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☆
六月、梅雨の季節に入った。雲の広がる日が多くなり、じとっとした湿気が肌にまとわりつく。決して好きにはなれない季節だが、お天道様に文句をつけても仕方がない。
日曜日、来是は碧山家にお邪魔していた。ついに将棋フォーラムにて、将棋女子特集が放送されるのだ。依恋と並んでリビングのソファに座り、お菓子とジュースも用意して、今か今かとそのときを待っていた。
「どんな風になっているのかしらね」
「取材は一時間近くあったけど、実際に放送されるのは一五分くらいだからなあ。それに先輩だけが取り上げられるわけじゃないし」
相当に編集されて、カットされていることだろう。もっとも、女流アマチュアのアイドル的存在である紗津姫が、ぞんざいな扱いを受けるとは思えない。きっとメイン級の取り上げられ方をされるのではないか。
「あたしは目立ってるかしら?」
「まあ、あまり期待しすぎるなよ」
午前十時、番組が始まった。
いつもどおり、最初の半分は将棋講座。毎回これで勉強させてもらっているが、今日ばかりは早く終わってくれと念じていた。
そしていよいよ――将棋女子特集のコーナーへ。
『今、将棋を指す女性が急増中! 彼女たちが将棋にハマるようになったのはなぜなのか? そこで今回は将棋女子に密着してみました!』
軽快なBGMとともに、司会のナレーションが入る。将棋女子。あらためて聞くと、語呂のいい言葉だ。ラップの歌詞にも使えそうな気がする。
「ん? これ将棋会館?」
「まずはレディースセミナーの紹介からか」
映し出されたのは、将棋教室のシーンだった。女流棋士を講師に、子供から大人までたくさんの女性たちを教えている。
『ネットの中継を見て、興味が湧いたんです』
『棋士の人たちがカッコいいから』
『女のたしなみとしていいかなって娘にやらせてるんです。あはは』
生徒の女性たちが口々にきっかけを話している。
インターネット中継で誰でも将棋に触れられるようになり、業界人や熱心なファンでなければ知らなかった棋士の個性にも注目が集まるようになった。加えて礼儀や集中力の向上といった学習面でのメリットもある。
女のたしなみというのは、今後の女性への普及文句としてありかもしれない。紗津姫も将棋を覚えたからこそ精神が磨かれたと認めているのだ。
画面が切り替わる。とても見覚えのある校舎が映っていた。
「あ、うちの学校じゃない!」
「マジだ! ってことは」
さらに切り替わる画面。そう広くはない将棋部の部室。
そこで聖母のように優しい表情で後輩――来是に指導対局をしている美少女の姿。誰もが凝視せずにいられない存在感の胸。
何度も経験してきたが、第三者的な視点で見るのは初めてだ。
「先輩、すげえ綺麗だ」
「むぐぐ……」
HD画質を通して見る女王の美貌に、さしもの依恋も言葉がない。この超絶爆乳美少女は何者かと、全国の視聴者も度肝を抜かれていることだろう。
「アマ女王・神薙紗津姫さん」と表示される。熱心な将棋ファンならすでに名前を知っている人もいるだろうが、この瞬間、紗津姫の名は一気に全国に広まったのだ。
プロの女流棋士を破った経験もあるという、将棋部員にはおなじみのエピソードも当時の写真付きで紹介される。思ったとおり、メイン級の扱いのよさだった。
近日、アマ女王防衛戦を戦うと解説され、インタビューに入る。テロップには――。
『Q.アマ女王防衛に向けての意気込みは?』
おや、と思った。質問の流れが実際と違う。
『勝てればそれに越したことはないですが、何よりもいい将棋を指したいなと思っています。真剣勝負ができたなら、たとえ負けても悔いはありません』
よどみなく語る紗津姫。もともとは今後の目標について聞かれたもので、意気込みというのは間違いではないが、将棋部員を増やしたいというコメントが省かれてしまっている。編集上の都合というやつだろうが、彼女自身はどう思うのだろう。
すると、画面から紗津姫が消えた。インタビューはひとつだけで終わってしまった。
代わって現れたのは……。
「きゃあ! あたしよあたし!」
火が着いたように大はしゃぎする依恋。学校という場にあまりに不釣り合いな、しかし美少女のメイドさんが天真爛漫な笑顔でお茶の間に発信された。
『なぜかメイド服の将棋女子! 彼女にも話を聞いてみた!』
ナレーションが、心なしか楽しそうだった。
『Q.今後の目標は?』
『紗津姫さんに変わって、女王になることですわ!』
テレビ越しに見ているせいか、実際に見るよりも珍妙なキャラクターだった。視聴者がクエスチョンマークを浮かべている光景が目に浮かぶ。
『メイドさん、アマ女王を目指して頑張れ!』
やっぱり楽しそうなナレーションで、依恋の出番は即終了した。
「別にアマ女王を目指すって意味じゃなかったのに」
「そう取られたって仕方ないだろ」
ともかく、メイドさんごっこを強要しているような編集になっていなくてよかった。来是は心底安堵するのだった。