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九成宮さん のコメント

>>7
自分では気をつけていたつもりですが、同じような意見を多くいただきました。
より気をつけたいと思います。

>>8
タイトルが長くなりそうだったのでこうしたのですが失敗でした。

>>9
文章の改善に取り組みます。

>>10
直感的な主張に反論するものの難しさが文章の難しさとなったと思っています。その上で無駄に文章が下手だとか、無駄に小賢しいという批判をいただいたと思いますので受け止めさせていただきます。
No.20
129ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
「生主パラダイム」があることでも知られている千葉県柏市で、3月3日に通り魔事件が起きました。 【関連】「馬乗り、何度も刺す 柏連続殺傷刃物男、大声上げ」東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014030502000116.html [ リンク ] 犠牲者が1人、軽傷が1人。他にもいろいろな人が被害を受けました。地域社会の恐怖は相当なものでしょう。犠牲者のご冥福を祈ります。 事件の概要についてはテレビ・新聞のほか、ネットでもいくつも記事があるので割愛します。そしてこの事件についてもネットの内外を問わず評論家や学者、政治家などの発言が相次ぎました。Togetterなどにまとめられていると思います。目についたものを言えば単純に犯人を批判し厳罰を希望するものや、犯罪の裏にある各種の構造を指摘するものです。 ライフログではどういう記事が適当か?速報もできればいいですが、他に理解を深める場だったり、議論したりする役割だったり、ひいて言えば理解を元に行動に移していくための役割などがあるかと思われます。 横山緑氏の解説記事批判とそこに見る構造 そんな中、ネットとニコ生を知る横山緑氏がこの事件について旧日刊ナックルズの東京BREAKIING NEWSにて記事を書いていました。 「柏市連続通り魔・竹井容疑者で売名するニコ生配信者の胸糞悪さ」東京BREAKING NEWS  http://n-knuckles.com/culture/net/news001350.html [ リンク ] 媒体が"ナックルズ"関連ということで、この媒体の視点はおおよそ「過激な事件の裏側を書く」スタイルであるかと思います。つまりテンプレで言えば、裏側を書いて叩いて、読者(+執筆者)が一般市民より深い事情を知ったという認識を基に溜飲を下げるというものです。今回その記事の批判のターゲットは犯人本人ではなく、犯人と以前交友があった人たちに向けられています。構図としては以下となります。 横山緑+読者(一般市民)→[嫌悪]→加害者の友人たち(+加害者) しかしこの文章をナックルズの読者というネットやニコ生にあまり詳しくないだろう人に見せれば、結構な確率で、または事件を単純に理解すればしようとするほど「ネットで放送している奴はやばい」「ネット自体もやばい」と思われないでしょうか。それが世論になったら巡り巡って横山緑氏にも降りかかってくる可能性があるわけです。 読者(一般市民)→[嫌悪]→加害者の友人たち(+加害者+横山緑氏を含むネット放送者+ネットユーザー) そして、横山緑氏はこの記事で自身がニコ生の生主であることもさらに大手であることを書いていません。しかし、それこそナックルズ的な物事の裏を知ることにこだわるなら、事件にかこつけて横山緑という(もう売名しなくてもいい)大手生主が、(売名をしたいと見なしている)中小生主を見下し差別視している、とも取れるわけです。 つまり彼の意図に関わらず、ポジショントーク的発言であることを逃れられないわけです。端的に言えば横山緑氏はニコ生的な、特に大手にありがちな価値観に囚われて売名史観(史観というのは、ここで言えばなんでも売名がまず奥底や発端にありそこから物事が発生したという考え方)のようなステレオタイプを発露したものと思われます。ちなみにこう見る私もこの見方が中小生主側・リスナー側のポジショントークであることは否定できませんし、もし大手生主だったらそういう見方で簡単に斬って捨てていたかもしれません。このような構図や無意識的なポジションを言及するかはともかく、最低限の意識をしていないと客観性は低くなっていくでしょう。 実は、この記事にはうまい点があります。前半部分の生理的嫌悪や横山緑のわがままだろうと思われる動機からの個人的叩きを、後半部分の「被害者もいる殺人事件ということを彼らが理解しているとは思えない」で正当化する論理です。しかし、こう丁寧に押さえてしまえば論理展開が強引であることはわかりますし、またそれは横山緑氏がニコ生でことあるごとに「12−13」というネタを笑いものにしている件について、彼自身にも降りかかってくる話なのではないでしょうか。この点もナックルズ読者にはわからない人が多いと思われます。この「12−13」と呼ばれる事件にも被害者がいて、ネット上でその言葉を見るたびに心を痛めているかもしれません。 ただしここは横山緑氏が特段に悪いわけでなく(視聴者の多さという影響力に伴う責任の大きさはあるでしょうが)、私たちも自然とコメントなどでそういうことをしていないかということにもつながります。この事件に限らず、あらゆる事件や炎上において、184などを使ってコメントしていなかったでしょうか。事件に関連して私たちがつきつけられている反省点です。 この稿は決して横山緑氏を責めるのをメインとしたものではありません。書いた内容は以上のように反発しますが、彼にもこう書いた事情があった、つまり構造があったと思います。そして濃淡の差はあるけれど、本件加害者の友人たちもやったことは良くないがそれだけでなくそうさせてしまう構造がある、(ひいては加害者も?)、というのが言いたいわけです。   この問題ではいろいろな論点があると思われます。稿をあらためて、加害者の友人たちの行為の意味合いと、事件をふまえて私たちができることがあるとすればそれは何かについて書ければと思います。 終わりに うまく書けていませんが、本稿執筆の動機の1つは「加害者はニコ生主だった」というステレオタイプに対する反発です。加害者がニコ生主だったのは半年前の9月から11月の間でレベルも9止まり、そのあとはコミュも放置されていました。しかしツイッターなど一部のネット上では「またニコ生か」「ニコ生はks」みたいな反応を多く見ました。しかし加害者のアイデンティティは摘発時の『ヤフーチャット万歳』といった発言からわかるようにヤフーチャットにあったように思われます。そして、横山緑氏が批判する加害者の友人たちも、アイデンティティはヤフーチャットにあるように思われますし、そこまでニコ生の売名にこだわっていたとは思われないのです。 実は私は加害者の友人による放送をたまに見ていたのですが、ニコ生で一般的に見られるいろいろな売名テクニックを使っていなかったり、リスナーの売名に関する入れ知恵を一部拒否していたり、というのを感じました。そして逮捕4日後には放送タイトルに事件の語句が見られなくなりました。本当に売名するならもっと長い期間事件のワードを放送タイトルにつけると思いますし、コミュニティやユーザー名ですら変更すると思います。そしてそこに直感的な生理的嫌悪感より哀れみの気持ちを強く感じてきました。 話は戻りますが、あるユーザーチャンネルの生主が3月末にも加害者友人をゲスト(ネタ?)に事件について放送を行い放送タイトルもそれをつけています。加害者の友人だけでなく、マスコミなどむしろ外野の「まなざし」も同じように問題ではないでしょうか。 記者名: 九成宮(きゅうせいきゅう) プロフィール: 某大学院修了。文系。リスナー目線+学術視点を取り入れた記事を目指す。配信計画を立てていたが諸事情にて凍結中、すみません。 Twitter: @9sei9
『ライフログ』生主ブロマガ
【生主(ネット放送者)が気ままに活動するチャンネルです。活動をおこなわない月もありますのでご了承の上入会お願いします。有料チャンネルですが無料チャンネルやユーザー生より凄いかというと特に違いはありませんのであまり期待なさらず、まったりとお楽しみください。】―

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