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ちきりんさんの記事にインスパイアされました。そしたら、面白いデータも見つけました。
その記事とはこれです。
学校で浪費される無駄な10年をどーにかすべき論
タイトルはとてもするどいものの、内容は昭和視点だったので腑に落ちない人も多かったと思うので、意訳しておこうと思います。
この記事では、こんなことが書いてあります。
14歳から24歳の期間について、
2クラスにひとりくらい、中身的にはもはや子供ではないという子がいて、
この期間に彼らが受ける「クラスの真ん中の子」にあわせた教育が、あまりに“かったるい”ために、成長曲線が鈍化してしまうのが、国として大きな損失だという話です。
いわゆる日本にはエリートを育てる仕組みがないという話です。
エリート育成の話が昭和の視点というのは後で取り上げるとして、「学校で浪費される無駄な10年をどーにかすべき」という点は確かに大きな問題です。
ただし、それがエリートだけの話というのは、昭和の視点です。今はそう思われていません。
今までの学校の授業は全員にとって“かったるい”のです。
賢い子にとってはわかりきってるし、遅れてる子にはチンプンカンプンだし、でも全てをカバーしようとするので、中くらいの子にとっても、わかりきってることや、分からなくて馬耳東風ところがたくさん。結果として、授業のごくわずかな部分だけしかそれぞれの子供にとって役に立ってない、と言われているのです。(元記事を見つけられません。すいません)
で、そんなことは教育の世界の人は、みんな知ってるし、だから、みんな懸命に取り組んでます。自分のペースで勉強するにはどうすればいいかと。
草分けはなんといっても公文でしょう。ITもろくにない時代から自分のペースで勉強ができる仕組みを作ったことは画期的だと思います。ただ限界もあった中、今子供のペースに合わせた学習は急速に発展しています。個別指導の塾しかり、eラーニングしかり。まだ決定版みたいなものはできていませんが、日々着実に進化しています。
学校もただ手をこまねいてはいません。私はパソコン実習のボランティアに参加していますが、先生方を見ていると、子どもたちを熱中させる方法論はすでに確立されています。私は直接その方法論を知りませんが、観察していると大きく次の二点です。
・最初段取り良く進める。説明は分かりやすく。
要は子どもたちを退屈させたり、置いてきぼりにしないことです。子どもたちを作業させるまでの段取りが悪いと、とたんに飽きる子が出てそれが伝搬します。とにかくそれを避ける。
また、わかりやすい説明も大事です。子供は(大人もですが)、わからないことができた瞬間集中力が途切れます。マウスでクリックするみたいな、慣れた人には当たり前なことでも、使ったことない人には全くわからないことです。そういうところを飛ばさず、誰でもできるように説明することが重要です。
そうやって、無事作業に入れば、子どもたちはその目の前の課題に熱中します。
・必須の部分と自由の部分を明確にする。
作業では、「なにをしなければいけないか」を明確にします。また何を自由にしていいかもはっきりします。
低学年だと、あるイベントのときの写真をお絵かきソフトに取り込み、スタンプ機能で文章を添えること、までが必須。
あとはそのお絵かきソフトの中で、自由に描き加えて印刷して終わりです。
自由な部分での定番は、スタンプ機能で動物などの絵を加えたりすることですが、加えられる絵の種類や量は子供によってぜんぜん違います。
あるいは、お絵かきソフトのあらゆる機能を試す子もいれば、長い文章を書く子もいるし、さっさと終わらせて、そこは図書室なので本を読みふける子もいます。
このような環境が整った中では、子どもたちは申し分なく課題に取り組み、遺憾なく多様性を発揮します。みな優秀な生徒であり、私がそのパソコン実習を見る範囲では、どの子が算数や国語など主要科目の成績がいいかはまるで分かりません。
この子供を課題に取り組ませるテクニックは、若い先生ほど要領よくこなしているので、恐らく教育論が発展していて、それをきちんと学んでこられているのだと思います。
つまり、子供を授業に熱中させる方法論は確立してきているのです。それが、パソコン実習のように自由の部分を設定しやすいところでは十分実践されてきているのです。
今後は、そのノウハウを駆使して、算数・国語など主要科目も変革していく時なのです。
それは、この21世紀では、「2クラスにひとりくらい」のエリートを伸ばすより、効果は大きいです。
今の授業では、たとえば「クソ真面目に丁寧に綺麗な字を書く」子が授業についていけなくなります。自分のペースで勉強すれば、「いい成績」を取れる真面目な子だったとしても、です。
そういう取りこぼしを一気に拾っていくときなのです。塾や学校はその方向性を概ね見出していて、これからはどんどん突き進んでいくことでしょう。
時代は、エリートの「学校で浪費される無駄な10年」をなんとかしようという時代ではありません。それは昭和の文脈。
時代は、それどころか「全生徒」の「学校で浪費される無駄な10年」をなんとかしようとしているのです。
子供は勉強が好きになっている
と、書いていたら、まさにそれを裏付けるデータを発見しました。ちょうど最近の記事です。「いい大学を卒業すると幸せになれる」でネット紛糾 「お金と知識は邪魔にならない」と支持する声もあるが
まあ、その本文は楽しく読み飛ばしてください。PV稼ぐための煽りネタです。
見るべきは、その記事の元になっている調査、「第5回学習基本調査」データブックです。
本文最初のページが全てを物語っています。
さらに次のページ。
授業がわかっている子もどんどん増えているのです。
塾も学校もその他もろもろ、みんな大いに誇っていいのではないでしょうか。
最近の学校ってどんどん授業うまくなってるよね、と感じてましたが、裏付けるデータは出ていたのです。
さきほどの記事では、以下の様な項目が増加していると書かれています。
「いい大学を卒業すると将来、幸せになれる」
「将来、一流の会社に入ったり、一流の仕事につきたい」
「学校の勉強がお金持ちになるために役立つ」
「できるだけいい学校に進めるよう成績を上げたい」
でも、それらはすべて、「授業がわかる」子が増え、「勉強が好きな」子が増えたら、増えるに決まっています。
このように、教え方はどんどん上手くなっているのです。
ですから、かつて識字率が99%になったように、やがて、義務教育の到達度が99%になるのです。
これはみんながテストで満点を取るという意味ではありません。義務教育の内容をある程度こなすことができるということです。
今、識字率99%と言っても、みんな漢字テスト100点取れるわけではありません。そこそこできるということと同じです。
読み書きがある程度できることが必要なように、義務教育の内容もある程度できることは必要です。
しかし、今はそれを学ぶ効率があまりにも悪く、「浪費される無駄な10年」と言われるし、達成率も99%になりません。
そこが今から変わり、99%が達成されます。それが達成されるということは、それを学ぶ時間もぐっと減るということです。その分、その他の今後必要とされる能力の学習に振り分けることができるのです。
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さて、エリート養育の仕組みについては、以前も、取り上げました。
東大が抜かれたのは日本に金持ちがいないから。
日本にはエリート養育の仕組みはできないし、いりません。
仕組みがないことを私達エリートでない他人が心配する必要はありません。エリート養成の仕組みはエリートが作るものです。
ちきりんさんの記事でも、テニスとか将棋とかが例になっています。テニスはよく知りませんが、将棋には奨励会があって、特別な才能がある人を取り込み養成します。いわゆる英才教育です。要はその分野の人達が、自分たちを再生産するために自らその仕組みを作っていくわけです。
エリートもエリートが作ります。
上記のミラフツでシンガポール国立大学のエリート要請の例が出ました。そこでは、四つ星ホテルに泊まるような研修旅行があったりします。
そんな贅沢なもの国民の税金でできるわけがありません。エリート養成には、自分たちを再生産できるよう、金持ちたちがどーんと金を出す必要があります。
日本にはそんな金持ちたくさんいないし、また必要もありません。今は社会の隅々に社会問題が散らばっていて、少数のエリートで解決できません。無数のそこそこ力のある人が必要なのです。識字率ならぬ義務教育達成率を99%にするほうがよほど効果があるのです。
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