「ご自由にお取りください」ラーメン屋でネギを大量に食べたら「出禁」こんなのアリ?
「ご自由にお取りください」ラーメン屋でネギを大量に食べたら「出禁」になったけど、弁護士曰く、
法律的には、客のほうが正しいと思います。だそうです。
弁護士さんのお立場では、そういう答えになるのでしたら、この弁護士さんを責めるわけではありませんが、それは法律がおかしいです。
たしかツイッターで、「天かすで同じことやったら、親父に怒られた〜」みたいなの流れてましたが、それ普通ですよね。いくら「ご自由にお取りください」と書いてあっても常識から逸脱したら怒られる。普通ですよね。「ご自由にお取りください」という言葉はそこまで含んでますし、そこでいきなり「法律」にはこう書いてあるからと横槍入れられても、日常生活として単純に困ります。地域の小さな飲食店やってる人が日常生活の経験のを通して「ご自由にお取りください」と書いたら、法律の世界ではそれは要求されるだけ出さなきゃいけないから、裁判で負けますとか、明らかに法律の世界が、私たちの生活から乖離してます。
仮に、家の売買契約とかものすごい厳密なもの相手にするなら仕方ないですけど、ネギですよ?天かすですよ? そんなささいなもので裁判所でどう判断されるか考えなきゃいけないとかコストかかりすぎです。
「ご自由にお取りください」ではなくてどれくらいまでか制限をつけるべきという意見があったのですけど、制限つけるからには提供する人は管理しなくてはいけなくなります。ある人が制限超えたって指摘されたけど、実は隣の人はうまくごまかしてそれより圧倒的に取ってたとか不公平になって、そっちのが客二人関わってしまうので、よほど問題化してしまいます。
そういうこと言い始めると結局、やらないか、一人分のネギ(か天かす)を皿に入れて提供することになるかもしれませんが、そしたら、全然食べなかった人、あるいは一部食べた人の、残ったのどうすんのという話になります。捨てへんかったら問題になるし、捨てたら無駄です。未利用資源事業化研究会にいる私としては、そんなの「もったいない」です。
もし裁判で争われるなら、せっかくなので陪審員制度にかけてみるといいと思います。私は、「ご自由にお取りください」と書いたが最後、どれだけ取られても文句言えないとかありえないと思いますが、まあ私がずれてるかもしれませんから、その陪審員たちの判断に任せます。でも、なんだか分厚い本のどこかの法律にそう書いてあるからそうですというのは納得できません。
もうそういう時代ではないのです。高度成長期みたいに持続的じゃない時代だと、法律でなんか文章書いておかないとにっちもさっちもいかないかもしれませんが、もはや社会は持続的な人間活動を目指そうという時代です。「ご自由にお取りください」といいつつ、