最近、ニュースメディアの方々が今後のニュースメディアのあり方について、いろんな議論をしていて、大変興味深いです。
しかし、実はニュースメディアに対する真の需要は私たちの知ってるそれとは全然違ったし、バイラルメディアはそれをむき出しにしたのですが、まだそこに議論が行っていません。
その辺りは一度、
バイラルメディアが作った癒しメディア空間(その1)
で取り上げましたが、改めて取り上げてみようと思います。
きっかけはこちらの記事。
キュレーションメディアを淡々とぶった斬るナタリー編集長に「ちゃんとやる」メディアの矜持を見た | かたログ
「キュレーションメディアは見かけのいいバケツ」という視点で、「ナタリーってこうなってたのか (YOUR BOOKS 02)」から次の部分が紹介されています。
今はキュレーションメディア流行りでしょ。あれって要するに見かけのいいバケツじゃん。皆さん、バケツばかり作って、どこで水を汲むんですか?って思う。一方、我々はその水が湧いてくる井戸をやってる。本来はそれがメディアというものでしよう。中身を作り出すということについて、本当は我々が少致派になってはいけないんだよ。とあります。
でも、その水、「飲みたい水」ってのが、ニュースメディアが汲むようなすごい水だけじゃなく、普段用の水も欲しかった、しかもその普段用のがよほどたくさん必要だったというのが、今あらわになったのです。
つまり人々が一日に必要とするニュースには、めちゃかわいいイヌやネコの写真に始まり、とびっきりの「他愛のない」ニュースがふんだんに必要だということです。
たとえばテレビがそうです。一日の大半は他愛のないバラエティやらドラマやらです。価値の高いニュースの比率は一部です。
あるいは電話。固定電話代が高かった私が子供の頃は、「要件だけ話せ」としつけられたものですが、通話料が安くなり、さらに携帯が普及した今、携帯で話されている内容の大半は他愛のないことです。
スマホが普及し、一日の無数のスキマ時間を使って人々がニュースメディアに触れるようになった瞬間、ニュースメディアにもその需要が解放されたのです。数分の休憩時間にちょっとSNSを見た時に、7時のニュースに取り上げられるような「重要な」ニュースと、めちゃ癒されるネコの写真があったら、後者の方がよりシェアされてしまいます。無数の隙間時間にニュースが大量消費されるようになった今、需要の大半は「他愛のない」ことなのです。
ですから、これはニュースメディアにとって、根本的な相転移です。めちゃ癒されるネコの写真なんて、伝統的にはニュースではありませんが、実はそれは競合で、しかもそちらの方がシェアされやすいのです。
私は個人的に、ニュースメディアあるいはジャーナリストが、私が実際に行って見聞できない、あるいは個人ではその手間に見合わない取材をして記事にまとめてくれることにとても感謝していますし、今後もその役目に期待しています。
でも一方で私が一生かかっても一枚撮れるかどうかという「この瞬間」な写真。イヌ・ネコあるいは雲もあります。そんな写真も見たいのです。
そんな人々の需要とニュースメディアはどうつき合うのか。
どんなにニュースメディアが力を持とうとも、他愛のない「この瞬間」な写真を自前の記者が量産することはできません。他愛のない「この瞬間」な写真は、圧倒的な物量、つまり何千万人もの一般の人がシャッターを押す方が遥かに効率よく生み出されるからです。
この現実とどうつき合うのか。
中身を作り出すということについて、本当は我々が少致派になってはいけないんだよ。とおっしゃっていますが、もはや、中身を作り出す多数派は一般人なのです。
テレビでニュースはなくならないけど24時間中12時間以上放送されることがないように、ニュースメディアから、いわゆる昔ながらのニュースは消えないけど、多数派は他愛のないニュースなのです。
しかも、バイラルメディア上の他愛のないニュースは圧倒的な物量故に質が高いです。テレビの他愛のない番組は、限られた人数のプロが作るため多様性に乏しく時にやらせ問題も起きます。一方バイラルメディアの流す他愛のないニュースたちは、真に生活の「この瞬間」を捉えていて私たちを虜にしています。バイラルメディアが定着するにつれ、テレビは早晩この問題に直面することでしょう。
ですから、上の井戸かバケツかの話に例えれば、確かに重要なニュースを生む井戸も重要だけど、世界中の人々からぽたぽた落ちる「しずく」を集めるバケツつまりバイラルメディアは、がっちり人々の欲望を捕まえており、今後なくなることもないし、そちらの方が市場は大きいのです。
かねてから、ニュースにはどうしてもネガティブなものが多くなるのに苦い思いをしてきましたが、もう解決してしまいました。私に訪れるニュースの中心は他愛のないものになり、ネガティブなものもポジティブなものもぐっとその率が減ったのです。現実の生活での私の連続する実体験と同じように。ネガティブとポジティブどっちが多いかは、割と些細な問題に落ち着いてくれたのです。幸せです。
ニュースメディアの人は、早くこの現実に慣れるといいと思います。別に今テレビで1日12時間以上ニュースが流れてなくても悔しくないでよね。家庭でテレビがいつもついてるなんて時代になった瞬間、ニュースの時間の比率はあるべき比率になったのです。ニュースメディアがスキマ時間に入ったということはそういうことなのです。大半のニュースはニュースと呼べないコンテンツになるのです。
こうやって見ると、新聞は違った特徴を持つメディアであることがわかります。