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こんにちは、すすろです。
今日から、全10回のリレー小説を始めたいと思います。
リレー小説「勇者の冒険」第1回/全10回
俺は今日から「勇者」になることにした。
「した」というのは、多少語弊があるかもしれない。
この村の男性はたいてい、「勇者」を生業としているのであり、それ以外の選択肢はほぼ考えられないからだ。
土壌がやせているこの地域は、農耕には向いていない。
仮に農業を行ったとしても、周辺には魔物が多く、すぐに荒らされてしまう。
だから、魔物を狩り、魔物から剥ぎとった素材を、他地域で取れた農産物と交換することで、この村は成り立っている。
魔物を狩る、という仕事を行うのが、いわゆる「勇者」とよばれる者たちだ。
「勇者」という言葉は、元来、「魔王を倒すという目的のために、魔物を倒しつつ旅をする者」を指していた。
しかし、現在は、その意味で使われることはめったにない。
「主に素材を得る目的で魔物を狩る職業」の意味になっている。
このような「勇者」は、「ハンター」とよばれることもある。
ただ、「勇者」の中には、素材を得ることを目的とせず、交易路の防衛や、鉱山・耕地の開発のために魔物を狩る者も含まれるので、必ずしも「勇者」と「ハンター」は同義語ではない。
俺の場合は、「ハンター」に当てはまる「勇者」である。
とくに、最近若い世代では、「ハンター」の呼称を用いる者が多くなった。
だけど俺は、あえて「ハンター」の言葉を使わず、「勇者」と言いたいと思う。
理由は、本来の意味の勇者の定義、「魔王を倒すために魔物を倒しつつ旅をする」ということに、憧れを持っているからだ。
そのような憧れは、誰にも話したことはない。
というのも、現在、「魔王を倒す」という考えは、非難の対象となるからだ。
魔王というのは、魔物をこの世に作り出す者のことだ。
それを倒すことは、魔物がこの世からいなくなることを意味する。
そうすると、この村の人々のように、魔物を狩って生計を維持している者は、生活の糧をなくしてしまう。
また、魔物対策の必要から、武具の需要が増え、武具産業は大きく発展した。
安価な武具を大量に市場に供給するため、武具の大量生産が進んだ。
いまでは、どんな小さな村にも武器屋・防具屋があり、安い値段でそれらが手に入る。
魔物の消滅は、これほど大きくなった武具産業の壊滅を意味する。
もし、魔物がいなくなれば、武具産業を維持するため、大きな戦争が起こり、人間同士の殺し合いが始まるだろう、と言う人もいる。
もはや、この世界にとって、魔物はなくてはならないものとなってしまった。
かつて、「正義」であった、元来の意味の勇者は、今では「悪」となってしまったのだ。
それでも俺が勇者に憧れる理由、それは、世界を変える、新しい世界を作る、という希望がそこに見えるからだ。
忘れてはいけないことは、魔物というのは、危険な存在でもあるということだ。
魔物は、人間を攻撃するという危険な存在だからこそ、それを倒すことが求められていた。
その素材を活用することは、副次的なものだった。
いまではその素材の有用性に目が向けられがちだが、多くの人々が魔物の犠牲になり、命を失っているという現実がある。
また、その危険のために、通行できない場所などがあり、人間の行動は制限されているのだ。
その状況に甘んじて、小さい世界で怯えながら日々を過ごしていく、というのが、今の俺の現実だった。
その窮屈な現実から逃れたいという願望が、勇者への憧れを、俺に抱かせているのだと思う。
小説第1回は以上です。
第2回は、気が向いた人が、気が向いた時に書くと思うので、いつかは未定です。
今日から、全10回のリレー小説を始めたいと思います。
リレー小説「勇者の冒険」第1回/全10回
俺は今日から「勇者」になることにした。
「した」というのは、多少語弊があるかもしれない。
この村の男性はたいてい、「勇者」を生業としているのであり、それ以外の選択肢はほぼ考えられないからだ。
土壌がやせているこの地域は、農耕には向いていない。
仮に農業を行ったとしても、周辺には魔物が多く、すぐに荒らされてしまう。
だから、魔物を狩り、魔物から剥ぎとった素材を、他地域で取れた農産物と交換することで、この村は成り立っている。
魔物を狩る、という仕事を行うのが、いわゆる「勇者」とよばれる者たちだ。
「勇者」という言葉は、元来、「魔王を倒すという目的のために、魔物を倒しつつ旅をする者」を指していた。
しかし、現在は、その意味で使われることはめったにない。
「主に素材を得る目的で魔物を狩る職業」の意味になっている。
このような「勇者」は、「ハンター」とよばれることもある。
ただ、「勇者」の中には、素材を得ることを目的とせず、交易路の防衛や、鉱山・耕地の開発のために魔物を狩る者も含まれるので、必ずしも「勇者」と「ハンター」は同義語ではない。
俺の場合は、「ハンター」に当てはまる「勇者」である。
とくに、最近若い世代では、「ハンター」の呼称を用いる者が多くなった。
だけど俺は、あえて「ハンター」の言葉を使わず、「勇者」と言いたいと思う。
理由は、本来の意味の勇者の定義、「魔王を倒すために魔物を倒しつつ旅をする」ということに、憧れを持っているからだ。
そのような憧れは、誰にも話したことはない。
というのも、現在、「魔王を倒す」という考えは、非難の対象となるからだ。
魔王というのは、魔物をこの世に作り出す者のことだ。
それを倒すことは、魔物がこの世からいなくなることを意味する。
そうすると、この村の人々のように、魔物を狩って生計を維持している者は、生活の糧をなくしてしまう。
また、魔物対策の必要から、武具の需要が増え、武具産業は大きく発展した。
安価な武具を大量に市場に供給するため、武具の大量生産が進んだ。
いまでは、どんな小さな村にも武器屋・防具屋があり、安い値段でそれらが手に入る。
魔物の消滅は、これほど大きくなった武具産業の壊滅を意味する。
もし、魔物がいなくなれば、武具産業を維持するため、大きな戦争が起こり、人間同士の殺し合いが始まるだろう、と言う人もいる。
もはや、この世界にとって、魔物はなくてはならないものとなってしまった。
かつて、「正義」であった、元来の意味の勇者は、今では「悪」となってしまったのだ。
それでも俺が勇者に憧れる理由、それは、世界を変える、新しい世界を作る、という希望がそこに見えるからだ。
忘れてはいけないことは、魔物というのは、危険な存在でもあるということだ。
魔物は、人間を攻撃するという危険な存在だからこそ、それを倒すことが求められていた。
その素材を活用することは、副次的なものだった。
いまではその素材の有用性に目が向けられがちだが、多くの人々が魔物の犠牲になり、命を失っているという現実がある。
また、その危険のために、通行できない場所などがあり、人間の行動は制限されているのだ。
その状況に甘んじて、小さい世界で怯えながら日々を過ごしていく、というのが、今の俺の現実だった。
その窮屈な現実から逃れたいという願望が、勇者への憧れを、俺に抱かせているのだと思う。
小説第1回は以上です。
第2回は、気が向いた人が、気が向いた時に書くと思うので、いつかは未定です。