閉じる
閉じる
×
☆
待ち遠しかった土曜日がついにやってきた。
来是はまず碧山家の前で紗津姫を待つことにした。集合時間の十時きっかり五分前に、麗しいフォルムの女性が見えてくる。
その傍らに、もうひとりも。
「おはようございます! 先輩」
「おはようございます、春張くん。今日と明日、よろしくお願いします」
「はい! 金子さんもよろしくな」
「どうもです。いやー、すっごい大きな家ですね!」
金子にも声をかけておいたと依恋から聞いたのは昨日のことだった。どうしてわざわざ? と尋ねたところ、親睦を深めるためだという。金子のBL趣味には関わりたくないが、それとこれとは別であるようだ。
同じ部員同士で親睦を深める必要があるというのは正しい。依恋も意外に気が利くのだなと思った。
インターホンを押すと、落ち着いた婦人の声が返ってきた。
「ども、来是ですけど」
「いらっしゃい。依恋もちょうど準備を整えたところよ。どうぞ入って」
門を抜けて、季節の花が咲き誇る庭を通り、玄関に到着する。
鍵の開いた扉を開くと、しっとりとした雰囲気の女性が迎えた。
「来是くん、お久しぶりね」
前回の合宿では留守にしていた依恋ママである。思えばここ最近、顔を合わせていなかった。昔から優しくしてくれたお隣のおばさん――なのだが、おばさんと呼ぶにはかなり若々しい容貌で、子供の頃からほとんど変化していない気がした。
「こんにちはっす。こちら将棋部の――」
「神薙紗津姫と申します。このたびはお世話になります」
「金子由良です。……うわあ、お母さんもすごく美人ですねえ」
「あらそう? 現役の女子高生にそう言われるなら、まだまだ私も大丈夫かしら」
依恋から聞いたところによると、依恋ママもどこかの裕福な家柄の娘だったらしい。そしてドイツ人ハーフである碧山家の嫡男と運命的な出会いをし、結婚して依恋が生まれた。
こうして考えると、依恋はとんでもないサラブレッド、エリートお嬢様だ。その生まれにふさわしくあるようにと、自分を磨き続けてきた。今も、神薙紗津姫という女王に追いつくために。
「将棋部のことは、よく依恋から聞いているわ。すごく美人で強い先輩がいるって。本当にお綺麗ね、神薙さん」
「恐縮です」
「あの子、あなたには負けたくないっていつも言ってるのよ。あそこまで真剣に誰かと競いたがるのは、初めてね」
依恋ママのあとについて、三人は和室へと向かった。前回も使わせてもらった客室だ。息抜きで将棋をするのにもちょうどいいだろう。
しかし襖が開かれると、あまりに予想外のものが視界に飛び込んできた。
「いらっしゃい」
中央に勉強机となるテーブルが配置され、奥側に依恋が正座している。そこまではごく自然の光景だろう。
奇妙なのは、なぜか和服を身につけていることだった。淡い桃色を基調としたシンプルな柄の着物だ。下半身には鮮やかな真紅の袴。髪の毛はお団子状に結い上げている。
まるで――タイトル戦に臨む女流棋士のような。
「すっごーい! 碧山さん、どうしたんですか?」
金子は頬を染めて興奮している。同性でも惚れ惚れするほど綺麗ということに、来是もまったく異存はない。普段は派手な洋服を好む依恋だが、こうした和装も、実に絵になっていた。
「どう、かしら? 似合ってるでしょ」
「いや、似合ってるけどさ、なんでまた着物?」
「気分よ」
「着物って気分で着るものなのか?」
依恋はいろいろな習い事を経験している。その中に着付けも含まれていることは以前に聞いたことがあったが――少なくともプライベートでこのような格好をしているのを見たことはない。
「依恋ったら、お客さんを迎えるからってちょっと張り切ったのよ」
「ああ、なるほど」
特にライバルと目している紗津姫に見せつけたかったのだろう。これがあなたと学園クイーンの座を争う美少女の姿だと。結局、いつもどおりの依恋だなと納得した。
「とても素敵ですね。私は着物を着たことがないんですよ。よかったら教えてくださいます?」
「ふふ、いいわよ。いつも教えられてばっかりだからね」
「……やりますねえ碧山さん。まずは普段と違う姿を見せることから始めましたか」
ニヤニヤと笑いながら、金子が依恋の艶姿を眺めている。
「今の、どういう意味?」
「いえいえ、なんでもないです。独り言です」
「ふうん?」
何はともあれ、楽しい合宿のはじまりだ。来是たちは勉強道具を出して、テーブルの上に広げる。
依恋はそっと来是の隣に座った。紗津姫と金子は向かい側に腰を下ろしている。
「最初は英語からやりましょ。来是、わかんないところはこのあたしに聞きなさい。手取り足取り教えてあげるわ」
「え? 俺は先輩に教えてもらいたいんだけど」
「……率直すぎるわねホント。いきなり紗津姫さんの手を煩わそうっていうの?」
「それもそうか。じゃあ依恋でもわからないようなところがあれば、先輩にご登場いただければ」
「わかりました。遠慮なく聞いてください」
紗津姫は意味ありげな笑みを浮かべていた。