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俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.9
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俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.9

2013-07-10 18:00
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         ☆

     テスト期間になった。
     今日をもってしばらく部活は中止。紗津姫との接点も、校内で偶然に見かける以外にはなくなってしまった。
     教室は知っているのだし、会いに行こうと思えば行けるのだが、何の用事もなく押しかけては迷惑になるだけだ。
    「ああ、先輩……」
     休み時間、机に突っ伏してつぶやくのを前の席の浦辺が聞き逃さなかった。
    「そこまであのクイーンに惚れ込んでいるのか。そこらの芸能人だって敵わない素晴らしい人だとは思うけど」
    「浦辺はあの人に憧れないのか?」
    「いやあ、ちょっと高値の花すぎる。分不相応ってやつだよ」
     そう思って、最初からアタックすることすら考えない男が大半なのだろう。
     だが、自分は違う。
    「俺は……俺はいつかあの人にふさわしい男になる!」
    「いつかっていつだ?」
    「わからん。でも、いつか」
     将棋を通じて心身ともに男を磨けば、きっと振り向いてくれる。そんなことばかり考える毎日だ。初恋の味はとても甘いが、他のことに手が回らないほどに苦しさを伴う感情でもあった。
     放課後、来是は少々気の抜けた状態で教室をあとにした。無意識のうちに何度も溜息が出ていた。あと一週間以上も部活ができない。あの人に会えない。ストレスが溜まってしまいそうだった。
     校舎を出ると、いつの間にか依恋が隣を歩いていた。
    「パソコンとかやらないで、ちゃんと勉強するのよ?」
    「わかってるよ。でも赤点取らなきゃいいってだけなら、そんなに気合い入れて勉強しなくてもいいかな」
    「あたしは学年トップを目指すわ」
    「また先輩と張り合うのか。わかりやすいな」
    「あの人がトップなんだから、あたしだってトップにならなきゃ我慢できないわ」
     この向上心は見習うべきものなのだろう。紗津姫と競争しようと思っている女生徒は、全学年を見渡しても依恋ひとりだけなのではないか。
    「来是も赤点取らなきゃいいとか、半端なことを言ってないで真剣に勉強しなさいよ。今の出来が、後々に響くんだからね」
    「うーん、でも身が入るかどうか」
    「なんで」
    「先輩にしばらく会えないと思うと、こう、何も手につかなくなりそうだ」
     両手をワキワキさせる来是に、依恋は冷たい視線を送る。
    「あんたねえ、紗津姫さんがいなきゃダメ人間になっちゃうわけ?」
    「これが恋だ! お前にはわかるまい」
    「わ、わからないわよ!」
     ムスッと唇を固く結び、依恋は早足になる。だんだん距離が離れていくが、来是は追いかけない。
     追いかける理由はない。彼にとって依恋は、ただの幼馴染だから。
     一足早く家の前に着いていた依恋だったが、門をくぐろうとしない。来是が追いつくのを待つように立ち止まっていた。
     追い越しざま、来是は別れの言葉を投げかける。
    「じゃな、また明日」
    「ちょっと待って」
    「ん?」
    「た、たとえばだけどさ、紗津姫さんが勉強を教えてくれたら、やる気出たりする?」
    「そりゃもう一年分くらいのやる気が出るぞ」
    「単純ねえ……。こういうのはどうかな。紗津姫さんを誘ってあたしの家で勉強合宿をやるっていうのは。今度の土日に」
    「な、なにぃ?」
     この前の将棋合宿に続いて、またしても先輩と一夜をともにできるというのか? なんだそのユートピアは! 来是は全身が沸騰しそうだった。
    「……ひょっとしてお前、俺と先輩の仲を応援してくれたりするわけ?」
    「そんなわけないでしょ。同じ将棋部員として、あんたにはいい成績を取ってもらいたいだけよ」
    「意味がよくわからないんだけど」
    「いいから! 合宿するの? しないの?」
    「するに決まってる!」
    「OK。紗津姫さんにはあたしから言っておくわ」
     予想だにしなかった、そして夢のような展開になってきた。部活が中止になってしばらく張りのない生活になるかと思っていたが、テンションが一気に振り切れそうだ。
    「むふふ、先輩がいてくれたら、ちょっと息抜きに将棋を教えてもらうとかもできるよな。依恋、ナイスアイディアだ」
    「あくまで勉強がメインだからね。そこんとこ理解しなさいよ」
    「わかったわかった」
     来是は自室に戻ると、意気揚々とノートに向かった。教えてもらうにせよ、一から十までというのは恥ずかしい。当日までにきっちり復習しておかなければと思った。
     紗津姫からメールが来たのは、間もなくのことだった。

    『依恋ちゃんから聞きました。勉強合宿、喜んで参加させてもらいますね。週末を楽しみにしています。』

     学年トップの成績を誇る紗津姫が、下級生と一緒に勉強するメリットなどまったくないはずだ。それなのにこの神対応。
    「うおおおお! やるぜえええ!」
     来是はすっかり舞い上がった。今までの人生で、一番楽しい勉強になりそうだ。
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