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俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.2
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俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.2

2013-06-29 13:00
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    「こんにちは。入部希望者かな?」
    「そ、その前にちょっと失礼!」
     関根の横を通り抜けて、彼女はテーブルに近づく。
     じーっと、初期位置に並べられたばかりの盤を見つめている。たっぷり十秒間は凝視していた。
    「これだわ……! 私のユートピアはここにあったのね!」
    「ちょっと、あなた何なのよ」
     不機嫌な表情を隠そうともしない依恋に、謎の女生徒は微笑みかける。
    「私は1年D組の金子由良(かねこ・ゆら)です。あなたは碧山依恋さんですよね。お噂はかねがね。本当に綺麗な人だわー」
    「ふふん、そうでしょそうでしょ」
    「そして学園クイーンの神薙紗津姫さん」
    「あんまりそういうつもりはないのですけどね」
     一転して機嫌がよくなった依恋と、余裕たっぷりの紗津姫。そして妙にテンションが高い金子。
     金玉の子。……一瞬でもそう思ってしまったことを顔には出すまいとする。
    「それで金子さん、入部希望ってわけかな?」
     関根の問いに、金子はにぱっとした顔で頷く。
    「はい、そうなんです。ぜひ私を将棋部に入れてください!」
    「うおおおおお!」
     両拳を天に突き上げ、関根は喜びを全身で表現した。紗津姫も心底嬉しそうな、喜色満面の笑みを浮かべた。
    「将棋の経験はどれほどでしょうか?」
    「ルールも何も知りません!」
    「そうですか。初心者は大歓迎ですよ。さっき盤を見て感動していたみたいですが、将棋のどこに惹かれたのでしょうか?」
    「ここです、ここ!」
     金子はちょんちょんと盤を指さした。
     ……まさか、言うつもりなのか? あれを?
    「このですね、金と玉が並んでいるのが……すごく素敵で! だ、だってこんなところに金玉が隠されているだなんて!」
    「き……ん?」
     瞬く間に依恋の顔が真っ赤になった。
    「たま、ではなくて、ぎょくと読むのですが……」
     紗津姫もちょっと困ったようにコメントする。将棋で鍛えられた平常心も、さすがに今回ばかりは発揮されなかった。
    「そうなんですか? まあいいです。とにかくこの二文字に私は感動を覚えました! 将棋部が交流戦で勝ったっていうあの新聞に載ってたじゃないですか」
     関根が新聞を手に取り、ややあって「んー、ああ、なるほど」と頷きを繰り返す。そして大笑いしはじめた。
    「つまり、これが面白いから将棋をやってみたくなったと? いや、どんな理由だろうと入部してくれるならオーライだ」
    「じょ、冗談じゃないわよ! いったい金……の何が面白いっていうの!」
     依恋の顔が赤いのは、羞恥だけでなく怒り成分も含まれているらしい。しかしふざけていると思われても、確かに仕方がない。
     来是も純粋に疑問だった。金玉の何がそこまで、彼女の熱意をかき立てるのか。
     金子はひとつ咳払いしてから、キリッと自信ありげな表情を作る。
    「私はですね、以前からBL愛好家でして」
    「BLってなんでしょう?」
     紗津姫の頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいる。
    「……ボーイズラブ。男同士が恋愛する作品のことよ。あたしは全然興味ないけど」
    「はあ。それが将棋と何の関係が」
     来是はわかってしまった。関根を見ると、苦笑いしている。
    「私がBLに目覚めたのは中学の頃。ブックオフで何気なく手に取った漫画があったんですが、それはもう素晴らしい作品で以来のめりこむようになり……」
    「要点だけ話しなさいよ」
     依恋が即座にツッコむ。わかりました、と金子。
    「私は夢見ていたんです。高校に入学したら、BL好きの友達を増やしたいって。最初の自己紹介でも、思い切ってBL好きだとカミングアウトしましたし」
    「そりゃ本当に思い切ったなあ」
     ボーイズラブ、すなわち同性愛はまだまだ一般の理解を得ているとは言いがたい。来是も正直、わかりたくない世界だ。
     趣味は人それぞれだよね、と誰もが表面上は波風立てないでくれるだろうが、趣味の合わない人と交流しようとする人は少ないだろう……。
    「でまあ、私の同志となってくれる人は一向に現れず、落ち込んでいました。同好会を作ろうかとも思いましたけど、期待できそうになかったですし。そこで見たのがあの新聞です! まさか将棋の駒に、男性のシンボルが隠されていたとは! この瞬間、私の中で将棋が大ブームになりました!」
    「頭が痛いわ……。本当にそんな理由で将棋をやろうっていうの」
    「きっかけは何でも構いませんよ。それに依恋ちゃんだって将棋をやるようになったきっかけ、実に個人的な理由じゃありませんか」
    「そ、それは……」
     途端に口ごもる依恋。来是と目が合ったが、ばつが悪そうに明後日の方向を向いてしまう。
     依恋が将棋を始めたきっかけ……来是は結局のところよくわかっていないのだが、紗津姫はどうやら事情を知っているらしい。機会があれば聞いてみようと思った。
    「んじゃま、正式な入部届はあとで出してもらうとして、自己紹介からはじめるか。俺は部長の関根三吉。趣味は小学生女子を愛でることだ!」
    「それ言う必要ないでしょ?」
    「いやあ、金子さんも最初から全部をさらけだしてくれたわけだし。人と親密になろうとするならば隠し事はなしというその姿勢に、俺は感動したんだよ! それより君も自己紹介」
     促され、来是はごく普通に自分の名を名乗った。
    「へえ、カッコいい名前ですね! 男らしいです」
    「そ、そうかな」
     最近ようやく、親から与えられたこの名前に誇りを持てるようになったが、他人からそういう感想を聞いたのは初めての気がした。
    「っていうか、さっき会いましたよね?」
    「やっと気づいた? あのときは驚いたよ」
    「あはは、思わず逃げ出しちゃいましたけど、まさか将棋部員だったなんて。これからよろしくお願いしますね!」
    「う、うん。よろしく」
     女子にしてはちょっと残念なところはあるが、根はよさそうな子だと思った。
     紗津姫と依恋もあらためて自己紹介。ともあれこれで、将棋部は賑やかになりそうだ。何より紗津姫の喜ぶ顔が見られて来是は嬉しかった。
    「よし、さっそくルールから教えようか。女同士、碧山さんがやってみるか?」
    「あ、あたしが? 紗津姫さんがやってよ。あたしは人に教えるなんてガラじゃないわ」
    「まあそう言わずに。人に教えることで自分自身が上達することもあるものですよ」
    「……わかったわよ」
     依恋は金子と向かい合って座り、駒の動かし方から教えていく。金子はふむふむ、と逐一頷きながら、真剣に聞き入っていた。
     人に教えるガラではないと言っておきながら、その説明はかなり丁寧だった。依恋は何事も飲み込みが早い。どんなことでも一人前にこなせる資質がある。事実、将棋の腕前ももはや来是と完全に互角だ。
     ちょっと危機感を持たなきゃいけないかも。来是はそう思った。
    「まあ最初は、ガンガン攻めていけばいいんじゃないかしら。守り……受けのテクニックはおいおい覚えていけばいいでしょ。あたしもまだ知らないことが多いし」
    「攻め! 受け!」
    「なんでそこを強調してるのよ!」
    「いやあ、BLは攻めと受けの設定が基本なんで。私、BLを知って三年ですけど、最近はちょっとマンネリ気味でして。もっと刺激的なカップリングがないかなって思ってたんですけど、飛車×王様とかすごそう! うふふふ、そっかー、将棋は攻めと受けのゲームなんですねえ!」
    「あんたはBLから離れることからはじめなさい!」
     ひととおりの基礎を教えたあとは、駒落ち対局をすることになった。依恋の六枚落ちだ。
    「うわあ、そんなにハンデくれるんですか?」
    「今日から将棋をはじめるって相手には、たぶんこれで充分でしょ」
     来是は初めて紗津姫と対局したときのことを思い出した。あの八枚落ちの衝撃は今でも忘れられない。来是もルールを覚えたばかりの金子相手なら六枚落ちでもいけそうだが、八枚落ちではきっと無理だろうと思う。
     いかに紗津姫がとんでもない実力の持ち主なのか、あらためて思い知る。
     この途方もない女王に追いついてみたい。ずっと雲の上の存在として見上げていたい。相反するふたつの感情が生まれているのを来是は感じていた。
    「へえ、これだけしか駒がなくても、意外となんとかなるもんね」
    「でしょう? 駒落ち戦の上手は、いかに受けるかという力が鍛えられますよ」
     金子は自由気ままに駒を動かしており、いかにも戦略性がない。対して依恋は、きっちりと金銀を協力させて、相手の無駄な指し手を咎めにいっている。
     ほどなくして、勝負はついた。依恋の完勝だ。
    「どうですか、金子さん。将棋、面白そうですか」
    「すっごく! 妄想がはかどります!」
     もうツッコむのも面倒だとばかりに、依恋は勢いよく席を立った。
    「次は来是が教えてあげなさいよ。あたしは紗津姫さんに新戦法を教わるんだから」
    「わかったよ。俺とも六枚落ちでやろうか」
    「ぜひぜひ!」
     自分も紗津姫に教わりたいのだが、これも将棋部を盛り上げるためだと考え直す。紗津姫が喜んでくれるのなら、積極的に教育係を買って出なければ。
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