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私たちは今資本主義の終焉を目撃しているって知ってた?(その1) の続きです。
(その1)では、囲碁でプロを破った人工知能「DeepMind」の例を紹介しました。「DeepMind」は google が後から買収したものです。設備の整った大企業や大学でなくてもできる研究はどんどん増えています。つまり、大企業や大学に資本を集中させることが、最適ではなくなっています。
もちろん、囲碁を破るには何十億円という莫大な費用がつぎ込まれたそうで、そこに資本は必要でした。でもそれは、いわば第二ステップ。
「DeepMind」を伸ばすには資本が必要ですが、では「DeepMind」を「生み出す」には、社会としてどうすればいいでしょうか。
社会は、その課題に対して無意識に反応しています。
「イノベーションの民主化」が起こった今、誰もがイノベーション、すなわち新しい価値を生み出す可能性を持っています。
ですから、優秀な人材に集中しすぎて、落ちこぼれをたくさん出すよりも、落ちこぼれを一人でも減らして、誰もが義務教育レベルの勉学を修めるほうが、新たな価値が生まれやすくなります。識字率が99%なところを義務教育到達度を99%にするのです。
何も全員が学校のテスト100点を目指すという意味ではありません。識字率99%ったって、全員が漢字のテスト100点取れるわけではありません。日常生活に困らない程度、50点でいいのです。
子供は落ちこぼれてしまうと、その学年で止まります。小学校3年で算数についていけなくなると、中3のときに、まだ小3のレベルです。それをなくさなければなりません。そのために今いろんな取り組みがされていますし、eラーニングや個別学習など具体的なアプローチが成果を上げ始めています。
日本中の子供達が義務教育を落ちこぼれることなくそこそこに到達すれば、それぞれの子が身近にある問題を解決するのに力を発揮します。最近学生が何かを発見したとかこんなユニークな研究をしたとかいうニュースが珍しくなくなりました。
この力は無数の社会問題を解決する力にもなります。たとえばでっかいダムを作れば解決するような問題は国によって進められてきましたが、そういうのはもう一巡して、各地域ごとの個別の問題がネックになり始めています。
たとえば、一口に交通弱者問題と言われますが、かつてのバス鉄道という対応では立ち行かなくなり、各自治体が取り組んでいます。問題は、たとえばどこかで新しいオンデマンドバスが成功したからといって、それが全国どこでも使えるわけではないということです。各地域に個別の事情があり、他で成功した方法がそのまま使えないことが多いのです。
逆に言うと画一的な対応で解決できる問題は、いままで国や自治体が右習え政策でばんばん解決してきたのですが、それで対応できない問題が残っているのです。
こういう問題は自治体ごとに工夫していかなければなりませんから、数が多すぎて、国のエリートに解決はできません。一人でも落ちこぼれを減らして立ち向かっていかなければならないのです。
そうやって、多くの人が問題解決に取り組むことによって、時に非常にインパクトのある成果が生まれやすくなります。「DeepMind」のように。
つまり、お金持ちが自分の子供にお金をつぎ込み育て、その子がエリート校に入って、エリートになったとしても、いまいちかゆいところに手が届かないのです。昔は、金持ち優遇、大企業優遇すれば、そこからすごい製品が出て、日本も便利になるし、輸出も増えて金も儲かるしといい面があったのですが、もはや、その効果は色あせているのです。
今は、もはや一人として落ちこぼれを作らないことが重要なのです。すべての国民にあまねく教育をというのは、理想論などではなく、そうしていかなければ、社会の無数の問題を解決できない時代なのです。
これはつまり国際競争でもあります。実際なんだかだと言って、日本の全体としての教育レベルは高く、それゆえに国際的にも遜色ない問題解決能力を持っています。
この究極の議論が BI、ベーシックインカムでしょう。とりあえず全国民に毎月たとえば8万円払うよという話です。それでやっていく分には働かなくていいよという政策です。
日本では税金の国民負担率が低いため、BIを入れようとすると国民負担率が急激に上がるため、まだまだ入れられないでしょう。
でも、もともと国民負担率が高いところは、やり方が変わるだけなので、実際に導入が検討されているところも出てきています。
義務教育を修め、BIでとりあえず食うために働かなくていいようにすることで、全国民に思い通りに創造力を発揮してもらうことができるようになります。日本でいうところの「一億総活躍社会」を具体化した一つの形でしょう。
うまくいくかどうかはともかく、この仕組みは、資本を局在させ、豊富な設備と優秀な人材を集めることで、効率的に付加価値を生み出してきた資本主義とは根本的に異なる考え方です。
BIを始め、このようなアプローチが実を結び始めれば、その創造力は、資本主義創造力を大きく上回ることでしょう。そうなれば各国は我先とそのシステムに移行していくことでしょう。
そこまで行けば、新システムには名前も付いているでしょうし、はっきりと資本主義は終わったと認識されることでしょう。
でも、すでに資本主義は終わっており、私たちは流れるように新しいシステムに向かって進んでいます。もう落ちこぼれを作ってられないというのは理想論ではなく、疲弊した地方が必要な人材を確保するための喫緊の課題であり、今は誰もが今は資本主義だと思い込んでいても、新システムに向かって進んでいます。特に資本主義を攻撃する必要もありません。つまり、資本主義の終焉から新システムへの移行は、破壊的な経済混乱を経るわけではなく、気付いたら変わってたという感じになるでしょう。
そういう意味で新システムに移ったねと広く言われるようになるのは、ずっと先のことになるかもしれません。
しかし、これからは、wikipedia の資本主義の項目を見る人が、この文章を読んだ時、
基本原理としては生産手段を持つ資本家が、生産手段を持たない賃金労働者を使用して利潤を追求する社会システムなんか、この文章おかしくね?今こんなシステムじゃないよねと思うようになる頻度が日増しに増えていくことでしょう。
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: 資本主義は終わり、一人も落ちこぼれを作らない社会へ、か。別に両立するんじゃないですか?
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