【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊
俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.15
☆
夜六時を回った。
女子三人は私服に戻り、来是はリビングで何をするでもなくソファに座り、この次の展開を心待ちにしていた。
昼に続いて出前を取っているとは聞いていない。つまり……。
「また先輩が料理を振る舞ってくれたりするんですか?」
「手料理というのは当たりですよ。でも作るのは私じゃないです」
「というと? おばさんはもう出かけちゃったし」
依恋ママは仕事に出ている夫と合流して外食するという。しかもそのままホテルに泊まってくるそうで、なんとも贅沢な週末だ。
「あ、あたしが作ってあげるのよ。ありがたく思いなさいよね」
なんと依恋がエプロンを着用する。花柄で実に家庭的なエプロンだ。
「マジか。ちょっとは上達したのか?」
「……ママに習い始めたから」
「ふーん、そっか。じゃあ楽しみにしてる」
「う、うん」
依恋は台所に立って、食材を並べはじめる。そして風呂の給湯スイッチをオンにした。
「お風呂沸かしておくから、来是、先に入っちゃって」
「おお、わかった」
「依恋ちゃん、少し手伝いますよ」
「ありがと。じゃあ野菜を洗ってくれない?」
紗津姫が依恋の傍らに立って作業する。なんだか姉妹のような光景で微笑ましい。
と、金子が変にニヤニヤして隣に座ってきた。
「なんとも可愛いですねえ。春張く……じゃなかった、私たちを精いっぱいもてなそうとしていて」
小声でコソコソと話す。依恋には聞こえていない。
「あんな一面があったとは驚きだ、正直」
「グッときちゃいます?」
「何に?」
「だから、碧山さんの面倒見のよさとか、意外にも家庭的なところとか」
「うーん……今までのイメージが強すぎてなあ。ちょっと調子狂うな」
「そんなこと言っちゃ可哀想ですよー。これからああいう姿を見ることが増えるんじゃないですか?」
「そうかなあ」
自らの美貌をはばかることなくアピールし、我の強さばかりが目立っていた依恋が、ここにきて貞淑さを身につけようとしている?
すべては秋の学園祭で、紗津姫に変わる新たなクイーンになるためだとするならば納得がいく。いわゆる「女の子らしさ」を身につけなければ、紗津姫には勝てないと……。
しかしそれは、以前から自分も願っていたことだ。
依恋は少し自分を変えるだけで、もっと人から好かれるようになる。幼馴染として、そうであってほしいと願っているのだ……。
「ふふ、高校生にもなればどこかしら変わるもんだよな。俺だってそうなんだし」
「私はまるで変わりゃしませんけどもねえ」
幸せそうに笑う金子だった。
ほどなくして風呂が沸いたので、お先に入らせてもらった。自分の家のよりも一回り以上広い湯船にゆったりと浸かると、勉強三昧で凝り固まった脳みそが、次第に柔らかくなるのを感じる。
着物姿の紗津姫の姿が、脳裏によみがえってくる。
あれほどまでに華麗な女性の姿を、かつて見たことはない。これからも紗津姫の和服を見てみたい。切実にそう思った。
どうしても浮かんでくるのが、立派な和服を着てタイトル戦を戦う紗津姫の姿だった。たちまちのうちに将棋ファンの心をわしづかみにし、将棋をまったく知らない人からも注目されるに違いない。
――そう、紗津姫がプロデビューすれば、将棋ファンは増えるのではないか?
将棋の素晴らしさを世に伝えたいというのは、何度も聞かされてきた紗津姫の願いだ。そして、どんな競技であれ人口を増やすのに最適な方法は、プロが活躍して人々を魅了することだ。
紗津姫にはその資質があると、来是は信じてやまない。プロへの勧誘もあったというし、同じプロの目から見ても、紗津姫は魅力的に映っているに違いない。
だが彼女はプロになる気はないという。別の夢があるからと。
それは――将棋を広めるよりも重要ということなのだろうか? 彼女の夢とはなんなのか、今度はそれが気になって仕方がなかったが、教えてくれない以上は知りようがない。悶々としながら、来是は珍しく長く湯に浸かった。
風呂を出てダイニングルームに戻ると、紗津姫が食器の用意をしていた。
「お料理はもうちょっとで完成ですよ。座って待っていてください」
「了解です」
席に着き、依恋の料理風景を眺め見た。背後の来是の視線には気づいていないようで、おたまで鍋をゆっくりかき回している。中身はスープだろうか。かすかに香ばしい匂いがする。紗津姫はすでにできあがっているおかずを、金子と一緒になって皿に盛りつけている。炊飯器は蒸気を吹かして、炊きあがりのカウントダウンを始めていた。
やがて――。
「おお、見た目はまともだ!」
すべての料理がテーブルに並び、来是は率直な感想を述べた。多彩な色で構成される料理は、前回に紗津姫が作ったものと遜色ない見栄えだ。
「見た目はって、失礼なこと言うわね」
「この前の弁当のことがあるからなあ」
料理の上達のためにと弁当を作ってきて、感想を求めてきたのが一ヶ月ほど前のことだ。見た目、味ともに容赦なく欠点を指摘したせいか、その一回きりで弁当は持ってこなくなったのだが、ずいぶんと練習を重ねたらしい。
「さ、いただきましょうか」
紗津姫の合図で、全員揃っていただきますを唱和する。
まずは具だくさんの野菜スープを一口。依恋がおそるおそるという表情で聞く。
「――どう?」
「――美味い」
濃すぎず薄すぎない旨味がふわっと口に広がり、速やかに栄養が吸収されていくようだ。野菜はとろけるように柔らかく、するっと楽しく飲み込むことができた。
「やればできるんだな。驚いた」
「と、当然じゃない。コツをつかんだら、あっという間にマスターするのがあたしなのよ」
「先輩がだいぶ手助けしたんじゃないですか?」
「私はほんのちょっとアドバイスしただけです。ほとんど依恋ちゃんが作ったんですよ」
「んー、これ素晴らしい炊き具合ですね! 絶妙な水加減のたまものです」
金子はご飯を大絶賛している。そこまで美味いのかと疑いながら食べてみると、本当にそこまで美味かった。粒のひとつひとつがピンとして、やや硬めに仕上がっている。とても自分好みだった。
その他のおかずも口に運ぶ。いずれもしっかりと味付けされていて、かつてのダメダメな弁当とは大違い。家庭料理として百点満点だ。
「おかわりある?」
「うん、たくさん作ったから」
空の食器を受け取り、依恋はおかわりを盛りつける。素直に美味しいと言ったものだから、依恋も嬉しそうだ。
「やっぱりお嫁さんにするなら、こういう美味しい料理を作れる女の子ですよね?」
「やっぱりってなんだ?」
「そのまんまの意味ですよー」
どうも先程から、金子は依恋の女の子らしさをやたらに褒め称えている。実際に褒めてもいいのだが、なんだか気になった。
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