いつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に書き始める短い記事[S]です。 
 
 って内容はめちゃめちゃ重いのですが、重すぎて気楽に始めないと書き出せないのです。

 最近読んで衝撃を受けた記事です。

 「無いものを欲するより、あるものに目を向けよう」 発達障害の保育士が子どもたちに教わったこと | ログミー[o_O]

 子供は大人の鏡というお話ですが、子供の異常な行動が親にあったという体験をいくつか紹介されています。

チックって聞いた事ありますか? いつもとは違う行動を子どもがすることがあります。爪を噛んだり、性器をいじったり。大人はやめさせようとしますが、止まらないんです。そんなとき、私は保護者の方とたくさん対話をしました。「最近どうですか」と。すると、実は最近こんなことがあって、イライラしてたとか、こんな変化があってすごく落ち込んでたとか、そんなことが出て来ます。

そして、たくさんたくさん聞いて、フッと肩の力がおりる瞬間があるんです。そうすると、子どものチックは綺麗さっぱり治っている。そんな事例を、私は目の前でゴロゴロと見て来ました。
 親がストレスを抱えているとそれが伝わり子供にチックが出る。ではなぜ親はストレスを抱えるのか。たとえばこんな風に書かれています。
 それは、一生懸命大人たちは理想に近づこうと、同じようにしようと、完璧にしなくちゃと頑張っているから。そして自分をどこかに置き忘れて来てしまう。
 まず親自身が理想に近づこうと頑張ってしまい、ストレスを抱えてしまう。それが子供に伝わってしまう。

 ここから示唆されるのは、子供を育てるには、まず自分が自分のありのままを受け入れなくてはいけないということです。

 でも、自分のありのままを受け入れるって、少なくとも今の私たちにはとても大変なことです。でもそれができないと、子供に影響してしまう。なんと残酷な仕掛けなのでしょう。

 少し前までは、「理想に近づこうと、同じようにしようと、完璧にしなくちゃと頑張る」ことは普通のことでした。社会の大人の大半はそう考えていて、そう努力して、その中で子供たちも普通に育っていました。だから、「理想に近づこうと、同じようにしようと、完璧にしなくちゃと頑張る」こと自体が悪いんじゃないんです。今、この社会では、そうすることが果たしていいことでなくなってきた、そうしたからといって必ずしも幸せになれないことにみんなが気付いてきたことが問題なのです。昔は「完璧にしなくちゃと頑張って」れば、そこそこ幸せな暮らしができてたけど、今はそうとは限らないのです。

 これは大きな大きなパラダイムシフトです。「完璧にしなくちゃと頑張る」以外の標準的な方法を新しく開拓しなければならないのです。

 原理は簡単だと思います。山登りをするのに、今までは、ではこれだけ体力をつけろ、これだけの装備を揃えろ、そうすれば、このようにすればほぼ確実に登れる、というのが昔のやり方。
 今は、そうではなく、私はこれだけの体力しかない、装備もこれだけしかないけど、でもこんな工夫をして、ゆっくりだけど登ってるよ! ところで、ここからは行けるとこまで一緒に登ろうよ! というのに変わってきたのです。

 理由は簡単で、その方がいろんな山に登れるから。誰からも見える山に必要な体力装備は先人の知恵で明らかになってるけど、世界には無数の山があって、どれもが同じ体力・装備で登れるわけではありません。それぞれの山を登りたい人がそれぞれの体力・装備で工夫して登るしかないのです。

 でもその辺の割り切りというか切り替えがまだできていません。元記事でも、「ありのままの自分を認め、活かす勇気」とあるように、今の私たちは、これから自分の山を登るには、まず理想の体力・装備を揃えてから登るのではなく、自分のありのままの体力・装備を認めて、山に登ろうという順で考えてしまいます。

 しかし、本当はそうではありません。鏡がないと自分の顔が見えないように、自分のありのままを捉え認めるのは、人間にとって至難の業です。真面目にその本当の意味を問うなら、出家し修行し悟りを開いてようやく到達できることかもしれません。「ありのままの自分を認め」てから何かをするというのは、困難なことです。