みなさんこんにちは。スリアロ零号機です。

今週の土曜日には「麻雀の鉄人 挑戦者勝間和代」が放送されます。
タイムシフト予約はお済みでしょうか?


鈴木達也、村上淳、石橋伸洋に数字の専門家勝間和代が挑戦します。
運営陣としても楽しみで仕方ありません。

個人的な意見では、鈴木達也プロの頭のオカシイ勝ち筋が見たかったりします。
みなさん、お楽しみに。


さて。
現在公開されている勝間さんのPVの中でもチラッとでてきた「神の一手」という言葉。


麻雀に「神の一手」はあるのでしょうか。


零号機はある派でして。麻雀においては決定論派といいますか。

勝間さんは麻雀を不完全情報ゲーム・ベイジアンゲームであるといち早く見抜いたそうです。勝間さんも仰っていましたが、麻雀打ちはあまり意識しなくても、自然と頭の中でベイズ理論を当てはめて打っているわけですが。勝間さんは麻雀ルール自体は若い頃からご存知だったみたいですが、本格的に麻雀に関わるようになって、たった一年もたたない内に麻雀の本質を見抜いたわけですね。ご慧眼恐れ入ります。


データを収集するのが面倒くさい麻雀というゲームですが、ネット麻雀のおかげで簡単に牌譜データを集められるようになりました。

とつげき東北さんの『科学する麻雀』はデータを元に「統計学」の観点から麻雀を解き明かそうとした言わずと知れた名著ですね。統計からの逆算的な考え方での書き方ではありますが、この本が麻雀の一時代、オカルトが横行し魔女狩りが公然と行われていた麻雀界のひとつの時代の終焉のきっかけになったのは間違いないと思っています。


「神の一手」があるのかどうか。

麻雀は状態数が多すぎて無理だという人がいます。
相手があるゲームだからわかるわけがない。不確定要素が多すぎて不可能だ――。

そんな考えの人が麻雀界にはかなり多くいるように思います。そんな「言い訳」が、引いては「オカルト」や「流れ」がはびこった原因だというのにです。「ない」っていうのは簡単なんですけどね。「わからない」イコール「ない」って人が多いように思うのです。人間の計算能力・状況判断能力の拙さから来ることに起因する、自我防衛の考え方は改めなければいけない時期に来ているのではないかと。

チェスはもうすでに人間は勝てない世界に入ってます。

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将棋は電脳戦でとうとうコンピュータが人間に勝てる時代が到来しました。不完全情報ゲームの代表のようなポーカーでも、ヘッズアップのリミットというかなり限定された条件ではありますが、コンピュータに勝てなくなりました。いずれポーカーにおいても多人数のノーリミットのトーナメント等でも最適解が求められることでしょう。ノーリミットはオールインがあるのでなかなか難しそうですがきっといつか克服されるでしょう。人間が想像できることは、人間が必ず実現できるはずです。

状態数が無限に近いからという意見は、量子コンピュータのような圧倒的な力技のシンギュラリティに駆逐されると思っています。PCの世界では、麻雀というゲームが3目並べのような子供のお遊戯レベルにまで引き下げられ、「天文学的数字」というロマン溢れる言葉は裸足で逃げ出す時代がきっときます。

地球が亀に乗っているとみんなが本気で信じていた時代のように。月でうさぎが跳ね回っていたあの日のように。

「何切る」で一喜一憂していた時代を懐かしむ未来が、きっと来ます。居酒屋の箸袋に牌姿を書いて、みんなで喧々囂々議論した日が、バカみたいに思える日がきっとくると。かなり近い将来、麻雀界のディープブルーが颯爽と現れると思っています。


そうなった時に。


麻雀は。
麻雀界は。
麻雀プロは。
いったいどこへ向かえばいいのでしょうか。

どうせコンピュータには勝てやしないとふて腐れて、俯いて、思考を止めてしまえばいいのでしょうか。

最後に零号機の好きな名言をコピペして今週のブロマガと致します!それではまた!


勝ち負けだけを争うものなら将棋にそれほどの価値はない。
思いがけない発想やドラマチックな逆転が共感と感動を呼ぶ。
感動的な俳句を作れないように、コンピューターに人間の共感を得られる
将棋は指せません。

――羽生善治

P.S.
ちなみに近頃の神はサイコロを振るらしいですね。決定論的じゃないという。
結局、世の中、運ですね。