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子どもを生むということは理屈じゃできない。その理屈じゃないところに社会全体が支えられている
私には、社会のほうに「生まれてくる子どもはみんな歓迎しよう、親を全力でサポートしよう」という姿勢が欠けていたからではないかと思えてならないのです。
「これから生まれてくる子どもたち」が天国から日本社会を眺めて、「なんか、あんまり行きたいところじゃないなぁ...」なんて言われちゃってるのではないかと...(´・ω・`)
少子化って先進国ではどこでも進むと言われていて、それってどうしてだうろとずっと思っていました。死ななくなるから子供を生む数が少なくていいというのは5人とかから2人くらいまでに減るのはまあそうかと思いますが、そっから先、人口を維持できないとこまで減るのは社会としては問題です。
「社会のほうに『生まれてくる子どもはみんな歓迎しよう、親を全力でサポートしよう』という姿勢が欠けて」いるというのも、仮に日本がそうだとしても、世界のいろんな国で同じことが起こっているのは、世界中そこまで薄情だとも思えません。
でふと思ったのですが、社会が発展して、ITも発展して、市民一人一人が日本なら日本社会全体を見渡せるようになっていることが、直近の少子化の原因ではないかということです。
たとえば私が子供の頃は「お前はどこどこで拾ってきた」と言われるのが定番でした。私の子供の頃は、すでに実際に捨て子が身の回りで起こったことはありませんが、少なくともテレビなどの物語の世界でまだ存在していました。
きっと私の両親の時代は本当にあったんだと思います。捨て子として育ったけど、本当の親が現れてなんて話はマンガでもよくありました。
でも今捨て子なんて聞かないですよね。たまにひっそり産んで放置して結果として死んでしまってなんてニュースを聞きますが、それくらい捨てるのが成功することは減っているわけです。捨てたらほぼ犯罪として捕まる時代です。昔は捨ててそのまま死んだ赤ちゃんはたくさんいたことでしょう。でも今はそんなにはいないはずです。
それくらい社会が狭くなっているということです。
逆に万が一捨て子を見つけたとして、そのまま育てる人なんてまずいないですよね。昔はいたと思うのです。誰も日本社会全体なんて見えてなくて、目の前に捨て子がいたら、まあ自分たちがなんとかしないと(里親を探すことも含めて)その子は死ぬかもしれないという世界だったと思うのです。今だったらとりあえず警察に連絡しないと逆に犯罪者にされかねません。
上の記事では、「社会のほうに『生まれてくる子どもはみんな歓迎しよう、親を全力でサポートしよう』という姿勢」と書かれていますが、そんなもの、昔はだれも見渡すことができなかったのです。そこに捨て子がいたら、自分とか、自分の住む地域がなんとかしなければ、その子は死ぬ社会だったのです。
が、社会が発展し、捨て子がいたら警察に届け、後は国がなんとかするという文脈に変わってしまいました。
それは実は、日本人(あるいは他の先進国)にとって、歴史上初めての経験ではないでしょうか。
さらに、今は子供を産んだら、この子は将来どうなるんだろうということを、いろいろ考えられてしまいます。私の親の時代は、はっきりいってどうなるかなんてまるでわからなかったと思います。でも、まあ、ヒトというものは、結婚して子供を産むんだということになっていましたから、まあもう、そう言われているから産んだ、と言えてしまう時代だったのでしょう。言われているから産んだからといって、その後自分たちになにかあっても、「社会のほうが『生まれてくる子どもはみんな歓迎しよう、親を全力でサポートしよう』という姿勢」があるさなんて確信はなかったと思います。それくらい個人の視点では社会は混沌としていた存在だったと思うのです。(それより昔は、士農工商、事業はなんでも子供につがせる仕組みでしたから、とにかく子供が必要でしたし)
でも、今は社会のことがニュースやITでわかるようになり、しかも高度成長期という混沌期ではありません。
誰だって、「産んで大丈夫だろうか」と考えてから産む時代になったのです。