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ブルックリン物語 #24 I’m Gonna Sit Right Down And Write Myself A Letter 「手紙でも書こう」
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ブルックリン物語 #24 I’m Gonna Sit Right Down And Write Myself A Letter 「手紙でも書こう」

2016-09-22 18:00

    ハワイのフアンドレイジングコンサートの前の晩、八神純子さんと二人でカラカウア通りでご飯したときのこと。

     「大村雅朗さんのお墓にご挨拶に行ったのよ」

    八神さんが不意におっしゃった。

     「本当ですか? 僕も前から行きたいと思っていたのだけれどついつい行きそびれてしまって」

    「今度Senri さんにお寺の住所をメールで入れておくわね」

    「ありがとうございます。助かります」


    大村さんと八神さんはヤマハ時代から縁がある。僕も『
    Avec』で出会ってから『Olympic』『 1234』など、数多くの作品を一緒に作っている。アレンジャーと作詞作曲者+歌手として。松田聖子さんのアルバムに僕を紹介してくれたのも大村さんだし、彼は僕の音楽の兄貴であり尊敬する兄貴であった。

    その大村さんが亡くなって久しいけれど、僕はどこかでそれを受け入れられずにいた。お墓参りなど関係者に調べてもらえればすぐにでもできたはずなのに、僕はそれをやろうと腰を上げなかった。お墓へお参り=彼が亡くなったのだ、という現実と対面しないといけないのは辛い。僕はどこまでもあの時代の大村さんとともに見た夢の中を彷徨っていたかった。

    NYの大村さんが住んでいたチャーチストリートを通ると今でも「Senriじゃない? お茶でもする?」って照れくさそうな笑顔のあなたがでてきそうな気がして、もしかしたらまだあそこに住んでいるのかもしれないなどと馬鹿なことを思った。どこかで大村さんのいない現実から逃避して生きてるようなところがあった。大村さんが長い旅行に出ているような感覚のまま時は流れ、いつの間にか僕自身が大村さんが亡くなった年齢をはるかに超えていることに気がつかなかった。だからハワイで八神さんの一言に僕は敏感に反応した。

    今だ。

    会いに行くのならば今しかない。

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    今年は偶然にも日本へ帰る機会が多い。博多へ行くときに昼間に時間を少しとって大村さんのお墓参りに行こう。僕はこの時強く決心した。八神さんからお寺の住所と大村さんのお兄様の連絡先が送られてきたのはそれからすぐだった。

                        

     「暑いですね。湿気も相当ある。この後、Senriさんは2時間の自由行動ですから2時45分に西日本新聞社のあるビルのロビーで集合しましょう」


    福岡キャンペーンの最中、日本のディストリビュートレーベルの方にそう提案され、一人電車に乗った。福岡からほど近い駅で降りる。慣れない博多の街を八神さんからもらった情報を元に進む。太陽は真夏のそれより照って背中を刺す。湿気も半端じゃない。そんな中、駅から少し歩いた路地を抜けるとその寺に着いた。苔むした地面と大木がある緑多い敷地内に入り、石を踏みながら進む。少しひんやり。

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    驚いたことに、去年ブルックリンパーラー博多でライブをやった時、ホテルからジョギングで繰り出してこの場所に来たことがあった。大村さんのお墓があることなど何も知らず、僕はこの場所を吸い込まれるように訪れていたのだ。あの日も空が高く太陽が眩しかった。木々の葉っぱが揺れてしなだれかかった細い道を、速度を緩めてゆっくり歩いたことを思い出した。無意識に徘徊した境内のすぐ近くに、大きな壁で囲われた墓地があった。大村さんが眠る場所だ 。

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    Senri, NYにいるんだったら美味しいインド料理でも食べに行こうよ」

    大村さんはそう言って時々僕を誘ってくださった。あの頃、僕もウェストビレッジにアパートを借りて、見よう見まねで生活を始めたところだった。大村さんも僕と同じように日本とNYを行ったり来たりされていた。最初にあった頃から大村さんと僕は兄弟のようだった。弦を入れようと提案したら、「もう音がいっぱいだよ」とブツクサ言いながら譜面を取り出してアレンジを考えてくれたし、「Senriもソロのピアノを弾いた方がいいよ」と億劫がっていた僕をピアノの前へ押し出してくれた。NYでは、そんな兄弟船のスタジオワークを離れ、美味しいものを一緒に食べて心ゆくまで笑いあった。

    そんな時代が過ぎ、岡村(靖幸)ちゃんの武道館の関係者席の暗がりの中で「元気?」って声をかけられ笑った時は、少し心に距離ができていて、仕事ではあまり会わなくなっていた。そして、ある日。大村さんが病に倒れた話を共通の友人から聞いたのだ。

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    春の桜並木を自転車に跨りながら何度となく病室を見舞った。「あまり調子は良くないよ」と笑いながらも僕を歓迎してくれて、僕の買ってきた団子を一緒に頬張った。一度いつものように病院のエレベーターを降りて廊下に出ると、光の差す窓の前に大きな影が見えた。岡村ちゃんだった。「Senriさん!」「おお」二人はそれ以上何も話さず病室に入った。


    その頃の大村さんの調子はあまり良くなかった。良くないけれどタバコタイムは元気の素だったので、岡村ちゃんと僕が喫煙所まで車椅子を左右から押していった。ぎこちない手でタバコを口に持っていく大村さんに岡村ちゃんが火をかざす。スタジオのロビーでも良く嗅いだ懐かしい強目のタバコの香り。紫煙が頼りなく上がる。美味しそうに眼を細める大村さんの横顔を僕は今でも覚えている。

    そしてその日が大村さんに会う最後の日になるとは、僕は知る由もなかった。時間は砂のようにサラサラ流れ、僕はその後もそれまでと変わらず仕事に没頭し、それまでと同じようにアルバムを制作しツアーに出かけた。いつしか岡村ちゃんとも会わなくなり、僕は大村さんのことを話すこともなくなった。

                         

    膨大な季節が過ぎ、いつの間にか僕はNYに舞い戻ることになる。無我夢中で学校へ通う毎日。ふとあの頃大村さんに連れて行ってもらったインド料理屋の前を通る。シタールを演奏する民族衣装に身を包んだ女性が僕にウインクをする。「1人なんですけど」無愛想な店員は僕を壁側の席へ案内した。あのときも大村さんの前で頼んだ覚えのあるタンドールチキンのプレートが目の前に並ぶ。キングフィッシャービールを掲げ、僕は小さな声で「乾杯!」と今はいない大村さんに向かってつぶやいた。

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    「実はお墓参りをしたい んですけどこの道でいいのでしょうか? 教えて下さい」通りすがりの自転車の夫婦に尋ねると、「河沿いの方に入り口があるのじゃないかな」と教えてくれた。なのでそのまま墓の外の道を歩き続ける。けっこう広い敷地だ。壁に沿って曲がるとまたもや自転車の女性がいたので事情を話す。すると「こちらへ進んでも入口はないと思います。戻られて正面の左側を逆に進むと入り口なんじゃないかしら」という助言をもらう。今来た道を炎天下の中汗を垂らしながら戻る。去年偶然に訪れた時に通った道にまた戻る。それを左に折れまたもや壁に沿って歩く。小さなお寺が点在するのだがどこも門が閉まっていてお墓に通じる道などない。結局さっきの道にまたぶち当たってしまう。
    15分ほどかけて墓の周りを大きく一周したことになる。

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    どこにも門らしきものは見当たらなかったし、高い塀の壁は分厚くその上には鉄線がぐるぐる巻きにされて不法侵入者を入れまいとしていた。汗を素手で拭う。瞬間吹く風が大木の頭あたりの葉を揺らす。

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    「ぐるっとこの敷地を一周したのですけれど、どこからも中に入れるような入口が見当たらなかったのですが何かご存知ですか?」僕は偶然通りかかった若い青年に聞いた。すると、「そうなんですよ。一見さんは入れないお墓なんですよ。アテンドする親戚の方や身内の方がいない限り中には入れません」

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    そうか。僕はうなだれた。せっかく八神さんに教えていただいたけれど彼女も大村さんの実のお兄さんに付き添われて来たわけだし、一人でアポもなしにうろうろしてもどこにも入れる隙はなかったわけだ。「大村さんの方からSenriさんを呼んでくれるかも」八神さんのメールの最後にはそんな一行が書かれてあったけれど、それは叶わなかったわけだ。まあしょうがない。こんな壁一枚のところまで来られたのに。悔しいけれど少しだけ石の上で休憩して、レーベルの人との待ち合わせの新聞社のロビーへとぼちぼち向かおうか。

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    そんな時、「ここより先へは出入り禁止」と書かれた看板の横を年配の女性が二人で入っていくのが見えた。僕は止められるのを覚悟でその後に続いた。中は雰囲気のある日本庭園があってその先に本堂があった。本堂の中に顔を突っ込んでキョロキョロ見渡すとバチが当たりそうなので早々に退散しようと踵を返した時、ひょっこりお坊さんが現れた。

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    「あれ? 八神さんからご連絡をいただいてもう直ぐいらっしゃるんじゃないかと思ってお待ちしていました。こちらへどうぞ。ご案内しますよ」

    なんということだ。すんでのところで救いの神が現れて、僕は一度諦めかけていた墓地の中に入れることになってしまった。

    秋なのにミンミンゼミとツクツクボウシが代わりばんこにグリークラブのような流暢なハーモニーを轟かす。迷路のような門の脇をくぐり、僕はお坊さんについていった。

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    「ここです」


    幾つかあった大村家の墓の中でもその墓はこじんまり楚々とした佇まいであった。大村さんの名前を石の上に見つけ懐かしさで胸が熱くなる。

    「では心ゆくまでお話しされてください。僕は本堂に戻っておりますので」

    お坊さんはにっこり笑って出て行かれた。

    「ありがとうございます」

    僕は大きく一礼をした。

    もうダメかと思っていたのに偶然が偶然を呼び、僕はお墓の前にたどり着いた。思い切って見知らぬ女性たちについてあの本堂に続く境内まで入らなければ、あのお坊さんには会えなかった。そして八神さんが「彼が行ったらよろしくね」と連絡して下さらなければ、僕はあの手前の壁伝いで途方に暮れたまま、道を引き返していたことだろう。幾つもの偶然が重なってここへ引き寄せられたことに感謝しながら僕は柄杓でバケツの水をお墓にかけ掃除を始めた。

    大村さん、僕が聖子さんに書いた「雛菊の地平線」の中で、彼女がまだ歌ったことのない高いキーを半音オーバーしてしまい、レコード会社から「まだやったことがない音なので半音下げてほしい」と言われたとき、「それだとSenriの曲の良さがなくなってしまう。聖子にもチャレンジかもしれないが挑戦してみる価値があると思う」と言ってくださった。結局、聖子さんが素晴らしい突き抜ける声でその音を見事にクリアされた。そうやっていつもフェアで、僕のことも分け隔てなく可愛がってくださった。どちらかというと僕はやんちゃな弟でワガママばっかり言ってあなたを困らせた。でもそんなことをあなたは気にもせず笑顔で「しょうがないなあ」と首をひねりながら僕に力を貸してくださった。今、僕はあなたが好きだったあのNYに移り住んだんですよ。頑張っています。話したいことが山ほどあります。大村さん!

    僕は不謹慎にも墓石のあちこちを手のひらで触れながら大村さんに話しかけた。20分ほど経った頃だろうか。一羽のアゲハ蝶が飛んできた。僕とお墓の周りを悠々と1周してまたどこかへ去っていった。そしてすぐにその後またその蝶は戻ってきてグルグル僕と大村さんのお墓の周りを回った。はっと思った。これはもしかして大村さん自身の化身なのでは。

    蝶は生まれ変わりだとよく聞く。そういう目で見ると、その蝶は何度も何度も去ってはまた帰ってきて僕の周りを離れなかった。自然と涙がこぼれ、僕はそれを拭おうともせずにその蝶ちょうを見つめた。羽を優雅にはためかせながら程よい距離でパタパタと照れくさそうに舞う。僕は八神さんの「大村さんの方からSenriさんを見つけてくださるのじゃないかしら」というメールの最後のフレーズを思い出した。

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    空を見上げると雲が一片もなくその青は抜けるようだった。ずいぶん日焼けしたなと思いながらふと蝶々を探すともう彼はどこにもいなかった。静かな無風状態が続き一瞬微風が吹いたかと思うと一斉にミンミンゼミの大合唱が始まった。

    文と写真 : 大江千里 

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    I’m Gonna Sit Right Down and Write Myself a Letter 「手紙でも書こう」(1935)

    作曲 : フレッド・E・アラート 作詞 : ジョー・ヤング

    数多くのミュージシャン、シンガーが録音し、何度もビルボードのヒットチャートに登場した、グレート・アメリカン・ソングブックのスタンダード曲 。

    ファッツ・ワーラー(1935)

    https://www.youtube.com/watch?v=8ZZRAU3DeOo


    ナット・キング・コール

    https://www.youtube.com/watch?v=MXPN1HAu7Pk

    ビリー・ウィリアムズ(1957)

    https://www.youtube.com/watch?v=v3bQW1QYnjs&list=PLReCToT9q2NaNbPE8OPU9u1W-AiYhX_-H


    ポール・マッカートニー(2012)

    https://www.youtube.com/watch?v=R_Z8_HBJcnM


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    大村雅朗(おおむらまさあき)

    195158日、福岡県福岡市博多区出身。キーボードディスト、作曲、編曲家。「きみの朝」「モニカ」「アンジェリーナ」「みずいろの雨」「そして僕は途方に暮れる」「早春物語」「パープルタウン」「My Revolution」「Rain(以上編曲)他多数、「SWEET MEMORIS」「真冬の恋人たち」(作・編曲)他、数多くのヒット曲を手がかけた。1997年、46歳で亡くなる。




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