小沢一郎代表 定例記者会見(2014年5月12日)


5月12日、小沢一郎代表が定例の記者会見を行いました。
会見要旨は以下の通りです。


20140512小沢代表会見



【 質疑要旨 】


野党再編について

Q. 野党再編の関係で伺う。民主党が今後の野党共闘をにらんで、生活の党を含めた各党に幹事長・国対委員長レベルでの会談を申し込んでいる。一方で、日本維新の会の松野幹事長は、結いとの合流は7月末までに形にしたいと、さらにその先にはみんなの党とか、生活の党なども巻き込んだ形での連携というのも頭にあるということで、民主党あるいは維新の会などが中心になってにわかに再編の動きも見られるが、この現状をどのようにご覧になっているのかということと、その中で生活の党として今後どのように動くのか、鈴木幹事長は泰然自若だと表現されていたが、党としてどのように動いていくお考えかお聞かせいただきたい。(NHK)
A. 多分、特別にどうこうするということはないと思うけれども、従来からずっと言い続けてきたように、仮に動きが出てきたということであれば、各党ともこのままでは国民の信を得られないという意識がようやく高まってきたのではと思う。
民主党が第一党、維新の会が第二党だから、どちらであれ連携に向けて旗を振っていただければいいと思う。
私どもとしては、どういう形であれ、野党が皆連携できる形であればその一員としていつでも参加したいと思っている。

細川氏、小泉氏社団法人立ち上げについて

Q. 先週の7日、細川さんと小泉さんが「自然エネルギー推進会議」という社団法人を立ち上げ、そこではとりあえず選挙等には関わらないと、ただ、国民運動を広めていく為のシンポジウムなどを開くということを言っていたが、この細川さんと小泉さんが都知事選で敗北して、あらためてもう一度こういう形で立ち上げたことについてどうご覧になっているかということと、この動きが政治に、今度の野党再編含めて何か影響してくると思うかどうか、お聞かせ願いたい。(日刊ゲンダイ)
A. 小泉さんと細川さん、二人と直接意見交換をしたわけではないので、どういう決意のもとでどういう風な形を目指していくのか分からない。
ただ、都知事選挙のことだけでなくて、今後の日本と国民の為に脱原発をやっていこうということは大変結構なことだと思う。

スタートだから政治には関係しないと言っているのは当たり前と言えば当たり前だけれども、政治でなければ変えられないのだから、ただ単に外野でわいわい言っていたって意味がないので、国民、主権者の選挙・投票を通じて政治を脱原発の方向へ持っていくということが当然最終的には必要だし、多分最終的にはそういうことを目指しているのではないだろうか。それ以上はよく分からない。

あと、それが野党再編、連携にどういう影響を及ぼすかということだけれども、それによって国民の意識の高まり次第では、やはり原子力というのは非常に生命に危険を及ぼす可能性が強いという認識が高まってきているので、そういうことがやり方次第では一つの流れの中でのテーマになっていくのではという感じはする。
Q. 生活の党も脱原発を掲げられていると思うが、そういった点から、小泉さん細川さんと連携する余地があるとお考えか、それから、今後お会いするとお考えはあるか。(日本経済新聞)
A. 今聞いている話では、スタートのラインで政治には直接関係しないと言っているので、今話し合うとか何かするということはない。
ただ、前の質問に答えたように、それが国民の意識の中にも、あるいは政治の中でも大きな流れの一つのテーマになる可能性は十分にある訳で、そういうことでは我々の目指すもの、考えることと脱原発は一緒だから、そういう意味で共通の原発に対する認識を持っている、現時点ではそういう段階であろう。

「集団的自衛権」について

Q. 今日の弊紙朝刊の世論調査で、集団的自衛権の行使を容認するという声が7割を超えたのだが、これについての受け止めをいただきたい。(読売新聞)
A. 先ほど飛行機の中でちょっと見たけれども、「集団的自衛権」とは読売は言っていないね。「集団自衛権」と言っている。メディアも用語からしてごちゃごちゃなのだ。だから、皆意味が分かっていないのではないか。

旧来は「集団安全保障」と、国際的な安全保障の国連中心としたことをそう言ってきた。集団安全保障。片や自衛権については「集団的自衛権」と言ってきた。最近では「的」を除いて「集団自衛権」と言って、なおさら国連の安全保障と似たようなイメージになって捉えられていて、果たして本当に国民が「集団的自衛権」、簡単に言えばアメリカと共同歩調で、日本と直接関係のない海外でも武力の行使を出来るという話になるから、アメリカだけじゃなくどこの国とでもいいということだと報じているのもあるが、いずれにしても他の国と共同して国際紛争の解決にあたると、そのために自衛隊を派遣するという話になるから、それを明確に聞いた上でないと、国民は訳が分からないのではないか。集団安全保障、集団自衛権、似たようなものに考えるのではないか。
私は詳しく知らないけれども、読売の調査はどうなっているのか。
Q. 今回設問としては、「集団的自衛権」という聞き方をしており、見出しで「集団自衛権」と「的」を抜いている。(読売新聞)
A. 何故見出しでは外すのか。
Q. 設問の方では「集団的自衛権」についてあなたの考えに最も近いものを選んでくださいとしている。(読売新聞)
A. だから、「集団的自衛権」ということ自体がどういうことなのか、共産党や社会党がさあこれですぐ戦争だという言い方をするけれども、それは別として、集団的自衛権の解釈というのは、法制局でさえいい加減だし、ましてやメディアの解釈もはっきりわかっていないのではないかと私は思う。だから、「自衛権の行使」でさえ、武力行使できるということになるであろう。違うか。

自衛権の行使というのは武力行使を当然含む。当たり前であろう。それで国連の国連軍もしくはそれに準ずる多国籍軍に参加するというのは、旧来の内閣法制局だとそれも集団的自衛権だと言っているわけだ。
これは全くの論理的な過ちだと思うけれども、まあ、ころころ変わった挙句にそう言っているのだけれども。そういう論理でやろうとしているのか、そこまで考えているのか分からないけれども、いずれにしろ、国連のこととは全く別箇に、どこかの国と一緒に国際紛争を解決するため海外に軍を派遣できるという話になってしまうので、そこを国民は皆分かっているのか。「集団的自衛権」と言われても分からないのではないか。法制局でさえ分からないのだから、メディアだって分かるわけがない。

国連の41条、42条と、集団的自衛権とはどう違うのか分かるか。私は何回も言っているけれども、なかなか明快に説明できないでしょう。法制局でさえ何度も言うけれども間違えているのだから、私から言わせれば間違えたおかしな解釈をしているわけだから。
だから、私はなんとなく「いいんじゃないの」という雰囲気があるのではないかと思う。そういうことかもしれない。

それで、集団的自衛権を認めるかということは、その時に武力の行使もいいかと聞いているのか。
Q. 武力の行使については聞いていない。「集団的自衛権について、あなたの考えに最も近いものをひとつ選んでほしい」ということで、「全面的に使えるようにすべきだ」と。(読売新聞)
A. 何を使うのか?「使えるように」とは何を使おうというのか?
Q. 集団的自衛権という権利を。(読売新聞)
A. だから、武力でしょう。
集団的自衛権なんて観念的な事を、抽象論を言ったって分かるわけがないではないか。簡単に言えば、アメリカと一緒にアフガン行くかということでしょう。イラクに行くのかということでしょう。集団的自衛権とはそういうことでしょう。違うのか。
それでは「集団的自衛権」とは他に何をやるのか。
Q. 説明としては全面的に使えるようにすべきか、それとも最小限の範囲ですべきかと。(読売新聞)
A. 限定的とは戦争をどういう風に限定できるのか。
Q. そこはこれからの議論では。歯止めをどういう風にかけるのか。(読売新聞)
A. 戦争というのはどんな形でどういう風に起きるのか分からないでしょう。今問題になっているロシアとウクライナのことだって戦争といえば戦争だ。それで、アメリカがあそこに行くって言ったら日本も行くのか。集団的自衛権って言ったら。
よく分からないだろう。ウクライナだって事実上ドンパチやっているわけだし、こじれたら本当にそうなる。ロシアも覆面して顔を隠しているけれども、ロシアの部隊が入っていることは事実なのだし。それと戦闘になるかもしれないのだ。

こと国連の決定ではなくて、アメリカもしくはNATOでもどちらでもいいけれども、決定に従って日本も行くということになるか。理屈上はそういうことになるだろう。
それとも遠いからだめというか。変だろう。近いからいいけど遠いからだめだなんて、そんなのは理屈にならないだろう。
Q. ウクライナが地球の裏側かどうかということになる。(フリー)
A. 地球の裏側に行かないと言っているのか。表だったらいいのか。そうしたらどこまでが裏なのか。
だから、最初から分からないで言っているのだ。地球の裏って言ったら真下に掘ればブラジルかアルゼンチンか。
それ以外じゃないのかウクライナは。アフガンなんてそれに比べればすぐそばではないか。
少し諸君も議論してみたらどうか。何か言葉の遊びみたいになってしまっている。

それで、軍を動かすというのは、政治の最終の手段なのだ。人を殺すことができるわけだから。政治の最終の手段をそういういい加減なことで決定してはいけないと私は思う。だから、戦前の昭和史の悲劇が起きたのでしょう。
だから、武力で平和を乱す人間に対して、武力をもって鎮圧を出来るというのは国連の憲章に書かれているから、国連で決定をして行うことに参加することについては、私は大いに積極的に考えるべきだと思っているけれども、国連ではなくてアメリカなり、オーストラリアでもカナダでもどこでもいいけれども、集団的自衛権とは、その一国がけしからんと武力を使ってやると言ったら、それに同調するということになる。
違うのか。読売は違うのか。そうだろう、論理的には。
Q. どういう風に区切っていくかというのは、今議論になっているところで。どこまで出ていくのかという。(読売新聞)
A. だから、どこまでなんていうことを限定できるのかというのだ。戦争というのはどうやって起きるのか分からないだろう。
例えば朝鮮半島が有事だなんて言うのはいいと言っているのだろう、なんとなくアバウトで言うと。では、朝鮮半島でどういう事態が起きたら集団的自衛権を行使するのだ。分からないだろう。
分からないのだ。前もって戦争がどういう格好で起きるかなんて分かりはしないのだ。だから、どういう事態で自衛権の発動をするかというのは最終的には政府の判断だが。

だけれども、集団的自衛権で一般的にそれを認めて、簡単に言うと日米安保、あるいはその他協定でもいいけれども、同盟国と共同歩調を取るという理屈になるだろう。
アメリカはそうでなくたって日本に参加しろと言っているわけだから。アフガンの時もイラクの時もそうだった。前のクエート、イラク戦争のときにはそうではないけれども。ソ連と中国は棄権したけれども安保理で決定したことだから、これは国連の決定事項だったけれども。この間のイラクはそうではないし、アフガンもそうではないでしょう。
アメリカはブッシュ・ジュニアが、アフガンはアメリカの戦争だと、とやかく他の国に言われる筋合いはないと戦争をおっぱじめたわけだ。それに協力するという話になってしまう。そうであろう。違うのか。分からないでは困るだろう。ちゃんと社内で議論して、少し「集団的自衛権」とはどういうことなのかというのを議論しないと、世論形成を間違えてしまうであろう。

だから、地理的に制限するということも事実上不可能だし、あるいは戦争の形態でもって限定するということも不可能だし、あらかじめ戦争についてこれが日本の自衛権の発動として妥当かどうかということを文章で決めておくということは不可能ではないか。そう思うが。

私は集団的自衛権を否定してはいない。ずっと何十年も前から。それは知っているだろう。
ただ、日本とまるきり関係のないところに行って紛争解決の為に自衛権の発動、軍を派遣するということは、憲法9条がある以上できませんよと、やるのであれば9条を改正しなければいけないよと。やりたいのであれば。
9条の基本は改正する必要はない、それは国連の平和活動に積極的に参加することで紛争解決に努力するという議論だから違うけれども、真っ向からともかく日本がやりたいのだということになれば、9条を改正する以外にないであろう。そう私は思う。

地方の人口減少問題について

Q. 岩手県前知事の増田さんの研究会の報告によると、2050年に例えば岩手県の自治体だと、80%の自治体が30歳未満、29歳以下の女性の人口が半減してしまうというデータが出ている。これをどうやって歯止めをかけるべきか、どういう政策が考えられるのかという点についてご質問したい。(フランス10)
A. 何度も言っているけれども、人口でいうと、今の出生率のままでいくと700数十年後には日本人は一人もいなくなる。岩手県だけではない。
だから、国全体としても何とかしなければいけない。と同時に、地方と大都会との関係では、ますます急速に地方の方が都会に少ない若年層がどんどん吸収されるから、地方は爺さん婆さんだけになってしまうと、いずれに居なくなるということはその通りである。

だから、今の中央集権的な行政の機構を根本的に改めなくてはいけない、地方分権的といえば、橋下さんがこの間から言っているが、金も権限も含めた統治の機構を大変革、大改革しなくてはいけないということを。そういうことをやることによって、地方の自主性・創造性それから地域性・伝統文化、伝統産業等々の振興に役立つ。だから私は、「日本改造論」の時からずっと言い続けている。

ちょっと言うと、フランスは人口移動が一番少ない。だから田舎に行っても皆どこも人が住んでいる。
それは、一つには、官僚国家ではあるけれども、詳しく私も調べて知っているわけではないけれども、そういう意味での地方での分権体制が事実上あるのだと思う。だから、工場や大企業の本社が地方にあったりする。ものすごい官僚国家であることは聞いているけれども、非常に人口移動少なくて全国的な定住性、比率が高い。農業国であるということも大きな理由なのかもしれないけれども。

いずれにしても、農業そのものも、ヨーロッパ全部そうだけれども、非常に補助金その他で保護している。そういうことも、合わせて考えなくてはいけないけれども、基本は中央集権的な官僚システムを大転換することだと思っている。

もちろんその一方で、そうすると中央政府はいらないのかというような話をする人もいるが、私は中央政府はもう少し身軽で、しかしもっと強力な政権であるべきだと思う。今の中央政府では、危機管理、その他等々について、ほとんど権限も能力もない。
だから、その国の仕組みを大改造することだと思う。
Q. 捕捉して説明すると、フランスの場合1981年にミッテランさんが地方分権を進め、3500数十の自治体、そして96の県、36の州という風にし、教育あるいは福祉というのは3500の自治体に分権移譲していった。
日本について質問したい。長野のいくつかの市町村の例だと、若い女性たちをその地域にとどめようとして、例えば小中学校の給食費を無料化する、あるいは子育ての支援を充実するという施策を色んな自治体、地域でやってきたのだが、どうしても都会の生活の方が豊かなのではないかということで移転してしまうという実態がある。
なかなか小沢代表がおっしゃった、地方に権限を移譲するだけでは解決できない問題、都会の方が豊かで幸せな生活を暮らせるという思いがあると思うが、それについてはどう思うか。(フランス10)
A. 今君の言ったことは論理矛盾している。長野県が自分でやっているということであろう。私が言ったことはそうではない。県や自治体だけでは限度があると言っているのだ。
権限を移譲してもなんて、権限移譲した例があるか。何を移譲したのか。何もしていないだろう。金も移譲していない、全部補助金であろう。だから、そうやってもという君の論理はおかしい。

全面的に変えるのだ。今の中央主権の官僚機構で治めている国の仕組みを。もちろん国の基幹的な事は別だが、要するに、身の回りのことについては皆任せるということ。特に農業などは。
フランスは元々農業国だけれども、イギリスだって産業革命以来どんどん減って食料自給率が確か2,30%になった。今7割近くになっているであろう。何故だ。それだけ農業、食料自給の為に一つは政府がやったことと、一つは地方への、今ミッテランの話をしたけれども、そういう類の施策を講じたからだ。
だから、日本だってフランス、イギリスのやっていることを出来ないわけがないではないか。向こうより簡単だ。

でも、官僚機構のあり方を根本から変えることになるから、この抵抗が強いのだけれども、それは官僚の方もメディアの皆さんも勘違いしているのだ。何もかも中央官庁のことはだめにしてしまって、全部地方にというような感覚で捉えているが、今私が言ったように、中央官庁は外交や安全保障はもちろんのことですけれども、特に危機管理。日本は日本国憲法をはじめとして危機管理の条項が全くない。したがって、中央官庁も何も出来ない。
大災害で、この間の三陸もそうだし、その前の阪神もそう。非常に行政のごたごたが露呈された。そういうことではないようにしようということだ。

地方分権の考え方について、結いの党、日本維新の会との違い

Q. 江田憲司さんの結いの党、今維新の会と合流しようとしているが、江田憲司さんあるいは維新の会も地方分権、地方にどんどん権限を移譲していくのだと言っている。小沢さんと違いはあるのか、違いがあるとしたらどういう点が違うのか。(フランス10)
A. 私は20数年前から唱えている。江田さんや橋本さんが中身を具体的にどう言っているのか詳しく知らないので、彼らに聞いてほしい。私の考えはもうはっきりしているから。