に、阿文はガクリと肩を落とす。
不安と悔しさが込み上げてくるが、どうすることもできず、ただ沈黙するしかなかった。
不安と悔しさが込み上げてくるが、どうすることもできず、ただ沈黙するしかなかった。
「守ってやれずにすまない」
「いえ、満月さんのせいじゃ……」
阿文は気丈に振る舞って返事をしたが、それ以上は言葉を続けられなかった。
「……大丈夫。殺す目的で連れ去ったわけじゃないだろう」
「でも、先生はただでさえ呪いをもらっているんです。放っておいたら、存在がなくなってしまう」
阿文は声を震わせる。
吽野が消えてしまうかもしれない恐怖に押しつぶされそうだ。
吽野が消えてしまうかもしれない恐怖に押しつぶされそうだ。
「俺がそうさせない。なんとかするから」
満月は、うなだれる阿文の肩に手を置いた。
「以前、僕が消失の危機にあった時、先生が守ってくれていたんです。なのに今、僕は何もできなくて……」
「何もできなくないさ。今から蘆屋の本家に一緒に行こう」
「本家? 何をしにですか」
「厭魅丸を封じている祠がある。雪明が生き返ったからには、今回の事態にあの呪詛が絡んでいることは確実だろう。……安倍本家でも、何か異変があったはずだ。意図的に俺に隠していそうな気がするが」
やれやれ、と満月は息を吐く。
自身が当主であろうとも、安倍内部のことは秘密が多い。
自身が当主であろうとも、安倍内部のことは秘密が多い。
雪明を通じてしか知り得ないことも多かったと、満月は付け加えた。
そうこうするうちに、車は首都高を通過し、目的地へ向けてスピードを上げていく。
しばしの沈黙を破ったのは阿文だった。
「祠について、聞いても良いですか」
「もちろん」
「厭魅丸は、強大な悪鬼だと、さっき仰ってましたが……」
「正確には鬼じゃない。元は人間で、しかも陰陽師を生業にしていた男だ。『隠れ陰陽師』といって、時の政府から非公認の、単なる外道さ。数多の呪詛を取り込み悪鬼化したらしいと、俺たちは伝え聞いている」
「……それがなぜ、今さら現れたのでしょうか?」
平安の時代に端を発し、安倍、蘆屋両家によって封じられていた「鬼」。
それが長い時を経て現代に蘇るなどにわかには考えられなかった。
満月は不甲斐なさそうな、申し訳なさそうな表情で、その問いを受け止めた。
「俺たち陰陽師一族は、代替わりしながら、封印を守ってきた。だが、近年――特に江戸初期あたりから、封印には綻びが生じていたようだ。術者の世代交代によって封印の強度が一定に保たれていなかった事が原因ではないかと言われている」
「つまり、厭魅丸は江戸時代から復活の兆しがあったと……?」
「実態を得るまでは至らなかった。代わりに、大量の怨念や悪鬼を都に呼び寄せ、それを己の中に取り込み続けた。自身が封印で動けない間は、手下の怪物を操って悪事を働いた。それを退治するのも、我々陰陽師の役目だったのさ」
呼び寄せられた怪物の中には、その実態がなく、乗り移れる器を探し、
『神』を乗っ取って、実体化したものがいるらしい。
話を聞く中で、阿文にはひとつ心当たりがあった。満月がいうその怪物は、
かつて主人の神社を襲いにきた、『件』そのもののように思えた。
阿文は主人の収まった桐箱を懐から取り出し、小さな声で語りかける。
(主人様……我々が不甲斐ないばかりに、申し訳ございません。
必ず吽行を取り戻し、主人様が元の姿を取り戻せるよう、尽力いたします)
その時だった。
阿文の携帯電話が、甲高い着信音を発する。
「誰からだ?」
「非通知みたいです」
もしや吽野なのではないかと期待したが、非通知である理由がよくわからなかった。
「……ちょっと出てみろ」
満月に促され、阿文は意を決する。
「もしもし?」
『おお、阿文か? ワシじゃ、ワシ! ちょっと困ったことになっておる。助けてくれぬか』
その電話は大江山の酒呑童子からのものだった。
【第四話 了】
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