閉じる
閉じる
×
東京発広島行き最終のぞみはよく乗るのですが、今東京発新大阪行き最終のぞみに乗っています。明日京都で仕事なので。
少し前に EX-IC で予約を取ったのですが、金曜の夜、案の定ほとんど満席。三人席の真ん中しか取れません。
でも乗ってみると結構空席があります。新横浜過ぎても斜向かいに二人席がまるごと空いてたので移動。
飛行機でも新幹線とかでも、空き具合を見て指定された席を移動したことある人
きっと多分今はあんまりいないと思います。
だって、自分が若い頃と今で、明らかに移動する人減ってます。
新幹線では、自分は電源欲しいのでほぼいつも窓際です。すると三人席の私の隣にちょこんと座る若い人がいて、それは男子のこともあれば女子のこともあるのですが、でも通路側空いてたりするんです。どう考えても通路側はこの先埋まらなそうで、逆の立場だったら即通路側に移動するような状況で。
ルールですからそうするのはよくわかるのですが、いや、実はそんな単純な話ではありません。
東京に住んでいた頃は、あらゆることがルール化されていました。マンションのゴミ出しとか。そして幼稚園のイベント。ビデオはここで撮るとか隅々行き渡ったルール表が配られました。概ね疑問ほぼない完璧さです。うわー、東京すげーと何度も思いました。その後の小学校も同等の緻密さ。
で。
福山市に引っ越した時、最初はかな〜り戸惑いました。
子供が小学校転校するじゃないですか。で、例えば、「保護者は何時にここにきてください」と指示があって、行っても誰もいないのです。声かけると「あ〜あ〜あ〜あ〜」って感じで対応が始まるのですが、「段取りしてなかったやろwww」まるだし。
その代わり融通は効きます。ルールは細部まで決まってないので、お互いの事情に合わせて臨機応変。
自分が子供のころはそうだったし、なんかそれに戻った感。
が、東京で細かくルールが決まっていた理由は、よくわかります。だって決まってないと、そのルールの隙間を縫ってとんでもないことする人いますし、単純にすごい混んでて「ビデオはここで」とか厳格に決めとかないとカオスになることは想像に易いです。
で、その緻密になった都会が新幹線ではそのまま現れているなあと思います。地方の人はあまり新幹線に乗らないでしょうから、ルールから外れていいものかよくわからないでしょうし。
で、特に若い人は、そういう状況で融通利かして席を移動するなんて考えたことないだろうなとも思います。私だってそれを覚えたのは、若い頃、「おっちゃん」たちがそうやってたから知ったわけで、今はそうする「おっちゃん」たちが減ってますから、それを学ぶ機会もありません。
この変化の時代に、それは不利な戦略です。
法律は、人々の利害を、ある時代において、程よく調整するためにできているにすぎません。
昭和からかなりの時間が経ち、いろんな法律がイミフになっています。もう価値観が違うからです。
そんな中、行動するには、単純にルールを守ってれば「楽」というずぼらから、ちょっと距離を置いて、ちょっと工夫すれば、いろいろ幸せが増えます。
三人席の真ん中から私がいなくなれば、その隣の人たちはずいぶん楽になります。
もちろん、移動したことでごたごたが起きるかもしれませんが、私はそんなことに対応できるくらいの経験は積んでいます。
私は学生の頃東京に住んで、そのあとしばらくアメリカにいて、また東京にしばらく住みました。そんな中、明らかに「したたかさ」あるいは「融通」は消えて行きました。
そんなものかと思っていたら、福山に越したら、そこには、知ってる「したたかさ」あるいは「融通」が普通にありました。
そして、今は変化の時代。「したたかさ」あるいは「融通」がより幅を利かす時代です。
都会どっぷりの人は、少し、この「したたかさ」あるいは「融通」を取り戻してはいかがでしょうか。
《ワンポイントミライ》
ミライ という、中の人の嘆願で終わったわけですが。
フツクロウ www まあ、都会の融通の効かなさは、格別じゃからの。
ミライ 中の人は東京住んでたのに、今はそれに対応しきれないですからね。
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。