(文・写真/渋井哲也)
●大川小よりも下流の地域
●かつての大津波を示す「やかん桜」
●津波を見てやろうと留まった
●逃げ遅れた人を助ける
●津波警報で引き返した理由は
●小学校に止まっていたバス
●橋を渡れず、「津波がくる」と言われて
●三角地帯で先生が誘導していた!?
●大川小よりも下流の地域
石巻市尾崎(おのさき)地区。新北上川河口の追波湾と、長面浦との間にある集落で、牡蠣の養殖や刺し網漁をする漁師さんたちが住んでいる。石巻市との合併前は、河北町だった場所だ。河口付近にある長面海水浴場は、サーフィンでも有名な場所だ。防風林のためも松林もあったが、震災による大津波で流されてしまい、今は跡形もない。
児童と教職員あわせて84人が犠牲となった大川小学校の悲劇は伝わっていることから、小学校前の慰霊碑には多くの人が訪れる。しかし、大川小のある釜谷地区よりも先の長面・尾崎地区までは訪れない人が多い。先には道がないようにも見える。そのため、小学校よりも下流に進もうとは思わない人も多いのではないだろうか。
震災後、私が長面や尾崎に初めて行ったときには、長面地区がまだ浸水していた時期で、途中まではかさ上げした道路ができていた。しかし、地盤沈下しており、道路と家の段差ができており、長面の街中にある家々の一階部分が浸水していた。そのため、尾崎には行けなかった。長面より先の尾崎地区の集落が目視できるようになるまでも、何度か訪ねてくるしかなかった。
(写真:稲荷神社。この先は崩落しており、進めない)
2年が経って稲荷神社まで行くことができるようになったが、その先は砂浜があったり、港があるが、道路が崩落しているために前に進めない。砂浜までは、寺「海蔵庵」の裏からのぼり、お墓がある丘まで行き、さらに下る道を徒歩で行くか、林道を進むしかない。しかし林道は急傾斜のために、四輪駆動でないと登れない。そのため、徒歩で行ってみたが、海水浴ができるのではないかと思えるほどの砂浜が広がっていた。
(写真:稲荷神社を進むと、砂浜にたどりつくが....)
案内してくれた人の話によると、以前はここに遠足できたことがあるという。しかし、最近ではゴミ処理場ができたこともあり、近づく人は減っていたという。
この地域では浸水しているエリアが未だにあるために、水抜きをしている。水が引いたあとで、児童4人を含む行方不明者を探すことになっている。