SOHOやフリーランスが新しい生活サイクルを編み出しているかもしれません。
1日24時間って短いって思ったことないですか。明らかに短いですよね。
じっと子どもたちを観察しているのですが、子どもにすら短い気がします。彼らの1日をざっと図にするとこんな感じです。
家に帰ってからは、遊び・勉強・風呂・食事などを次々こなさなければなりません。
しかし、遊びから勉強に切り替えるにはかなり時間がかかるし、でも実は満足するまで遊べばすっと勉強始めたりするし、いったん勉強始めると長い時間熱中することもあります。本来こんな細切れのタイムスケジュールではなく、一つ一つを長く取った方がよさそうなのです。
私たち大人にしてもそうです。1日くらい夜遅くまで仕事したってどうということはありません。むしろ乗ってるときはとりあえず行けるとこまで行きたくなります。
つまり私たちが乗っかっている肉体は24時間周期ですが、その中身の心の方は1日24時間はあまりに短く思えます。なぜこんな風に矛盾するのでしょう。
高度成長期を経て、私たちの暮らしは大きく変わりました。肉体労働的な仕事は減り、頭脳労働的な仕事が増えています。一通り物は豊かになり、ストーリーを持つなど心が豊かになる商品に意識が移っています。
その頭脳労働に必要な大人の知性というものも変化しているそうです。「環境順応型知性」から「自己主導型知性」「自己変容型知性」という、より自律的な行動に必要な知性です(やな気持ちを連れてくるユガミンが寄り付かない10の思考法(その7)〜まとめ:進化する人間〜)。これらの知性を身につけるのは子どもには難しく、普通は大人になってから身につけて行くようです。大人からさらに真の大人になっていかなくてなりません。
このように、私たち現代人は昔の人よりも高度で複雑な知性や考え方を身につけ労働しなければなりません。
そして、私たちが1日24時間が短いと感じるようになっているのは、そういった頭脳活動を始めたからです。
毎年稲刈りを手伝ったりすると、午前数時間働いたら、たらふく昼ご飯食べ、昼寝して少し働いたらまたおやつ、少し働いたら、もう晩ご飯たらふく食って、飲んで、くつろいで寝る、そんな24時間な生活になりますが、なんの不満もありません。昔は心身ともに24時間周期だったのです。
子どもたちだって、日が暮れるまで遊ぶ毎日だったら、24時間な生活で問題ないでしょう。
しかし、今は子どもですら毎日するべきことがたくさんあり、したがって時間はぶつぎり、でも切り替えに時間がかかって膨大な時間を無駄にしているようで不憫です。
私たち大人もいったん知的生産に入れば、かなり長い時間ぶっ通せます。なのに、常識的には1日8時間、しかも3時間+5時間にぶつぎりの時間に仕事を押し込むことになっています。なんて非効率な。
こんな風に地球は相変わらず1日24時間で、肉体も24時間周期なのに、頭はもっと長い周期をほしがっているのです。
そんな中、働く時間を自分で決められるフリーランスやSOHOの人は、本能的に周期伸ばすためにいろいろ工夫しているのではないでしょうか。
つまり、日によっては夜中までだって仕事続けるし、日によっては平日日中でも働かないでバランスを取るといったことです。
ですから、その様子が言語化されれば、私たちは新しい働き方を手に入れるのです。それがシステム48です。
たとえばこんな感じでしょうか。
これは二日1組の図です。
まず1日目は朝から寝るまで仕事です。SOHOであれば通勤時間は0です。仕事以外の時間は、朝食と朝の身支度と夕食と軽い風呂です。毎日体洗う必要ないと言いますから、カラスの行水です。
知りあいで昼飯食べないという人がいたので、朝と早めの夕食をしっかり取る前提で昼食も省いてみました。
もちろん適宜コーヒーブレイクも入れて構いませんし、気分転換に軽い家事を入れてもいいでしょう。ポイントは仕事をしている状態をぶった切るようなことをしないことです。
1日目はそのまま寝て、起きたら朝食と身支度を済ませすぐ仕事です。しっかり寝るけど、仕事は続いているのです。
それで昼まで仕事をすると、1日目は12時間以上、2日目は4時間以上、合わせて16時間以上の労働時間は軽く確保できます。致命的にぶった切られることなく連続16時間働けるなんて夢のような仕組みだと思いませんか????
さらにこれで二日目の午後まるまる仕事以外に使えます。半日遊んでも良し、夕食や風呂にたっぷり時間とってもよし、家族との時間を楽しんでも良し。前日後回しにした家事の時間も充分あります。
つまり、睡眠・食事など肉体的なイベントは24時間周期で回し、仕事は連続した長い時間を確保しつつ48時間周期で回すのです。
頭脳のペースに合わせて、