今日ちょっと話をしていて初めて気付いたのですが、勉強できる子には普通の共感力というのとは違うけど、やはり共感力とでもいうべき能力があります。

 たとえば、今まであまり興味のなかった教科なのに、先生が面白かったのでその教科が好きになったという経験をすることがあります。

 私は理系で歴史は苦手なのですが、世界史の授業は先生たちの話が面白くて好きでした。二学期になって、夏休みヨーロッパに行ってきましたという世界史の先生がそのときの写真を授業で紹介してくれました。その中の一つがルーブルのダビデ像が普通の正面の写真だったのですが、「こんな写真は他にいくらでもある。どうしてお尻の写真を撮らなかったのか今でも悔やまれる」と後悔していました。

 授業が面白いというのは、技術もありますが、こんな風にそれが好きで仕方ないという人もあります。

 そして勉強できる子ってのは、この熱い語りを聞くのが好きだったり、上手だったりします。今NHK朝ドラ「マッサン」で、主人公のマッサンがウイスキーで熱く語り出すと止まらなくなり、周りが止めるという場面が何度も出てきていますが、こういうときに自分の知らないような話題でも、ほいほい聞いてしまうのです。そのまま話されているととりとめがなくなりますが、相づちを打ちながら質問をして会話にし、自分が付いていけるようにします。

 そうやって対話しているうち、聞いている本人も十分に面白くなっていて、十分興味の対象にしています。

 そういう子は勉強もいやいややっているわけではなく、面白いからやるわけで、成績も伸びますし、大学にも受かります。

 自分の好きな話を延々されても興味ないことは聞きたくないっていうことは良くあると思いますが、少なくとも一人は面白いと思っているわけですから、道ばたで突然足元にある石よりは面白い可能性が高いわけです。情報のキュレーションが行われていると言えばいいのでしょうか。

 もともとは好奇心の強さからでしょうか、でも、人が熱く語っているのをなんでも面白く聞こうとするこの力は、共感力と言えるでしょう。ありていに言うと、おたくな話に共感する力でしょうか。
 つまり、正確には、その相手に共感しているわけではなく、その語られている対象に共感しているのかもしれませんが、話している側からすれば、話聞いてくれるわけで嫌な話ではありません。

 この人の語る話題に共感する力、どうやらいわゆる人に共感する力と関係があるようなないような不思議な感じなのです。普通に人に対する共感力の高い人でも、特定の話題に対して「それ興味ない」という場合は露骨に回避することはあります。逆にあんまり人とのコミュニケーションを積極的に取らないような人でも、知らない分野の話に好奇心を示して熱心に聞く人もいます。
 その時上手に質問するというのは、コミュニケーション能力そのもののようにも見えます。
 が、そうやって観察すると人に共感しようとするのと語られている内容に共感しようとするのでは対話の仕方が違いますし、単に内容を理解したいと質問すると一方的で、話す方も心地良くないこともあります。これはこれで大変そうです。

 この人の語る話題に共感する力は、今でいういわゆるコラボの力そのものです。異分野同士で、お互い全然違ってまるごと理解することは難しいけど、同じ目標とか互いに共感できるところで共感してコラボするわけですが、たとえばデザイナーとエンジニアがコラボする時に、デザインやエンジニアリングの技術の点でも、相手がどういうところにこだわっていいものにしようとしているのか、その理解が深ければ相手に合わせて自分の技術を発揮して、より良いコラボができます。
 高い人への共感力で互いにどんなに意気投合しても、相手の技術に全く理解を示さなくてはいいものはできません。

 つまり共感力には二つあります。人への共感と、文化学問技術などへの共感です。後者の能力が高い人は、自然に勉強が嫌いではなくなり、成績も上がります。後者はいわゆる好奇心に似ていますが、単に好奇心が強い場合は、人を介するか関係なく本やネットや自然を相手にどんどん好奇心を発揮しますが、ここでの共感力は、誰かが伝えようとする面白さに共感する力です。人によっては話し方が下手でも、その人が面白いと思うなら何か面白い要素があるはずで、それを知らずにはいられないという力です。

 では、この文化学問技術などへの共感の力はどうやったら鍛えられるのでしょうか。それがあれば学校が楽になりそうです。