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俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.21
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俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.21

2013-08-03 13:00
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         ☆

     スタッフが撤収して、将棋部はいつもの落ち着きを取り戻した。部活の続きをするには中途半端な時間だし、いつもより少し早いが今日は切り上げることになった。
    「なんなんだよ、依恋。さっきのは」
    「あら、なんでしょうご主人様?」
    「それだよそれ! あんな受け答えが全国に流れるんだぞ? どうして普通にしなかったんだよ。っていうかもう元に戻れ」
    「カメラが入ることがわかっていてメイド服を着せたのは春張くんでしょう? その時点で普通ではないのですから、依恋ちゃんを責めるのは筋が違いますよ」
     紗津姫がきっぱりとたしなめる。この人にそう言われては、それ以上何も言えなかった。
     金子は眼鏡の奥で、愉快な猫のような目を作る。
    「むふふ、これでふたりが特別な関係だということが、おおっぴらになるわけですね」
    「ちょい待て! 特別な関係ってなんだ」
    「そりゃあ、メイドさんごっこをやるような仲だってことだろ? いや、ご主人様ごっこか?」
    「部長まで悪ノリしないでくださいよ! どっちでもいいし!」
    「とにかく今日はいい取材ができた! ありがとうな春張」
     浦辺は自分のことしか考えていなかった。
    「でも、こんな可愛い将棋女子がいてもいいと思いますよ。また着てみたらどうですか?」
    「……そうね、どうしても来是があたしの可愛すぎるメイドさんを見たい、お願いしますっていうなら、考えてあげてもいいわ」
    「もういいよ。変な誤解されたら困る」
     部室棟を出ると、来是と依恋は一同と別れて、メイド服を返却するために校舎に戻った。演劇部の部員たちは、またいつでも借りに来てくれと揃ってご機嫌だった。
     制服に戻った依恋は、ルンルン気分で隣を歩いている。いつもの帰り道に陽気な鼻歌が流れていた。
    「テレビ、楽しみね。当日は一緒に見ましょ」
    「別にいいけど。……俺が言うのもなんだけど、恥ずかしくなかったのか?」
    「最初は恥ずかしかったわよ。でも、ディレクターさんがあたしにインタビューしてくれるってなったら、俄然やる気が出たの」
     テレビに出られるからと、やる気を出す人間はそう多くはないだろう。自分は凡人ということが誰よりもわかっている来是は、カメラに映って全国に放送されるなど、なるべくなら御免被りたいという性格である。
     だが依恋は、非凡を自任するこの幼馴染は、千載一遇のチャンスだとばかりに自らをアピールすることを決断した。
    「……なあ、依恋の最終的な目標って、なんなんだ? 学園クイーンになるっていうのも、通過点のひとつにすぎないんだろ」
    「そうよ。あたしが目指すのは、誰より可愛い女の子。それこそ世界中から大注目されるようなね。だから今回のことは、すごく嬉しかった」
     壮大すぎる夢だ。そして自分にはその才能があると、断固たる自信も持っている。
     本当に本気で、女王様になるつもりなのだ。
    「もしかして、芸能人にでもなるつもりか? そうでなきゃ、大勢の注目を集めるなんて無理だろ」
    「芸能人ね。子供の頃は夢見たこともあったけど……もしスカウトとかされたら、考えちゃうかも。そうなったら、来是はどうする?」
    「どうって、それがお前の決めた道なら、別に言うことはないさ」
    「手の届かないところに行っちゃうかもしれないわよ?」
    「幼馴染がそんな有名人になったら、俺も鼻が高いな」
    「……ふんだ」
     何やら依恋は不満そうだった。ここ最近何度も思っているが、彼女の考えていることはよくわからない。
    「来是こそ、将来はどうするつもりなのよ。普通に就職?」
    「大多数の人間は普通に就職するだろ。間違いないのは、将棋は絶対に続けるってことだ。いつかは大きな大会に出て、優勝してみたい」
    「……それで、紗津姫さんを追いかけ続ける?」
    「いつになったら振り向いてくれるのか、わからないけどな。でも将棋を続けていたら、きっとチャンスは巡ってくると思うんだ」
    「あんた、紗津姫さんのために将棋をやってるの?」
    「俺たちゃアマチュアなんだから、どんな理由で将棋をやっていてもいいじゃないか」
    「それはそう、だけど」
    「もちろんそれだけのためじゃないぜ。将棋って本当に面白いよな。ここまで完璧で奥が深いゲームって、そうそうないだろ?」
     指せば指すほどに、勝ちか負けかのプロセスに至るまでの、宇宙よりも深遠な世界に引き込まれていく。事実、将棋の手の可能性は、十の二二〇乗といわれる。これは全宇宙の原子の数よりも多いらしい。
    「先輩がもっと多くの人に伝えたいっていう気持ち、すごくよくわかる。協力できることがあれば、なんでもしたい」
    「アマチュアにできることなんて、たかが知れてるでしょ。世間になんの影響力もないんだから」
    「ま、そうだけどな。……だからさ、先輩はプロになったほうがいいんじゃないかって思い始めてるんだけど」
    「それは、なる気はないって言ってたじゃない」
    「だけど、やっぱもったいないだろ? あれだけの人がプロじゃないなんて。そりゃ、アマチュアのように気楽にはできなくなるだろうけど……。先輩がプロになったらきっとすごい注目を集めてさ、将棋ファンだって増えて」
    「紗津姫さんの問題に、あたしは口出しする気はないわよ」
     依恋が関心なさそうに言ったところで、碧山家の前に到着した。
    「じゃね」
    「ああ」
     簡易な挨拶を交わして、ふたりは別れた。
     どうも依恋は、自分が知らない紗津姫のことを何か知っている。女同士の秘密というやつなのだろうか? 小さな疑問を抱えて、来是も家に戻った。
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