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蜜の味
詩作の場「蜜の味」に向けて
まだ年端もいかぬ頃「あの頃は良かった」と昔を慈しみ どうやったらいまを前向きに生きることができるのかと
考えあぐね、いつのまにかそのはけ口を「創る」ことに
見出した。それを誰に話すこともなく、ここまで自問自答で
やってくると、
さすがに、どこかにその痕跡を少しだけ
残しておいてもバチが当たらないのではないかと
思えてくる。
とあえばその痕跡の味はいかなるものか。
もしや甘くどこか苦味が残る味ではないか。
甘いだけのカステラでは人の舌を満足させることはできない。
かといって、塩味を加えるだけがその全てではない。
自分が感じる「蜜の甘さの幅、深み」とはいかなるところ
からくるものなのか。
人生ジャムは作り置きが効かない。
新しい果肉を目を皿のようにして火にかけなければ
おいしいトーストを味わうことはできない。
秒速で、分速で。あそこで、ここで。
ことばが、音が、そこへたどり着くその前に。
蜜として蜜本来の味を含むそのわずかな合間に。
「蜜の味」は自分でも鍵をかける引き出しの名前である。
さあ、少しずつ、走り書きした紙を集めて、
形にしておこう。
Senri Oe Brooklyn
47歳でポップミューシャンのキャリアを捨て、ニューヨークのニュースクールへジャズ留学する。20歳のクラスメイトに「ジャズができていない」と言われ、猛練習をすれば肩を壊し。自信喪失の日々の中、ジャズの種を蒔き、水をやり、仲間を得て、ようやく芽が出てきた。マンハッタンからブルックリンに越してきて5年。相棒・ぴ(ダックスフント)と住む部屋には広いウッドデッキがある。まだまだ、ジャズを耕す日々は続く。「プルックリン物語」「大江屋レシビ」「アミーゴ千里のお悩み相談」など、ブルックリンから海を越えてデリバリー!
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