ろうにゃくにゃんにょさん のコメント
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9日 前日の8日夜からのことだが、地元の仲間たちとラウンドワンのスポッチャに行ったのだった。 たまにはこんなこともしてみようぜ、と久しぶりに深夜から朝まで友人2人、サトルとケンジと遊んだのである。 夜22時ごろ、コンビニのイートインスペースでカップ麺を食べてから向かう。 数年前まで仲間たちと深夜に出かけてはこういうこともしてたが、最近ではあまり機会もなくなったので久しぶりだ。 そう考えると傾向として仲間たちも年相応になってきてしまっているのかなーとも思う。 まるでそれが悪いことであるかのように自然と考えている俺だが、彼らも生活に何らかの刺激が足りなくなってきていると感じているのは確かなようだ。 体を動かして遊ぶ深夜の遊びは楽しかった。 俺は肩や上半身の力は弱く、ピッチングやバッティングほか球技は基本的に苦手である。 バドミントンもやったが、サトルは高校のとき部活でやってたのでさすが動きが慣れている。 そのほかゴルフ、バスケ、卓球、射撃ゲーム、ビリヤード、ローラースケート、ゲーセンなどいろんな遊びを次々にやった。最終的に1時過ぎぐらいからはカラオケに入ったのだが、後半はずっとそこでカラオケをしていた。 体力を使い果たした感ある。 しかしこれも遊び仲間がいてできることである。こんな感じのレンタルニートを受付できたらおもしろそうだと思った。 午前4時過ぎ、地元に帰って終了。 サトルの車に乗っての帰り道、なんだか他2人が以前にも増して「日本の労働形態はこんなところが望ましくないよなー」というような話をしていた。 みんな30歳を迎えたわけだが、この年になるとその望ましくない習慣に従ってでも働いていくのが当然になってくる。きっと普段の生活ではこうした話題を扱える機会はなかなかないのだろう。やはり、今後も俺は彼らのよき遊び相手になっていきたいなーと思った。 こうした地元の友人たちとの遊びの中でレンタルニートのヒントを得た部分も大きい。 9日はその後川越の家でのんびりと過ごして終了。運動したことで体に疲れがたまっている。 10日 今日は2月10日のニート祭り。 NPO法人ニュースタート事務局が毎年開いているニートの集会だ。 内容としては朗読劇とトークショー。 毎年来ているので、ニートなりの当事者たちの本音が聞ける、いつも変わらぬよい場であると思う。 今回はここ数年出ている山奥ニートの葉梨さんのほか、ニー株の若新会長がトークショー出演者として出ていた。 若新会長はさすが、最近ニュース番組のコメンテーターもやってるだけあってよく喋る。 ニー株の企画者ではあるが、この中でニート的要素が一番薄い人間でありながら割とニートの本質をよくわかっている。見た目から誤解を生むことも多いだろうが、ガチニートが多数集まる今回の来場者たちからの反応もよかったのではないだろうか。 葉梨さんは12日にひばりヶ丘シェアハウスに来るという。 今日はほかの来場客が彼と話したがってるだろう。2日後にまた話せばいいと思い、終了後、軽く挨拶だけして俺は帰ることにした。 11日 最近思い出したので、川越の家に戻ったタイミングで昔の思い出を取り出した。 幼稚園のときの、担任の先生が作ってくれたバースデーカードである。「飛び出す絵本」みたいな感じのギミック付き。これ、こうして見ると子供たちにそれぞれ手作りするってすごい。 俺はこれを大学留年していろんなことに悩んでいた頃に家の収納から見つけたのだった。 大きくなったら「おもちゃやさん」になりたいと書いてある。 これを見つけた時、俺はまさに「可能なことならバンダイとかのおもちゃメーカーに就職したい」と就職について考えていた時期だった。ちらっと思う程度でそこまでの本気度ではないが。 「やっぱりそうだったんだ」、と嬉しくもなった。 子供のころから大学時代を経て今までも、プラモデルやゲームやカード遊びなんかが大好きだ。 ここまで熱中するのであれば、それはこれらおもちゃを扱う仕事をした方がいいと改めて感じている。レンタルニートで遊びを仕事にしているわけだが、やっぱり俺は遊びが好きだ。 遊戯王のデッキをたくさん作って配る活動も本格的に始めたが、これが本当に楽しいので何らかの形で仕事にしたい。 ただの趣味であったプラモデル製作も、こうなれば今後より本気になって取り組んでいきたいと考えている。やるべきことは決まっている。「今後どうするんだ」というような他人の言葉に耳を貸している場合じゃない。
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