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☗3
「えー、茶道の作法はこんな感じらしいので、目を通しておいてください」
クラス委員長が配布したプリントを眺めて、来是はふーんとつぶやいた。ネット検索して出てきたページを、そのまんまプリントアウトしたこれが当日のマニュアルになるらしい。
十月に入り、彩文学園は学園祭に向けての準備で賑やかになってきた。放課後になればトンテンカンテン、心地いい作業の音があちこちから聞こえてくる。
来是のクラスの体験茶道は、お茶の道具以外に用意するものはこれといってないので、気楽なものだった。お客さんにお茶の点て方を聞かれたら、このマニュアルもどきで説明していけばいいのだ。クラスメイトの中には茶道部員もいるが、これはこれでいいんじゃないと笑っていた。
プリントを鞄にしまうと、依恋がグイッと腕を引っ張った。
「来是、部活行こ!」
「気合入ってるなあ」
「目指すは優勝だもの!」
学園祭と並ぶ一大イベント、女流アマ名人戦に向けて依恋のテンションは日々うなぎ登りだった。依恋が出場予定のAクラスは、優勝者が初段免状を進呈されるという。すべてのアマチュア棋士にとって、初段になることが第一の目標。ここまで来れば誰にも胸を張って「そこそこ将棋ができる」くらいは言えるようになる。
「ちわーっす……って、また一番乗りか」
「じゃ、あたしと練習しよ」
「あいよ」
ここ最近は学園祭の準備もあり、すぐに全員揃って部活開始というわけにもいかなかった。紗津姫と金子のクラスは飲食店なので、メニュー決めや教室の飾り作りなどで時間を取られてしまうのだ。
やがて紗津姫と金子が姿を見せ、同時に決着がついた。依恋のきわどい一手勝ちだ。
「ちぇ、先輩に集中して鍛えてもらってるだけあるな」
「まーね。もう初段の力はある感じ!」
「ええ、ふたりとも順調に成長してます。じゃあ依恋ちゃんと金子さん、私とやりましょう」
「はいです! でも春張くんがちょいと可哀想ですねー。今日もひとりで棋譜並べですか」
「気にすんなって。だからしっかり強くなれよ」
女流アマ名人戦に向けて練習内容を変える。紗津姫がそう言い出してからもう二週間ほどになる。
紗津姫は依恋と金子を相手にひたすら二面指しの指導対局。指導とはいえ、一切手は抜かないので駒落ちでもほとんど勝たせてはくれない。
そして目標とする大会がない来是は、繰り返し棋譜並べすることを指示された。その教材は――。
「うお、こうすると打ち歩詰めで逃れてるのか……!」
「伊達さんが永世名人の資格を得たときの一局ですね。まさに奇跡のような棋譜ですよ」
来是のほうをまったく見ないまま紗津姫は微笑む。打ち歩詰めというキーワードだけで何の対局かわかるのだから恐れ入ってしまう。
紗津姫が来是に渡したのは「伊達清司郎・永世名人への軌跡」なる本。昨年に出版された伊達名人の実戦集だ。
しばらくはこれで勉強してくださいと言われたとき、少なからずショックだった。紗津姫は来是を鍛えるため、これまで手取り足取り教えてくれた。それが一転して、距離を置かれた気がしたのだ。
もちろん紗津姫にそんな気がないことはわかっているし、学園祭の準備で減ってしまう練習時間を効率よく使うためということも、重々承知している。だがこうしたことは、なかなか理屈では整理できないものだ。
ともあれ複雑な感情は胸に秘めたままで、来是は言いつけどおり伊達名人の指し手を盤上で再現する日々を送った。それに「私が教えるよりもこれを並べたほうが上達します」と真顔で言われては、おろそかにすることはできない……。
「それよりさ、動画の再生数、三十万を超えたわね。すごいじゃない」
「ええ、ずいぶん話題になってくれているようで」
「大半は将棋ファンじゃないと思いますよ? そのおっぱい見たさですって」
「……それならそれでいいですよ。新しく将棋に興味を持ってくれるかもしれない人たちなんですから」
彩文学園将棋部と神薙紗津姫の名は、将棋ファンにもそうでない人にも急拡大していた。出水との将棋トークを収めた動画は、依恋の言うとおり現時点で三十万再生を超えている。わずか一ヶ月でこのペースは、将棋関係の動画としては破格といえた。
動画を投稿してブログで宣伝するやいなや、例によって匿名掲示板やまとめサイトで話題になり、数多の将棋ファンサイトが好意的に紹介してくれた。そればかりではなく商業ネットメディアにもいくつか取り上げられたほどだ。
確かに閲覧者の大半は、将棋ファンではないだろう。だがそれこそが狙いだ。
伊達名人も言っていた。将棋をまったく知らない人に知ってもらうことが、何より難しいと。
「どう? だんだん有名になっていく感じは」
「こそばゆいですね……。でも、嫌じゃありませんよ。少しでも将棋人口が増える助けになってほしいですし。依恋ちゃんこそ人気が出ているようじゃないですか」
「当然よ!」
紗津姫の影に隠れがちだが、依恋にも着実に注目が集まっている。紗津姫よりも好みだ、という人も少なくなかった。
この一ヶ月、紗津姫と依恋の写真を撮り続けてきた。おかげでふたりの魅力を引き出すにはどういうアングルがいいかなども、何となく掴めてきている。だが……。
「いったいどちらが学園ナンバーワンの女の子か、気になる人も多いと思うわ。紗津姫さん、まだミスコンに出る決心はできないの?」
「んー……」
言葉を濁す紗津姫。エントリーの受付は十月いっぱいだから、まだ時間はある。とはいえ、ここまでしてもその気が起こらないとなると、来是も少々焦ってくる。
もはや可能なかぎりのことはやってしまったのだ。この局面、好手はあるのだろうか。ないとしたら無難な手、すなわち現状維持に徹するべきということになるが……。