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小沢一郎代表講演 第4弾 「社会保障のあり方について」
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小沢一郎代表講演 第4弾 「社会保障のあり方について」

2013-12-02 10:04

    2013年12月5日 総合政策会議

    12月5日、総合政策会議での小沢一郎代表講演第4弾を開催しました。「社会保障」のあり方に加え、「国土交通政策」、「農林水産政策」について語りました。

    ○畑浩治 総合政策会議議長

    本日は「社会保障政策のあり方について」と、時間があれば「国土政策」「農林水産政策」について語っていただく。

    申すまでもなく、総論的なことはこれまで話していただいたが、これから、まさに個別具体の政策の大枠として、実際的な国政の、特に重要なパーツ、ツールとなっていく「社会保障」なり、「国土政策」なり、「経済政策」「地域政策」「農林政策」を含めて、これらが実際の国の政策の進め方でかなり重要な、具体的なポイントとなると思っている。

    そういう観点から、小沢代表からの知見をお話いただければ幸いである。

    ○小沢一郎 代表

    まず、社会保障制度のことだけれども、これはもう民主党のマニフェストを作る時に、散々議論したところである。
    社会保障制度の中では、「年金」と「医療」と「介護」という感じになると思うが、年金制度については、一元化ということ。これは、厚生・国民・共済年金だけれども、まず一元化し簡素化するということが第一だと思う。

    それに関連して、ちょっと余計なことというか、話がそれるけれども、この間、公務員制度のことで申し上げたが、国家公務員の身分保障ということをハッキリしないと、しっかりしないと、いわゆる天下りは無くならない。ヨーロッパ、英・米・仏のほとんどは、現職給与の7割前後を年金でもらっている。そのかわり、法制的ではないけれども、事実上天下りは無しという形になっているわけで、そうすると、公務員の年金制度というものを、やはり考えた方が良いだろうと思う。
    ただ、年金一元化ということとちょっと逆行する、別建てになってしまうので、これはいわゆる指定職だけにするべきなのかどうかという議論はあるけれども、公務員制度をすっきりするためには、やはり身分保障をしないといけないだろうと私は思っている。

    それから、新年金制度については、民主党のマニフェストで言ったように、6万円から7万円程度の最低保障年金。全額・国費負担。(財源については)消費税であろうが何だろうが、国費で行なう。そして、2階建て部分に、所得比例年金をそれぞれの所得に応じて保険料を支払って、合算したものを受け取る。
    もちろん最低保障年金は、それでは最低保障年金だけもらえばいいやといって、この2階建て部分をやらない人が出てきてはいけないということで、最低保障年金は強制保険だから、みんな加入しなければいけないのだけれども、所得比例の年金をきちんと保険に入って掛けている人、保険料を掛けている人に支払う。これが民主党のマニフェストの基本の考え方だった。私は、これで年金制度をすっきりしたらいいのではないかと、そう思っている。

    2番目の「医療保険制度」だけれども、これも公的医療保険制度の一元化がまず必要だと思う。
    今の医療組織図を見たら、もう、ゴッチャン、ゴッチャンして、あっちのものをこっち、こっちのものはあっちと、もう、訳の分からないくらいゴチャゴチャになっているが、これを簡素・一元化するということが、やはり必要だろうと思う。
    次に話すが、事実、今は、老人医療の方に健保からも何からもみんな、国費も含めて入れているわけだから、事実上、一体的な運営になっている。
    いずれにしても、医療保険制度の問題点は老人医療。特に後期高齢者。ここに、もの凄いお金がかかっているわけである。
    我々も徐々にそれに近づくのだけれども、医療をすなわちお金で解決しようとすれば、どんどん、医療保険・老人医療に金がかかる。これが100歳まで生きる、120歳まで生きるなんて話しになった日には、もういくら金があっても足りないということになってしまうので、この老人医療は、金で解決すると言うよりも、まず老人の、高齢者の生き甲斐づくりが大事だと、私はそう思っている。

    何もすることがなければ身体の具合が悪くなるのは当たり前で、「小人閑居して不善を為す」という言葉があるが、不善をではないが、80年も90年も使えばどこか悪くなるのは当たり前なのだから、まず生き甲斐を一生持って過ごせるようにということが大事だと思う。
    それは、まずは当面、定年の延長。今も議論になっているけれども、それを含めた、さらに高齢者も含めて、老人・高齢者の就業の環境・仕組みを作るということに、私は力を入れた方が、急がば回れのような形で、老人医療の負担というものは少なくできると思う。
    前回もちょっと話をした、1、2の地域で、高齢者みんなで仕事をして、元気で、しかも大きな所得を上げているという現実があるので、これを全国的なレベルで支援していくということが大事だと思う。

    それと同じだけれども、やはり何らかの生き甲斐というのは、結局、自分は何の役にも立ってない、家族のためにも、地域のためにも、国のためにも、自分は要らない存在だという時点で、生きる・生存の理由は無くなってしまうから、その意味で、何かの形で、それが家族であれ、地域であれ何でもいいけれども、社会活動へ参加する。そういう仕組みを作っていくということが大事だと思う。
    いずれにしろ、老人医療・高齢者医療は、金だけで解決しないと、私はそのように思っている。
    それからもう一つが「介護」。これは私は、家族単位で介護をできるような環境・仕組みを作っていくということを、基本にすべきだと思っている。

    まずそのためには、現実の介護というのは、ほとんど地方自治体にその運営を任せているけれども、単なる、国から委託されて国で定められたことをやるという、今日の非常に無駄の多い、非合理的な仕組みは止めた方がいい。
    だから、財源の地方への移譲。この間も申し上げたが、例えば厚生労働予算で、現在、医療関係に15兆円補助金として使っている。
    これはもう手を触れられないと言う人がいるけれど、そんなことはない。これを、地方へ財源を移譲することによって、大幅に無駄を省くことができるし、より良い介護ができるというふうに私は思っている。したがって、介護制度に係る必要以上の細かな規制は撤廃すべきだろうと思う。

    それから、高齢者の就業対象に介護の仕事をさせるということである。次に在宅介護を促進する、介護手当の創設。要するに一つは、俗に言う「嫁手当」の創設である。やはり一番シンドイのは、舅の面倒を見る嫁さん、奥さんのことだから、これに私は、俗に言う「嫁手当」、介護手当を出すべきだ。それから、同居の手当を出すべきだというふうに思っている。
    これを私はずっと言い続けてきた。そんなバラ撒きでどうのこうのという話、批判が色々あったけれども、ドイツにおいて、私がいっているような介護手当制度が現実にある。

    もちろん家族が基本だが、友人でも隣人でもボランティアでもいいけれども、介護をする人に対して国が手当を出している。今言った「嫁手当」みたいなものである。「同居手当」、「嫁手当」。これを、最高の要介護レベル、これで月額700ユーロだそうだ。約9万何千円を出しているという現実があるのだ。
    だから、私の勝手な発想ではなかったということが、これで立証されたのだが、私はやはり、もの凄く重度の、これ以上の介護が必要とされる人は家族でとてもできないというのはしょうがないけれども、そうでない限り、家で出来る限りは家でやる。ただし、一番シンドイのは嫁さんだから、嫁さんにきちんと手当を出すということが、具体的には私はいいだろうと思っている。

    この介護のことで、菅さんと以前に一度議論したことがあって、私は基本的にやはり自助努力、それで家族によってやれるような環境を作った方がいいのではないかと言ったら、「そんなことは古いんだ」と、「みんな公助でやることに決めたんだ」と言って、菅さんに大きい声で怒鳴られた。
    現実には、厚労省の基本にも、自立支援・介護予防ということは、現実にこれを否定して公助のみに頼ろうということを、今、施策でやっているわけではないということを厚労省でも見解として出しており、他の色んな、核家族と3世代・4世代のどちらが現実的にいいだろうかという問題が、この介護とは別にある。

    私は、各地域全部色々なところへ選挙の時回って歩いたのだが、その時にも、「同居手当」を出すべきではないかというふうに思っていて、それを色んな主婦の人が来た座談会でしゃべったら、「いや、どのぐらい(もらえるのか)?」、「どのぐらいと言ったって、俺は10万ぐらいと思っているのだけど」と言ったら、「いや、10万ももらえるのなら、親と一緒もいい」なんて言ってみんな賛成だった。
    便利だと言うのだ、やはりじいさん、ばあさんがいると。自分たちも夫婦で遊びに出かける時も、「子どもの世話、みんな頼むよ」と言って。

    だから、嫁姑の確執さえなくなれば、ほんとは(同居が)いいのだ。そのためにはやはり、金で解決するわけではないけれども、嫁さんが外へ出て遊んだり食べたり、何か買ったりするぐらいの余裕があれば、日頃の姑の嫌らしさも忘れることができるのではないかという気がするのだけど、話をしたら現実にみんな賛成だった。
    だから、それほど私の認識が間違ってなかったなと思った。雑談はそんなところにして。

    やはり、年金制度の一元化と、それから、医療保険の一元化と、後期高齢者医療をどうするか。この問題に尽きる。
    だから、後期高齢者(医療)は、介護保険と連動してしまうのだけれども、この問題をもう少し、家族と、地域と、地域と言うと地方自治体になるけれども、この協力と知恵を活かしていかないと、ただ単に厚労省の予算を増やして「医療費がかかる」と言って、金ばっかりかかる話をしていたのでは、何時まで経っても解決しないと、私は思う。
    端折って急ぐけれども、社会保障制度の問題ではそんなことを考えている。

    それから次に、「国土交通政策」だが、大きく言って「国土政策」の基本は地方分権である。  (地方への)財源と権限の移譲。これがなくては、もう何もできない。
    それを大前提として、まず鉄道について。私は「鉄道論者」である。今、JRの都合で鉄道を廃止したりする。せっかく、明治以来、先人が営々として全国にネットワークを作った鉄道を、単に、知恵も出さずに採算上で廃止するというのは、私は大反対である。だから、旧来の国有鉄道の路線は維持すべきだと思っている。
    これはやはり、中距離の大量輸送というのは鉄道以外ないのだ。トラック輸送では、高速道路があるにしても量的に鉄道に敵わない。だから、私はそういう意味でも、あるいは地域の利便、あるいは開発振興を考えても、鉄道を維持しながら、有効な政策を出すべきだと思っている。

    それから新幹線。これは、もっと早く完成すべきだと思っている。新幹線を造り始めてから、あれは東海道、山陽と東北も多少できていた頃に、ほとんど凍結になっていた。金がかかると言って。私が自民党の幹事長の時に、凍結を解除して、とにかく長野新幹線を着工という決定をし、予算の内示を1日遅らせてまでやったのだけれど。それから始まった。
    その時に、東北・北海道・北陸・九州・長崎の整備五線というのが、その当時でいくらかかったか。23~24年前だが、その当時で整備五線造るのに3兆9千億円だった。何だこれくらいの金と私は言ったのだけれども。4兆円で整備五線、もう20年前にできていた。

    それをチンタラ、チンタラ、役所の都合で仕事を先延ばしして、九州と東北は完成したけれども、北陸も今度できるという話だが、北海道も長崎もまだ、というようなことだが、私は、これはもっと徹底して新幹線もやるべきだと思う。
    たまたま、私の20年ちょっと前の『日本改造計画』には、その時に新幹線網を、高速道路も入れたと思ったが、図面で示してここまで必要だということを地図に描いてある。そういうこと、鉄道で言うと新幹線網を早く完成させるべきだと思う。
    それから、経営はJRでいいのだけれども、廃止線などはもったいない。私は、暇と金があったら、廃止線をタダみたいに利用させてもらって、絶対利益を上げて見せると思うくらいなのだが。これを、自由に民間の知恵・創意工夫に任せたら、絶対に廃線しないで済むと私は思っている。

    それから、道路もそうなのだが、地方自治体によって任意路線の建設・運営も、私は認めた方がいいと思う。今は、国鉄で要らなくなったからといって、第3セクターで押し付けているけれど、私の言うのはそういう意味ではなくて、民間で必要なものは造ってもいいのではないかと思っている。

    いずれにしろ、新幹線のネットワーク。リニアは、(鈴木克昌)幹事長がおられるけれど、私は本当にできるかどうかをちょっと危ぶんでいるのは、投資効率と、名古屋いずれ大阪まで引っ張るという将来がなければ、半減してしまうからだけれど、これは相当な金がかかって、それで短縮するのは半分になるのか。
    それが、果たして投資効果と、それから時間を短縮するということが、それだけ日本全体にいい結果を及ぼすかどうかというのは、ちょっと私は疑問ではあるのだが。
    それならば、新幹線網をもう少しスピード・アップしたり、工夫を凝らしたりした方がいいのではないかという気がする。いずれにしろ、新幹線網は造るべきだと思う。

    道路について。道路の建設位置は、全て地方自治体に任せる、都道府県あるいは、大きくなれば市町村でもいいけれど、任せた方が良いと私は思っている。
    日本の国土面積当たりの道路面積は、ヨーロッパの2倍以上。アメリカの3倍以上ある。こんな山で、可住地面積が17%しかない日本で、ヨーロッパの倍以上、アメリカの国土面積当たり3倍以上の道路面積がある。
    本当に道路がいっぱいあり過ぎるぐらい。本当は、道路予算が余っているからなのだけれど。ところが、無いのが高速道路なのだ。高速道路(建設)がまだチンタラ、チンタラで、この道路網が完成してない。
    だから、これも私は、高速道路のネットワークを早く造り上げること。それから、無料化を促進すること。こんな高い道路料金取っているところは日本だけである。だから、無料化を促進する。

    それからもう一つ、高速道路も私は地方に移すべきだと思っている。これは、民主党政権になって、私が幹事長の時に陳情に応じて重点予算要望を官邸にした文書の一部なのだけれども、ここで、「地方自らが必要とする高速道路建設を行なうことができるようにするため、国の政策を検討する」とある。
    これは、その時、財務省が認めたのだ。それで、何で財源を当てるかと言うと、私は無利子国債でやれと言った。地方でやった方が、用地(取得)は簡単にできるし、地方の業者を使う。それから今、道路などは地方の業者で十分できるであろう。技術的に何も問題ない。(業者は)今、全部大手であろう。道路公団、大手の道路会社でやって、金は全部東京に還流だ。だから、そういうことじゃダメだということで、予算要望で財務省も認めたので、出したのだけれど。辞めてしまったものだから、そのまま立ち消えになったけれども、高速道路は自治体にやらせた方がいいと私は思う。簡単にできる。
    もちろん大規模プロジェクトは、東京湾に橋を架けるとか大きなものは直轄で残していていいけれども。
    河川も、私は全て原則自治体に移すべきだと思う。これも直轄河川は、大きいところは残したっていいけれども。基本的には地方でいいと思う。

    だから今、道路と河川を地方に移すと、国交省の建設事務所が全部要らなくってしまう。ただそれは、地方自治体で人員は吸収すればいいと、私は思っている。
    今、建設事務所は、うちの岩手県などは大きいけれど、たいして無い。岩手県に2個。新潟県などは、田中(角栄)先生がいたものだから、6つか7つあるが。だから、建設事務所、工事事務所は、地方に移すと要らなくなる。行政の簡素化にもなる。
    それから、空港・港湾、漁港も含めて。空港も今、空港特会でもって、国交省がやっているわけだが、港湾もそう。これも私は、権限・財源を地方に移すべきだと、もちろん、思う。

    ハブ空港、ハブ港湾と言う馬鹿でかいものがある。今既に、空港も港湾も韓国にも負けている。規模において劣っているようになっているから、ハブ空港やハブ港湾については、国でやるということは残しておいていいだろうと思っている。そんなことを、「国土交通政策」というふうにネーミングされるかと思う。

    それから、国土政策で、私はやはり田舎出身だから言うのではないけれど、農林漁業の政策のあり方というのは、非常に問題だと私は思う。今、(政府は)農業補助金を基本的に全部ぶった切ろうという形で進めている。
    だから、農業団体なんぞにやる無駄な補助金は、もう切っていいのだけれども。それで、大規模経営して、会社で経営すれば、農業として「農業」は生き残るかも知れないけれども、農家は生き残れない。農民は生き残れない。ということは、地域社会が崩壊するということになる。(農業を)辞めた人たち、老いも若きも含めて、それでは地元で雇用の場があるか。 雇用の場があっても、みんな中心の街へ出て来てします。そうすると在の方は人がいなくなってしまう。地域社会というのが崩壊する。

    これは単に、社会的な問題だけでなくて、人口の移動やら産業の変化だけではなく、日本の伝統的な地域社会、文化・芸術・精神的な面を含めた、それらを完全に崩壊させるやり方だと思っている。
    だから、我々は、戸別所得保障制度を導入したわけだ。そこで、農水省でやった戸別所得保障というのは、我々の、私の描いたのとは違っているのだが、これで、適地・適産を徹底する、そして、安定した兼業農家というのを私は描いている。

    若い者は地元で勤め、そして年をとって退職したら、農業、漁業をというので、充分やって行ける。今だって、農業、漁業をやっているのは年寄りだけなのだから。若い人はやっていないのだから、充分やれる。
    だから、世代間の役割分担を、地方でも雇用の場を拡げることによって行なえると、私は思っている。これはもちろん、地方分権ができないと不可能である。

    そういうこと等々、林業、漁業でも基本的には同じである。特に、農業・漁業政策については、非常に日本社会の変質をもたらしてしまうと、私は思っている。

    それと、地域の荒廃だけれども、そういう意味でこの農業政策・漁業を含めた一次産業の政策は、充分考えるべきだと思う。
    それで、農産物の、主要食糧の自給ということを、みんなできないと思っている。農業団体までも、百姓やっている連中まで「そんなことできない。先生、そんなこと言うけど、できないよ」なんて言うけれども、嘘だ、できる。

    日本は特に戦後、米の研究ばっかりしていた。だから、米作りは北海道でももうできるようになった。以前は、できなかった。それで、北海道の米の方が美味いなんて言う時代になってしまった。何処でもできるくらい米の品種改良と技術改良は進んだ。

    だけれども、その他のものは、まったく輸入に頼っていることになるけれども、私は、その他の主要穀物・例えば麦、大豆等についても充分できると思う。
    私もまだ百姓をしているから分かるけれど、私のところでも米は、今、1反歩・8俵は穫れる。農業専門にやっている人は10俵穫る。だから、耕地面積はこんなに要らない。

    ところが、麦と大豆は誰も力を入れていないものだから、欧米の反別で半分以下しか穫ってない。これを、米と同じように、あるいは欧米流に、今の倍の反別を生産する。これは簡単なことだと私は思っているのだけれど。すると、充分主要穀物は日本の耕地で自給できる。完全自給できる。
    だから、こういうことをきちんと進める、そのためのセーフティネットとしての戸別所得保障制度を確立するということで、私は食糧自給はできると思う。

    漁業は、遠洋漁業というのが次々とできなくなって、衰退してしまっているけれども、沿岸漁業で充分やって行けるし、栽培漁業を沿岸で(行う)、今そちらに転換しつつあるけれども、これも充分できる。これは、養殖の池で飼うのではなくて、沿岸の自然の海を活用して充分できる。
    そういう面で、私は田舎で生まれ育ったものだから、余計にそういうことについて関心があるのだけれども、食糧全体のことを考えてみると、本当に今のままだと将来どうなるかという気がする。

    実は、今の効率・生産性第一主義の政府の政策というのは、食糧で言うと、ちょうどイギリスが産業革命を起こして世界の生産の6割を占めていた大英帝国の頃に、植民地をどんどん拡大して、そして、高い工業生産品を作って、安い食糧を植民地から輸入する。そうすれば、その間の利潤は莫大なものになって、国の経済は潤うはずだという話で、歴史的に言うと、「囲い込み運動」なんていう、農業・農民をどんどん、どんどん産業予備軍として、そこで吸収して働かせた。

    ところが、どうしてか理由は未だに分からないけれども、理屈で考えれば高い物を売って安い物をどんどん仕入れて来るのだから、充分やれるはずなのに、理由は明確ではないのだけれど、イギリス経済は上手く行かなくなってしまった。他の理由もあると思うけれども。

    それで、時間がかかったけれども、イギリスでは、やはり自給率を上げようということに方針を転換した。そして今、イギリスでさえ7割近い自給率である。フランスは120%くらいの生産だ。ドイツでも 90%台の自給率。東ドイツを合併したので、余計に高くなったけれど、先進国と言われているヨーロッパ、アメリカはもちろん農業生産高は高いが、日本は40%を切ろうとしている。

    まさに大英帝国の轍を踏もうとしているように、私には思えてならない。そして、日本社会の精神的崩壊をもたらすというおそれが非常にある。
    これは付け足しの話だけれども、大変大事なことだから、ぜひ皆さんも考えてもらいたいと思う。

    そんなことで今日は、社会保障ということだけれど、社会保障のテーマ、焦点はもうさっき言ったように分かりきっていることだから。
    国土政策もその通り。国土政策と言う観点で言うと、一番やはり、農業・漁業の地方をどうするかという問題が、あるいはそして食糧自給体制をどう取るかという問題が、私は大きいと思う。
    端折って雑駁な話になったが、以上で一応私の話しは終わりにする。

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