ihayatoさんの紹介された本のメモに書かれていたことが衝撃的でした。

 シャッド・マルナ「犯罪からの離脱と『人生のやり直し』(Making Good)」 

 学術書ということで大変難しく書いてあるのですが、どうやら次のようなことが書いてあります。

 元犯罪者は、犯罪から離脱するために、犯罪を犯した過去は恥ずべきものであるのに、離脱した後の新たに見いだした使命への必然的な序章として非常にポジティブに捉え直していた、と。

 人生をやり直すために、過去を客観的に冷静に受け止めるのでなく、「意図的に認知を歪ませる」というのです。

 あぁ、これきっと自分だぁぁ。別に犯罪者じゃないけど。子供の頃っていっぱい悪さしてるはずなのに、私にとって自分の子供時代は、まさに、大人になって「新たに見いだした使命への必然的な序章」として存在しています。

 今目の前にいる二人の子供は、まったく思いもよらない悪さや失敗をします。どんなに受け止めなければと思っていても、「ありえない」と口に出てしまうことがあります。なんとか踏みとどまっても反射的に(バカなの? 死ぬの?)と心の中であきれかえってしまうこともあります。きっと彼らはその様子に気付き、大いに自尊心を痛めていることでしょう。

 自分だってその頃は明らかにおんなじようなことしているはずなのに、「あ〜、そういえば、おいらも昔そんなだったよ」と共感するのにものすごく手間がかかったり、どう考えても「俺はそんなことはしてねぇ」としか思えなかったり。

 結局大人になるために、自分の過去を再構成してしまうのでしょうか。はちゃめちゃな子供という過去を、大人の自分が納得できる範囲の分別のある子供としての再構成です。たまに悪いこともしてたけど、それは魔が差した程度で、しかもその悪さを通して貴重な体験をして、自分は大きく成長したというように。その分別のある子供に比べたら、自分の前の子供達はめちゃめちゃです。自分がこんなはずだったわけがありません。でも、実際はこんなだったんでしょう。「意図的に認知を歪ませて」再構成しなきゃとても生きていけません。

 そうやって、大人は、昔子供だったはずなのに、子供のことが理解できなくなるのではないでしょうか。

 ところで、子供はいつどうやって子供の頃の記憶を歪めて大人になっていくのでしょうか。大人や友達に子供っぽい言動をたしなめられて行くうちに、自らの子供っぽさを封印し、過去も歪めていくのでしょうか。

 紹介された本には、もう一つ、気になることが書かれています。「現役の犯罪者」の傾向についてです。