拉致問題進めようって話になってたのに、全然進まなくて何が起こってるの?って思ったら、金正恩第1書記、体壊してるんですね。せっかく進展するかと思っていたのに残念です。それどころか、結構深刻な可能性もありそうで、流動化するかもしれないですね。

 お隣、中国も香港で若い人も巻き込んだデモが起こっています。中国は方々でいつもくすぶっていますから、いつ流動化するか分かりませんし、特に今回香港デモで未成年が怪我したり亡くなろうものなら、天安門事件を想起させて、加速度的に事態は悪化するかもしれません。

 これらを除いても、今社会は大きな変革期です。最近農業やニュースメディアの変化の兆しを良く取り上げますが、他の分野もどんどん出てくることでしょう。

 そんなときにアジアが流動化すれば、社会の変化はさらに加速することでしょう。

 という状況で、最近非常に危機感を持っているのが、学校の評価です。昔と違って2002年からは授業態度とか、宿題の提出とか、普段の振る舞いが成績に入るようになりましたので、最近もテストはむちゃくちゃいいのに「3」がついたという中学生の話を聞きました。随分態度は悪いそうです。

 テストだけで成績が決まるなんて良くないという考え方は一理あります。一理あるのですが、テストの成績以外の授業態度とか、宿題の提出とかは、先生つまり大人が評価をするわけで、つまり、2002年以降は、大人の言うことを素直に聞く子が高い成績を取るわけです。

 出典が思い出せないのですが、大学の先生が、大人に従うべきかみたいなアンケートをとったところ、評価が変わった年から答えの割合ががらっと変わったそうです。

 もちろん、大人の言うことを素直に聞くということは、それはそれで良いことなのですが、社会が流動的になり大きな変化が起こった場合、どう生きればいいのかが分かる人はいませんから、つまり、「大人のいうことを素直に聞いている」からといって、幸せに暮らせるとは限りません。むしろ昔の考え方に囚われている人の言うことを聞けば、新しい時代ではむしろ不利でしょう。

 安定した社会であれば、社会の言うことを聞くのは良いことですが、変化の時代にはむしろ邪魔なのです。

 逆に必要なのは大人の言うことを鵜呑みにせず、自分の力で物事を見て、自分の力で考えられることです。ですから、先ほどのテストはできるけど「3」の子とか、直接は知らない子ですけど、「見込みがある! そのままがんばれ」とか応援したくなってしまいます。

 この問題は自分の子の場合さらに複雑で、理想は、