【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊
「ところで神薙さんのほうから、何か質問はある?」
「え? よろしいんですか」
「アマチュアの人たちは僕のことをどう思っているのかとか、じかに聞く機会はそうないからね」
余裕の表情を前面に押し出す伊達名人。
憧れの人に質問をぶつける――並の人間なら喉から硬直してしまいかねないシチュエーションだが、紗津姫はまるで物怖じしなかった。
「ひとつ、気になっていることがあるんです」
「何かな」
「先生のファンなら、ほとんどの人が気づいていると思うんですが、棋風があの会見から明らかに変わっていますよね。定跡を辿るのではなく、早々と力戦形にしたいというお考えが窺えて。つい先日も、筋違い角戦法を採用しましたよね。その前は四手目に7四歩と突いたり」
「驚いた。プライベートのことを聞かれるかと思っていたけど、そういうのにはあまり興味がないのかな?」
「あっ、いえ、そういうわけでは」
あたふたする紗津姫に〈かわいいw〉が連発される。来是もほとんど見たことのない新鮮な姿。
自分では、こんな表情や仕草は引き出せない。そう思うと悔しくもある……。
「確かに僕は意図的に棋風を変えた。棋風というのも変かな。とにかく定跡を外すことだけを考えてる」
「……新しい定跡を作りたいということでしょうか?」
「最近の将棋は研究発表会なんて言われることもあるだろう? 七十手も八十手も定跡が進んでいる手順を、さらに研究会の仲間同士で精査して、新手の是非を本番で検証するような。それじゃ面白くないというファンがいる」
「私はすべての将棋に意味があり、必要だと思っていますが……」
「うん、そうした研究が将棋を深めていることは疑いない。言ってみれば、道路を延ばす作業だ。しかし道路を一から作る作業もまた必要で、これに力を入れる人はなかなかいない。生活がかかっている対局で、冒険をするのは勇気がいるからね。誰かが作った道路に立っているほうが楽だ。……ならば、冒険をするべきは誰だろう?」
「先生は、ご自身だと考えたのですか?」
「そう。僕は定跡の整備ではなく、創造をしたくなった。ぶっつけ本番で、自分の閃きだけを信じて指す。筋違い角も、一歩を得られるとはいえ角を手放してしまうのは悪いというのが大勢のプロの意見だけど、本当にそうなのかなと疑問が湧いてね。結局負けてしまったけれど、途中までそう悪くはなかったと思う」
「ええ、面白い将棋でした」
伊達名人が意図的に定跡を外す将棋を指すようになったのは、ファンサイトなどで来是も知っていた。そのせいか勝率がやや下がっていることも。
名人に定跡なしと称えられる一方、勝つ気がないのではないか、わざと不利になるように指しているのではないかという批判もあった。名人から陥落したらと条件をつけているとはいえ、近い将来の引退を表明したことで、さまざまな憶測を呼んでしまっている。
しかしあらゆる毀誉褒貶を受け止めてこその名人。来是は彼の人間の大きさに感服せざるを得ない。
「新手一生と言ったのは升田幸三先生だけど、引退するまでの間にできるだけのことをしたいと思っているよ」
「……来年の名人戦も、そうした方針でいくおつもりなのでしょうか?」
「さて、そこまで言ってしまうと先の楽しみがないんじゃないかな」
「ふふ、そうですね」
密度の濃い将棋談義に、ユーザーたちも感心していた。
多少の実績を持つとはいえ、紗津姫は一アマチュアにすぎない。アマチュアが棋界の第一人者である伊達を目の前にすれば、緊張して当たり前。なのにこうまでスムーズに、内容も伴ったトークができるとは、誰も想像をしていなかったのではないか。
「もうちょっと軽い話題にしようか。神薙さんの秋の目標は、女流アマ名人戦だとか」
「はい。部の女子全員で参加します」
「もう告知が出されているけど、僕も出演棋士のひとりとして会場に足を運ぶのでね。将来有望な女の子がどれくらいいるか、楽しみだよ。もしプロを目指している子がいるなら、弟子として受け入れてもいいと思ってる」
「す、素敵ですね!」
それは紗津姫も思わず驚愕するほどの爆弾発言だった。
プロ棋士志望者には必ず師匠がつく。昔は内弟子として家事手伝いをしながら修行に励むという関係が多かったが、現在の師匠の役割は身元保証人程度のものでしかない。
しかしそれでも、この名人が師匠になってくれるとすれば……一気にやる気が出てくる女性が増えても不思議ではない。
「山寺八段が言っていたけれど、これからの将棋界はもっと女性の力が必要だ。世界の半分は女性なんだし、女性が当たり前のように将棋を指すようにならないと、本当に普及したとはいえない。そのために若い女の子を導く、これも僕の仕事だと思っている」
「女の子限定、なんですか?」
「男の子は放っておいても大丈夫だよ」
聴衆がいたら、どっと笑いが巻き起こったろう。絶妙なタイミングでユーモアを見せることができる。伊達名人の懐の深さを、来是はまざまざと知った。
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