いつも忙しくなかなか会えない彼に「今日だけは絶対」とお願いしてあった。駅前には大きく「花火大会」の横断幕が下がり、すでに遠くから、「ドーン、ドーン」と音が響いている。
会場になっている川のほうへ向かうと、花火は建物の影に隠れたり、また現れたりしながらだんだん大きくなっていく。同時に、内藤さんの気持ちも大きくふくらんでいく。メイン会場に渡る橋の手前で、突然後ろから話しかけられた。
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「あれ~、高橋さんじゃないですか!」
浅黒く日焼けした、ふくよかな体型のその人は、彼の仕事の関係者らしく、彼は「ちょっとごめん」と内藤さんに断ると、その男性と橋の端っこに寄り、仕事の話を始めた。
会場はもう目の前だったが、話がすぐ終わる様子はない。内藤さんは大きくため息をつくと、しかたなく屋台をのぞいて歩くことにした。橋の上には、ひしめくように建つ、たこやき、やきとうもろこし、チョコバナナの屋台...。ひとりで歩いていると、花火の音もまわりの人の声も、やけに大きく耳に飛び込んでくる。
内藤さんは、ベビーカステラ屋の前で歩みをゆるめた。屋台の前に小学4年生くらいの子どもたちが3人、じっと立っている。虫かごを肩に下げているから、きっと近所の子たちなのだろう。キラキラとした目で、おじさんの手さばきをみている。
内藤さんが「一袋ください」と声をかけると、おじさんは「あいよ!」と威勢のいい掛け声で、カステラをすくいあげ、素早く袋に入れてくれた。
「きみたちも、食べる?」
子どもたちは内藤さんを見上げると、ちょっと緊張した様子で、でもためらいなく首を縦に振って手を伸ばした。
そうして、そのまま子どもたちとカステラをほおばりながら橋を歩いていると、なんだか自分も小学生に戻ったような気がして、心がふわふわと軽くなっていくような気がした。
しばらくすると彼が「ごめん、ごめん!」とすまなそうな顔をして走ってきた。内藤さんは、一応ふくれっ面をして見せたが、本当はもうとっくに心は晴れている。
「本当ごめん。さ、行こう!」
あたたかく、大きな手が内藤さんの右手をすっぽり包みこむ。花火の音が、さっきより少しまあるく、優しくなったような気がした。