シンガポール国立大学に入学した人のレポートがすごいです。

 東大を抜いた「学費・家賃タダ」の大学の正体 海外に出て気づく「日本の大学の未来は暗い」 
 「学費も家賃もタダです。お小遣いとして毎月10万円渡します。引っ越し代、渡航費も出します。まじめに勉強すれば大学院卒になれます」
 なんと気前がいいことでしょう。

 いったいそんな資金がどこからやってくるのかと気になりますが、
資金はどこからやってくるのだろうか。提供元をたどると海を越えた華僑のネットワークが浮かんでくる。
とのこと。要はとんでもないお金持ちがスポンサーにいるようです。

 以前も書きましたが、日本にはあんまりお金持ちがいません。

 やっぱり日本ってお金持ちいないなあと痛感する「零戦」事件  

 こないだアメリカではフェイスブック者のザッカーバーグ氏が5兆円以上にもあたる株式を寄付するなんて話が出てましたが、これくらいの金持ちが世界にはわんさかいるのに日本にはあんまりいないわけです。

 それくらい日本は金持ちを作らない社会なのでしょう。会社経営者の報酬がアメリカなどに比べ少ないとよく言われます。逆にアメリカは高すぎて社会問題化しています。そこまで行ってしまうと、直したくても金持ちが豊富な資金でロビー活動してそれを阻止しますから、直せません。日本も極端なのかもしれませんが、アメリカも極端であり、とりあえずは今のところ日本の構造は悪くないと言えます。

 その代わり大学はぱっとしません。エリートは全面的にサポートせよとお金をどーんと出す人がいないのです。仮に出せる人がいたとしても、その記事にあるような豪華なインド研修旅行なんてものを国立大学の東大がやったとしたら、国民から大いに問題視されるはずです。金持ちからしてみれば、優秀な人材に何不自由ない生活をさせたいのに、日本国民が許さないとしたら、そんなところに寄付しようとはならないでしょう。

 大学のランキングがどのように決められているかはわかりませんが、少なくとも東大などの国立大学は、シンガポール国立大学のようなエリート養成に特化した大学にはなれないでしょう。慶応大学とかならできるのでしょうか?

 では日本の大学の未来は暗いのでしょうか?

 クラウドファンディングなどに見られるように、日本でも寄付(正確には寄付ではないですが)文化が普通になってきました。国の予算というものは、基本的に誰にも文句を言われないように執行しなければならずとにかく非効率です。また年度ごとにころころ変わりなにかを育てることが苦手です。若い研究者は毎年度結果を残さなければ首を切られるような予算で雇用されていますから、捏造に手を染めざるをえないときもあります。

 そういう非効率さに気がついて、たとえ金持ちでない私たち普通の市民でも、自分の応援したいものを直接応援するようになっています。きちんと手続きを踏めばお金持ちと同じように『節税』できます。

 日本はとんでもない大金持ちをたくさん作る社会にはしませんでした。そのために大金持ちがどかんとお金を出すようなところに、あまりお金がいきません。その代わりに、たくさんの普通の人たちが少しずつお金を出すような仕組みがこれから整っていくことでしょう。

 大学側もいろいろ工夫するかもしれません。ただ寄付してというのではなく、特定のプロジェクトを立ち上げて、支援してもらう、クラウドファンディング型を積極的に活用するかもしれません。

 しかし、そのように集められたお金で、四つ星ホテルに泊まるような研修旅行は組まれないことでしょう。なんでわしの汗水垂らして稼いだお金をそんなことに使うのかということになります。

 そうやって見直すと、シンガポール国立大学は、要は「エリートたちによるエリート再生産」の仕組みなのです。四つ星ホテルに泊まるのが当たり前の人々が、そういうのが当たり前になる「エリート」を絶え間なく生産するために、ばんばんお金を出すわけです。

 では私たちはそういうエリートを必要としているでしょうか? 「日本にアップル、グーグルやフェイスブックが生まれないのはなぜか?」という議論が絶えませんが、私たちが必要としているのはスティーブ・ジョブズなのでしょうか。

 生まれてくれれば生まれてくれることに越したことはありませんが、もっともっと必要としている人材があります。

 それは、日本中に積み重なっている無数の社会問題一つ一つを解決してくれる無数の人材です。