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藤代裕之さんの記事を拝見しました。
なぜMARCHの学生は、大学に入ったら東大生より勉強しなければならないのか - ガ島通信
そのタイトルの問いに私が答えるとしたら、
MARCHは今日本で一番熱い課題に取り組めるから
でしょうか。
東大を頂点とした大学の仕組みは、優秀な人材を集めるという機能と共に、そういう人材を国や大企業にマッチングさせるという機能も担っています。
この仕組みは戦後の昭和で大そううまく働き、日本は一気に豊かな国になりました。
一方で、国や大企業が力を発揮しやすいところは、一通りやり尽くしてしまい、最近の国や大企業の活動は、国民の豊かで活発な経済活動につながりにくくなっています。日本のエリートが結集しているであろう日銀の金融政策は、金融業界を一喜一憂させ彼らの活動には直接つながるものの、私たちの暮らしにはほとんど影響がありません。金融業界が金融政策の効果をすべて吸収してしまうのです。
東大などのエリート校から輩出される人材は、当然国や大企業などグローバルな組織に行くことが期待されます。しかし、その輩出先の組織の活動は、この日本をより豊かにしようとするものの、どこか「あさって」の方向なのです。
今日本をよりよく、より豊かにするために直接効く活動は、その一段下から広がっています。上でMARCHが取り組む課題が「一番熱い」とは書きましたが、日本に点在するそれぞれの道の駅で飛ぶように売れる人気商品を生み出すことだって、同じくらい「熱い課題」です。
たとえば、私が通う離島では、地元の工夫で畑の上に太陽光パネルを隙間を設けて設置して、なかなかうまくいっています。
ではそれを広めるには、その仕組みがうまくいく条件はなにかとか、広げる仕組みとか、より俯瞰的な視点も必要になります。
それがどこでもうまくいく場合には、いわゆる国や大企業が大活躍できます。しかし、そういうのは一巡してしまっていて、畑の上発電みたいなのは、そうなりません。きっとどこでもできるわけではないし、おそらく地域地域でその地域の事情にあわせた工夫をする必要あるのです。
今こういうちょっと工夫すれば他の地域でも使えるような成果が、日本の至るところで生まれています。
そういう成果を拾い上げ、それが他ではどういうところで活かす事ができて、またどう一工夫すればその場所でうまくいくか、といった問題を扱うのに、MARCHというのはベストな立ち位置にいます。
たとえば地方大学であれば、よりその地方に密着した活動になり、それはそれで「熱い」です。
一方、MARCHであれば北海道の成果を東北から九州までそれが有効な場所に広げていける立ち位置にあり、つまり日本全体に影響力させる潜在的な力を持つ点で「一番熱い」のです。
しかし、そのような課題を解決するのはもちろん簡単なことではなく、必要な勉強はたくさんあることでしょう。でも、上で例に出した「道の駅で飛ぶように売れる商品を開発する」場合も、必要な勉強はあります。どんな課題だってそれに取り組むには必要な勉強があるのです。
自分たちが一番活躍できる課題を見据え、それに取り組むべき勉強をしましょう。東大などトップ校から将来国や大企業に行くのであれば、象牙の塔にこもりっきりで勉学に励むというアプローチもありですが、たとえばMARCHでは、一定期間地方留学くらいのフィールドワークが重要になってくるでしょう。都会で机上の空論こねてても成果は出ません。
でも、努力という点では、なるべく楽しい方法を見つけましょう。私は東大行きましたが、何度考えても「勉強が楽しかった」から受かっただけです。勉強時間は膨大でしたが、それが努力だったのかと言われてもよくわかりません。
それでも、何かに取り組む上で、いくつか「弱点克服」は必要になります。「自分はその弱点克服が苦手」と思う人いるかもしれませんが、心配ありません。
子供のうちはみな「弱点克服」が苦手です。
でも大人になるにつれ、その力が伸びます。地方から東京に出た人が、訛りが恥ずかしいと感じて、一気に直したりするようにです。そのように辛い「努力」はピンポイントに的を絞って取り組めるように、他のとこではなるべく楽しんで取り組めるように工夫しましょう。
私は歴史が苦手ですが、子供のたちのためにと図書館から借りてくる歴史マンガが、昔に比べてずっと読みやすくて楽しくて、仕事の合間に楽しく読んでます。これが自分のときにあったらなあ。(蛇足ですが、あるところから歳とるにつれ、「弱点克服」は面倒になっていきます)
英語が苦手なら、とりあえず「英語物語」始めるとか。
逆に言うと、努力しないといけないことがあまりにたくさんあるなら、根本的に身を置く分野を変えることも考えるべきです。所ジョージさんの名言「苦労とか努力っていう人はたぶん才能ないんだと思う」有名です。(ミラフツでも取り上げました)
そして、しかし、何かに取り組んでいれば、必ず困難な場面が現れます。そんな踏ん張りどころには粘り強さが必要です。でも、その力は東大出身が一番というわけではありません。私自身は、学生の頃、ご飯食べさせてもらってた居酒屋のペンキ屋さんとかの常連さんたちから、学びました。
東大の人は、むしろ、なんでもスマートにやる方がかっこいい精神を持ちますから、泥臭いところ見せたがりません。でも、社会の大人たちは、そりゃもうただ粘るだけで物事やり通す人が五万といるわけです。それをまた、おっちゃんたちは、居酒屋で学生の私に自慢そうに語るわけです。居酒屋のおっちゃんのトークなんて、この世でもっともうざいものと思う人もいるかもしれませんが、私はなぜか好きでした。
おかげで、踏ん張りどころに必要な粘り強さとは、勉強とは別のものであることを学べたし、おかげで人生節目節目の踏ん張りどころで粘り通せたこともありました。だめだったときもありますけど。
そんな粘り強さとはどうやって鍛えるものなのか、私自身はよくわかりません。身も蓋もない言い方をすれば、苦しかった時、あのペンキ屋のおっちゃんたちですらできるのに、自分ができないとか悔しい的な対抗意識こそが原動力だった気もします。
それはあまりに身も蓋もないので、もう少し言い換えておくと、踏ん張りどころに必要な粘り強さは、学力に関係なく多くの人が持っています。その気で周りを見ればいくらでも見つけられるのではないでしょうか。今、暖かい食事を作り続け、自分たちは冷たい缶詰食べる自衛隊の姿とか?
そんな中から自分のロールモデルとなる人を見つけ、その人のやり方を取り入れるなり、心の支えにするなり、私のように対抗意識を燃やすなり、原動力にしてふんばるということでしょうか。
強いモチベーションに突き上げられる人もいます。祖母の介護がうまくいかず、家族同士がぎすぎすした経験から、介護をよりよくしたいと介護機器を粘り強く開発している知り合いを思い出しました。
いずれにせよ、踏ん張りどころに必要な粘り強さは、学力関係なく誰にでも身につけられるチャンスがあります。
その力が欲しいと思う人は、手に入れられるし、別にと思う人は入れられないものなのかもしれません。
ある程度はテクニックも効きます。たとえば毎日(あるいは継続的に)取り組むということです。どんなに好きなことでも毎日やってると嫌になるときがあります。ある子供がゲームやりたいと言ったところ、親から毎日やれと義務化され、やがて嫌になったというエピソードを聞いたことがあります。それを乗り越えて毎日できることは、一つの粘り強さです。
もし今毎日やっていることがなければ、なにかやってみるといいでしょう。長男は、最近「英語物語」の連続ログイン数が365日を超えました。嬉しかったようです。
なにかを毎日できるようになれば、弱点克服や粘りが必要な場面で、毎日少しずつできることに分解して取り組む作戦が取れます。たとえ少しずつであれ毎日取り組むと着実に進みます。
「なぜMARCHの学生は、大学に入ったら東大生より勉強しなければならないのか」
MARCHは今日本で一番熱い課題に取り組めます。そのために必要な勉強に取り組んでください。東大生はそれ以上に勉強するかもしれませんが、その結果入っていく国や大企業のやることは、今の日本のかゆいところに手が届きませんから、引け目に思うことはありません。
なるべく要領よく楽しく学んでください。弱点克服の訓練だって、工夫して楽しくやってしまえばいいのです。それでも時には努力は必要でしょう。それでもここぞという時に絞ることで負荷をコントロールしましょう。
でも、何か成果を出すには、必ず粘り強さが必要になります。どの大学に行こうか、どんな人生を送っていようが関係なく直面する問題です。いい大学かなど関係なく身につけられますが、誰かが教えてくれるわけでもありません。いろんなアプローチがありますから、自分で工夫しましょう。なにかを毎日続ける訓練は、実践的な効果があります。
ここでは MARCH に焦点を当てましたが、その他地方大学や大学でなくたって、それぞれの「熱い」課題があります。それぞれの課題に必要な勉強をできれば楽しくやり、時に努力もし、そして粘り強く取り組みましょう。
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: なんか思いがけない結論になりましたね。MARCH が一番熱い!
フツクロウ: 熱い!
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