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この記事は【馬車目線】(?)でお送りします。
「言われたことだけやって!」→7秒後「言われなくてもやって!」 女性上司の理不尽説教に「うちの課長と同じだ」の声
ああすいません。なんかうちの子供にもこんな風に思われてるんだろうな。
最初は「言われた事だけやって!」と怒っていたが、それから7秒後には「そんなの言われなくてもやって!」と真逆のことを言う。ちょっと弁明させてください。
「言われた事だけやって!」は「余計なことはするな」って言いたくて、 「そんなの言われなくてもやって!」は「やるべきことは自発的やれ」って言いたいんです。
でも、もうこっちも興奮しちゃって、「どう考えてもおかしいやろ」みたいな言葉の対をぶつけてしまいます。
しかしですね。これ親子くらい毎日のようにこのやり取りを繰り返していると、まあこれくらいの言葉の選び間違いは子供の方もわかることができて、ちゃんと「あー今いらんことしたんやな」「あー、今の内に宿題やれってことやな」とか頭では何言われてるかわかっていることでしょう。
だからといって、そこで子供がその通りにするかは、まったく別の話です。「いらんことすな」と言われても、やりたいことはやりたいし、いくら宿題やらなとわかっていても、「今じゃない」と全身で拒否したいときはしたいのです。
そんなとき、子ども側だって意味不明な言い逃れします。なんかおなか痛いとか。それも面倒ならガン無視してきます。下手に言い訳しても論破されますからね。
だからお互い様です。ちょっとくらい言葉選び間違えたって、子供は意味分かってるし、だからといってそれを素直に認めるわけにはいかないのです。
ですから、女性上司の理不尽説教にしても、電話の先の相手は意味全部分かっているかもしれません。この記事で取り上げられている愉快なツイートを書いた人だって、そんなことはわかり切っているかもしれません。
この虚々実々のやりとり、不毛でしょうか。
親子の話に戻りますが、子供は親の言うとおりにしていれません。子供がやりたいことなんて、ほぼすべてが「いらんこと」ですから、親が「いらんことすな」と言い続ける合間を縫ってやるしかありません。宿題をしなければいけないことは知っていますが、そんなことよりも本人にとって「今やらないといけないこと」だってあります。
上司と部下の間でもそうでしょう。サボりたいとかそういうことだけでなく、会社のことを自分なりに考えれば、上司が考える「いらんこと」を一切せず、上司が考える「やるべきこと」を優先的にしているわけにはいきません。
が、それを正面切って、相手を論破する労力があれば、適当に聞いてるような聞いてないような態度でいて、適当にいなす方が効率がいいでしょう。となると上司側にしても、いつも非の打ち所のない正しい表現で語っていては、部下も逃げ道がありません。
「言われたことだけやって!」→7秒後「言われなくてもやって!」くらいつっこみどころ作っておいたほうが部下も、真の意味で自分で考えて行動できます。
上でちらっと子供がガン無視する話書きましたけど、しかたありません。彼らは私に口で勝てるわけがありませんから。その辺は彼らは恐ろしいほどに間合いを本能的に感じて行動に反映します。彼らも言う時は言います。それは、私が納得する可能性があるときです。でもその可能性がないような「まずい」状況の時はやはり無謀な戦いはしてきません。あるいは「なんかおなかいたい」です。病は気からといいますが、実際本当に「なんかおなかいたい」んだろうなと感心してしまいます(苦笑
「いらんことすな」「言われなくてもしろ」は親と上司がひたすらいい続けることなんだと思います。既存の組織の代表として、この組織ではどうあるべかという「標準」を示す続ける存在なのです。
最近の子供たちは大人に見守られている時間の割合が非常に多くなり、「いらんことすな」「言われなくてもしろ」の矯正を受ける時間が多いです。そのため本当にそれに従って、「いらんこと」をしない子供が増えています。
子供や部下は親や上司の「標準」がなにかを知ることは大事ですが、それに完全に従うことばかりではいけません。
しかし、子供や部下にその「標準」に耳を傾けすぎるな適当に聞いとけと指導できる「親や上司」はいません。矛盾してしまいます。
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