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黒バス脅迫事件の犯人がつかみとった子育ての必須項目
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黒バス脅迫事件の犯人がつかみとった子育ての必須項目

2014-09-01 23:00

     黒バス脅迫事件渡邊被告人の最終意見陳述というものを下記の記事をきっかけに知りました。

    【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない

     この記事は8月27日のものですが、最終意見陳述そのものは7月中旬には公開されていたようです。全文は大変な量ですので、読むのであれば上記のまとめから読むのが良いと思います。

     ただただ圧倒されました。このような環境にありながら、これだけ冷静に自己分析することは極めて困難です。検事も「地頭がいい」とほめているそうです。

     たとえば、死刑や懲役は「欲望充足型犯罪」つまり「お金や物が欲しかったから」とか「(セックスを)やりたかったから」とか理由に犯罪を起こす人には有効だけれど、「欲望欠如型犯罪」つまり
    「人生で正常かつ適正な欲望を持つことすらできなかった人間が最後に目に入った相手に不幸や損害をばらまくだけの行動に出る」という犯罪類型
    を起こす人には効果がないと述べています。むしろ「ご褒美」です。この点は私は同感で、私は随分長い間死刑反対派で、理由は一部の人にはご褒美だからです。

     でも、じゃあどうすればいいのかというところは特にアイデアはなく、終身刑くらいをイメージしていたのですが、渡邊被告は無期拷問刑などを提案しています。「欲望欠如型犯罪」をする人は「痛い」のは嫌なんだそうです。

     ふと気付くと昔の刑は痛いものでしたし、もし昔の人に、今のような刑務所、つまり、毎日労働させられるけど、衣食住はあるようなのがあったら、いったいどこが刑なのか全然分からないかもしれません。現代では拷問を刑にすることは難しいですから、そのような「解法」は考えこともありませんでした。

     「欲望欠如型犯罪」をする人は、現代人が嫌がる刑が刑にならないくらい、現代人として育ててもらえなかったことになります。

     それは生きていると言えないくらい辛いことです。現代人として育ててもらえなかった人は、かろうじて理由付けをして生きていますが、その理由が失われてしまうと、ある人は自殺し、ある人は「欲望欠如型犯罪」を犯すのだそうです。その違いはほとんど偶然で決まり、本人の問題ではないようです。

     つまり、黒バス脅迫事件や秋葉原無差別殺傷事件のように死刑を「ご褒美」と受け止める犯罪を減らすには、現代人として育てられずしたがってとても生きているとはいえない状況に追い込まれる人を一人でも減らさなければなりません。

     子供を現代人として育てるのに何が必要かについて渡邊被告は明確に記述しています。それは、基本的に親が重要な役割を持っています。つまり子育ての必須要素です。大きく3つ書かれていました。

    1.「安心」
     3つの中でも「人間が生きる力の源」として、繰り返し丁寧に説明されているのは「安心」です。

     「安心」があると、
    子供は両親がいなくても不安になりませんから、1人で学校にも行けるようになりますし、両親に見られているような気がして、両親が見てなくても規範を守る
     ようになります。 

    では、その「安心」はどうやって得られるか。それをここでは、きわめて技術的に書かれています。
     例えば子供が転んで泣いたとします。母親はすぐに子供に駆け寄って「痛いの痛いの飛んで行けーっ!」と言って子供を慰めながら、すりむいた膝の手当をしてあげます。すると子供はその不快感が「痛い」と表現するものだと理解できます。これが「感情の共有」です。

     子供は「痛い」という言葉の意味を理解できて初めて母親から「転んだら痛いから走らないようにしなさい」と注意された意味が理解できます。(中略)

     さらに注意を守れば実際に転びません。「痛い」という不快感を回避できます。これで規範に従った対価に「安心」を得ることができます。

     さらに「痛い」という不快感を母親が取り除いてくれたことにより、子供は被保護感を持ち「安心」をさらに得ることができます。
     子育てではごくありふれた「痛いの痛いの飛んで行けーっ!」の場面、それが分かりやすく3つの要素に分解されています。まず、不快感を描写すること、その不快感を取り除くこと、さらにそれを防ぐためにどうすればいいかということ。

     私自身を考えると、子育てする中、「痛いの痛いの飛んで行けーっ!」はできましたが、いつもできていないことは明白です。だって、よかれと思ってやっても、ときに強烈に拒絶されます。こちらは(これはおまえのためになのに、なんで??!!)と戸惑うばかりです。

     まさに上記のステップに失敗しているわけで、じゃあどうしようかというところは試行錯誤。ですから、このように目的は「安心」であり、そのために3つの要素に分解する考え方はとても参考になります。

     たまに失敗があるのは仕方ないですが、ちょっとしたボタンのかけ違いで、どんどん不信感を与える悪循環が起きないとも限りません。実際、数ヶ月ぎくしゃくしたこともあります。少しでも「安心」を与えるのがじょうずになりたいです。

     まずはこの「安心」が勉強よりなにより最重要であることと、それが3つの要素でできていることを忘れずにコミュニケーションを取ることで、改善できるのではないでしょうか。

    2.努力の内在化
     次に出てくる重要なキーワードは「努力」です。これについて、とても丁寧に、私たちが普通考える努力と彼にとっての努力の違いが説明されていますが、次の言葉に集約されています。

     自分にとって努力とは怒られるなどの災禍を回避するための行為であり、努力の先に報いがあるとは思いもしませんでした。

     (中略)例えば道を歩いていて強盗に襲われて全力で走って逃げたとします。この時の全力の走りは果たして努力でしょうか?
     努力とは人によってはこんな意味になってしまうのです。
     
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