批判が多すぎて意味がわからないのだけれど日本っていつからこうだっけ? 

 「熊本地震以降、必要な情報を集めようとネットで調べることも多いのだけれど、うんざりする話が多くて困って」いるというお話なので、解決策を。

 読まなきゃいいだけです。

 そこに例が挙がっているのですが、
井上晴美が自宅全損したとブログに書けば批判されたり、
割り込み給油してた関西テレビが批判されたり、
オスプレイが政治利用されてる批判がされたり、
ボランティア団体が御船町に入ったら批判されたり、
紗栄子が500万寄付したら売名行為って批判されたり、
余って廃棄されたおにぎりが出たとか批判されたり、
被災地の前で取材してたTBSが批判されたり、
雨の中焼き芋配ってる人を取材したミヤネ屋が批判されたり、
 私は見事にどれも読んでません。タイトルは知ってますけど。最後のミヤネ屋のは存在すら知りませんでした。

 割り込み給油の話は、その後こんな記事が出ていて興味深かったです。

 テレビ局スタッフによる弁当ツイートとガソリンスタンド割り込みは、マナーやモラルの問題ではない。(中嶋よしふみ) - Y!ニュース 
 
 この件は二次災害を起こしかねない重大な問題で放送局のありかた全体に警鐘を鳴らしています。

 話元に戻しますが、例として上がっている批判はどこかで見たことあるようなものばかりで、一通りパターンを知ってしまえば、タイトルを見れば内容はわかります。
 批判に限らずニュースなんてそんなもんで、今も SmartNews 開いてみたら、ニュース10個中の9個くらいはタイトルだけで十分です。
 たとえば、「「野党共闘、更に深化させていくべき」小沢一郎氏」とかあって、あー、昨日の北海道の選挙で与党が勝った後の反応なのでしょう。私にとっては特に今すぐ読まなくていい記事のようです。
 批判が多いのは嘆かわしいことかもしれませんが、実際にはこういう無数にある記事のごく一部であり、慣れればタイトル見て無意識にスルーされていくことでしょう。

 元記事の方も今回熊本地震について詳しく調べているうちにあまりの批判の多さに驚かれたのでしょうが、これからはスルーしていく力が身につき、困ることもなくなるでしょう。

 そして、そのみんなのスルー力こそが、多すぎる批判を抑制する力となります。

 批判そのものはなくなりません。ここミラフツも昔は無料記事がたくさんあったので、たまに炎上していましたが、だいたい1万人に読まれると、乱暴なコメントをする人が現れます。もう少し多くの人に読まれて、そういうコメントがいくつか重なると、連鎖反応が起こり炎上が始まります。

 それ自体は防ぎようがありません。

 たとえば、今18歳は120万人くらいで、東大の入学者数は3000人くらい、つまりなんと400人に一人は東大に入っています。

 いわゆる医学部の理科三類は100人、つまり1.2万人に一人です。乱暴なコメントをぶつけてくる人も1万人に一人くらいで、つまり東大医学部くらいの激レアキャラです。

 たったそれくらいしかいない激レアキャラたちによって炎上は始まります。

 炎上が始まれば、それに乗っかる人はもっと遥かに多くなるので、燃え上がるわけですが、それでも乗っかってくるのは、せいぜい400人に一人つまり東大生くらいです。それくらいレアキャラです。

 東大生と東大医学部生だけで、大学生を語るのがばかばかしいように、炎上に参加するごく一部の人を見て、「日本っていつからこうだっけ? 」と社会を憂うのもばかばかしいことです。世の中にはいろんな人がいる、それだけです。

 でも、その先は少し考えどころです。たとえば「井上晴美が自宅全損したとブログに書けば批判」というのは、どこで知ったでしょう。おそらく「メディア」ですよね。直接彼女のブログを見て知った人はほとんどいないはずです。

 ではなぜ「メディア」はそれを取り上げるのか。それは「読んでもらえる」からです。メディアはそれらが読まれることを知っていて記事にしますし、実際読まれることで、メディアはさらに記事を書きます。もし、反応が薄ければ「メディア」はさっさと次のネタを探しに行きますし、私たちの大半も彼女のブログが炎上したことを全く知らずにいたことでしょう。

 したがって、乱暴な批判をなくすことは難しいですが、それを取り上げる記事は今後減るでしょう。今はまだそういう記事を読んで、ひどい批判だと憤る人も多いようですが、一通り経験すればそんな話題に飽き飽きするからです。実際私もほとんど読んでなかったわけです。開かれない記事は多くなり、「メディア」も取り上げることが減っていきます。

 とはいえ、若い人を中心に、そういう経験をしていない人はいつまでもいるわけで、今後も乱暴な批判が取り上げられ、ある程度読まれること自体は無くならないでしょう。
 が、暇つぶしに消費されるその他の下世話なゴシップとして扱われるようになり、つまり棲みわけるのではないでしょうか。

 嫌韓記事もすっかり目につかなくなったように。その手のサイトに行けば、今でも大量の記事が生まれていますが、そういうのが読みたい人のためのものとして棲みわけが終わっており、その他大部分の人はもう飽きていて、見かけてもスルーされ、大々的に共有されることはありません。

 ネットの鉄則「荒らしはスルーで」。行きすぎた批判も「荒らし」と思われ始めた時点で、スルーされる運命にあるのです。平常時のいきすぎた批判は流行らなくなることでしょう。

 とはいえ、熊本地震のような大災害は滅多にありませんから、そのような時は思わずいきすぎた批判も読んでしまう人も増え、たくさん拡散してしまうかもしれません。そんな時は自衛しかありません。しっかり意識してスルーしましょう。


《ワンポイントミライ》(

ミライ: 言いがかりみたいな批判、早く下火になるといいですね。

フツクロウ: 今がピークじゃないかと思うんじゃがの。