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rateさん のコメント

私もあがり症で苦しめられましたが、それでも表向き「出来る奴」と思われていたのが災いしてやたらと機会が舞い込んでくる経験をしましたね

その経験から私が一つ言えるのは「あなたがその場に立った時、”その責任を担ったあなた”を笑える人はいない」ということです

結局長気にするのは自分だけなんですよね。恐らく先生だって「あなたのような生徒は普通にいる」と思って今はせいぜいあの生徒か~と思う程度です

私は他の生徒に比べて多く「前に立つ機会」がありましたが、これは誇るべきことで、多くの有象無象よりも秀でていた証と考えるべきです
彼らは「前に立つ機会すら与えられなかった」のだから。せいぜい責任を押し付けて小馬鹿にするだけです

当人としてはあがり症である事は辛く苦しいと感じます。しかし仮にあがり症が元で失敗したとして、他人があなたの奥深くの部分までけなしたり嗤うことはほとんどないのですよ
いたとしてもそれは交友関係の歪みなだけであって、その人と距離を置けばいいだけの話です
No.4
100ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
<提供元サイトで全文を読む> 多くの人が様々な悩みを抱く思春期。 その多感な時期、私を最も悩ませたのがあがり症でした。 中でも最も苦手だったのが教科書の音読。 赤面しながら震える声で読んだ失敗に悩んだり、先生が音読の指名をする時、猛烈な速さの鼓動を胸に感じ、大きなストレスとなっていたあがり症。 どのようにして改善していったかを伝えることで、同じ悩みを持つ方々のお役に立てたらと思い、私の経験を語っていきます。 あがり症を初めて認識した出来事 元々ちょっと目立つのが好きで、クラスの皆の前に出て話すのが好きでした。 でもそれは何か一言を話すとか友達と一緒に何かをするとかそういった場合が多かったです。 学芸会もセリフが短くて、もっと長いセリフが欲しいなあと思うくらいでした。 まとまった時間、人前に出て一人で話をした経験がなかったんです。 ところが小学校5年生の時のこと、平和な学校生活を大きく揺るがす事件が起きたのです。 それは国語の時間でした。 クラスメートが教科書を音読している最中にも関わらず、友達とおしゃべりとしていたら、先生に次の音読の指名をされたんです。 そこで私はそれまで喋っていたのと同じ調子で教科書を読み始めました。 ところが読んでいるうちにだんだんと心臓の鼓動が速くなり、顔が赤面してくるのがわかりました。 5~6行読んだくらいでしょうか声が激しく震え始めて、きちんと読めなくなってしまったんです。 教科書を持っている手もブルブル震え始め、机に教科書を置かざるを得ませんでした。 もうどうにもならず、うつむいて読み続けました。 心臓も尋常ではない速さと大きさで拍動しているのを感じ、もう読むのをやめてしまいたいと思ったのですがとにかく段落の終わりまで震える声で何とか読みました。 先生の 「はい、そこまで」 という言葉で、ようやく拷問から解放されたような気持でした。 震える声で教科書を読んだその国語の授業が終わった休み時間、友達に何を言われるか不安でした。 でも私の不安とは裏腹にそれをネタに笑ったり、からかったりする子がいなかったのは幸いでした。 それでも私の恥ずかしいと思う気持ちには変わりなく、本読みで失敗した経験は私の脳裏にしっかり刻まれて、トラウマとなってしまったのでした。 その日を境に国語の時間、社会の時間など先生が教科書を生徒に読ませる教科の授業は常に不安を持って受けることになりました。 毎回その日学習するページを見て、音読がありそうかを推測するのが欠かせなくなりました。 思わぬところで、先生が 「教科書のここ、読んでもらおうかな」 という時はもう心の中ではパニック。 急に心臓がバクバクと拍動を始め、指名されないことを全身全霊で念じていました。 それで先生も恐らく私のビクビクしている雰囲気を察してくれたのでしょうか、突然の音読ではほとんど指名されることはありませんでした。 あがり症との付き合い <続きを読む>
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