今週のセットリスト
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.イントロ~先週より愛を込めて~
2.弟子よりも愛を込めて
3.バックナンバー
4.Q&A
5.スケジュール
6.アウトロ
1.イントロ~先週より愛を込めて~
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
祝200回記念号!ありがとうございます!
ついにメルマガ200回を迎えました!これもすべて読者の皆さんのお陰です。ここに最敬礼の感謝を申し上げます。
2013年3/14に創刊号を発行してから約4年。手探りでスタートして、雰囲気つかむのに半年ぐらいかかりましたね。
当時は文章を書きたくてたまらない状態だったので、毎日のように原稿を書いてました。で、ある日、ギター弾かずに原稿ばかり書いてる自分に気づき「それはそれでどうなんだ?」って思い、最近は少し落ち着いて来てますよね(笑)
さて、今回はいろいろと過去の記事にも戻って、ここ数年を振り返ってみたいなぁと思ってますが、その前に、いつもの先週より愛を込めて。
1/2月曜~1/8日曜
年末からメインMacのOSをSierraにし、その後、諸々のシステム構築と戦っておりました。実際作業し始めると、あれもこれもとバージョンアップという弊害が出て来るので、いつまで続くんや!という感じで、毎日何かしらのソフトの説明書を読み、他人の方法をググって、はたまたデスク周りの機材や配置までこだわり始めて、エンドレスなループにハマっておりました。
最終的には、ハードディスクのデータ整理にまで至り、デスクトップ画面に散らかったファイルをどこかしらのハードディスクに保存させ、フォルダも新たに構築し、ハードディスク間のデータ移動もしつつ・・・それも流石に週末には落ち着きまして、なんとか現状で最新のシステムが構築できたかなと。
写真、デスクトップ画面1
写真、デスクトップ画面2
何一つ無駄なファイル無しの綺麗な画面。結構、デスクトップになんだかんだ置いてしまうタイプなので、気持ちいいね。デスクトップ画面の写真などが綺麗だもんね。今後は気持ちを改めようかなと思ってます。
それで、気付いた方もいらっしゃるかな?と。そうなんです、2画面制にしたのです。
写真、2画面制
じつは長年愛用していた初代Intel Mac Proが余ってまして、一年に一度思い出したかのように立ち上げるぐらいしか活躍していないマシンがありまして、それを弟子にあげることにしたのです。
写真、初代Intel Mac Pro
それで、ディスプレイが一台余ったので、2画面制にしたというわけ。そんなに必要性は感じなかったんだけど、繋いでみたら意外と便利なんだよね。何枚もウインドウを重ねて使うより、ひょいと隣の画面に置いておくだけでたまに確認できるなんて贅沢でスピーディー。
作業効率上がりますね。
そして、Positive GridのBias Rackを導入しまして、レコーディングし始めたのですが、エフェクターがないんですよね。普通のアンプと同じだから当たり前なのですが(笑)
そこでエフェクターボードを利用することになるんですが、自分の普段の音なら問題ないんだけど、RECでは様々なエフェクター音を求められますよね?そこで、楽チンだと思ったのが、ZoomのG3n。これをBias Rackに繋いでおけば、好きなエフェクターだけG3nから探せばいいわけよ。便利だね。頼もしいユニットが完成です。
写真、Bias Rack&G3n
ということでMacOSをSierraにするところに起因したすべてのクリーンアップが終焉を迎え、週末から諸々の作業に没頭しております。
2.弟子より愛を込めて
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
読者の皆様ご無沙汰ですしております。
弟子の笠原です。
この度、師匠のメルマガ「メルマガより愛を込めて」
が第200号を迎えるということでとても嬉しく、
おめでたい気持ちでいっぱいです。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、師匠に「
メルマガを始めてみてはどうですか?」と提案したのが僕で、
それからいろいろドワンゴ(ニコニコ動画の運営会社)
と何度か資料のやり取りをし、創刊に至りました。
創刊当時は、いろいろな人が有料メルマガやっていました。
有料メルマガのバブル期と言えるかもしれません。
その波に乗ろうと言う意味も、もちろんありましたが、
この有料メルマガと言う媒体は実はファンクラブ的な要素もあり
「ファンの皆様に毎週師匠からの会報(メルマガ)が届く」
これは購読している皆様が嬉しいのではないかなと、
思ったのが始まりです。
ここだけの話し、
忙しい師匠なので200号まで発行出来るなんて正直思っていませ
んでした。
ちなみに僕は全ての号読んでおりますよ!
そのお陰もあってか、
台湾に居ながらにして師匠の行動を把握出来ます。
もちろん今はSNSがあるので誰でも簡単に情報の送受信が出来ま
すが、このメルマガは有料なだけに『いいね!』
で消費する無料のSNSとの差別化が出来ているかなと、
師匠との物理的な距離が出来たからとても感じられました。
何が言いたいかと言いますと、「メルマガより愛を込めて」
を発行して良かったなと思っています。
読者の皆様が購読していくれているのと、師匠が毎週記事を書き、
スタッフがまとめてくれているからここまで続いているんだなと、
これを書きながら感動しております。
このメルマガのファウンダーとして、
これからも末長く続くことを願っています。
最後になりましたが私、笠原は日本人の方を対象にSkypeでギターレッスンをしております。
私のTwitterやFBページなどで情報等を発信しておりますので、ご興味のある方は是非フォロー、いいね!をしてやってください。
次回いつ登場するか分かりませんが、また登場させていただきたい次第ですので購読続けてくださいね。
それでは失礼します。
3.バックナンバー
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
このコーナーは以前に発行されたメルマガから興味深い記事を思い返すバックナンバーのコーナーです。
昨日は、成人式だったということもありまして、生誕から記事を書いた「生い立ちシリーズ」を紹介します。
<2013年第39号の「独り言より愛を込めて」コーナーより>
~小林信一の生い立ちシリーズ第1回「文京区に生まれる」~
ビートルズが解散し、ジミー・ヘンドリックスが死去するというRockの世代
交代がなされたのではないかと思われる1970年。その1970年10月10日に小
林信一は東京の文京区に生まれました。文京区と言えば後楽園。この1970年
4月に後楽園球場が初めて電光スコアボードになり、巨人軍がV6を達成しま
す。いわゆるV9の全盛期ですね。大阪では芸術家“岡本太郎”さんの“太陽の
塔”が印象的な大阪万博が開催されたり、日本はとても華やかな時代に突入し
ます。ソニーがニューヨーク証券取引所で日本初の上場企業になるという日本
経済イケイケの年ですね。
負のニュースとしては、日航機よど号ハイジャック事件、市ヶ谷自衛隊にて三
島由紀夫が自決という感じです。
正も負も激しい時代と言えますね。
そんな時代背景の中、東京都文京区にあります東京医科歯科大学病院で産声を
上げるのですが、奇しくも親父が亡くなる病院になるとは誰も想像しなかった
でしょうね。
母子手帳によると「午後0時30分、2995g、身長50.5cm、胸囲31cm、頭囲
32.5cm」と書いてあります。
日本一の楽器店街がある御茶ノ水駅の目の前にある大学病院でして、生まれた
時から楽器に関係する運命だったのでしょうかと興味深く思います。
生まれる当日は、制定5回目を迎えた“体育の日”という響きの休日モード。普
段は賑やかな大学病院も母がお産づいたときには看護婦やら主治医やらが不在
で、大慌ての中、宿直の若い先生1人の状況で私を産んだのだと母の証言で
す。
赤ちゃんにしてはお尻のサイズが大きかったらしく、臨月を迎えての診察のと
き「もしかしたら頭が2つあるかも知れません」と医者から告げられていたそ
うです。それから出産まで母の精神的ダメージは大きかったようで、普通の頭
1つの私が生まれて来た瞬間、出産できたという感動よりも「頭が1つで良
かった!」と、もの凄く安心したそうです。
写真1、生後20日目
(以下、写真はアルバムを直接iPhoneで写メってお届けしていきます)
上が母で下が父です。2人とも23歳。若い(笑)
写真2、1歳4ヶ月with父
写真3、1歳4ヶ月with母
写真を見る限りですが、私は親父といるとツマらなそうで、母といると嬉しそ
うですね(笑)
文京区の茗荷谷(みょうがだに)にあった“長島荘”というアパートの庭と外で
の写真です。営団・・ではなかった、メトロ丸ノ内線が茗荷谷から後楽園に向
かって地上を走る辺りです。拓殖大学とかある辺りを知ってる方なら分かると
思いますが、茗荷谷駅前を走る“254春日通り”から線路沿いに小道を1本入る
とそこはもの凄い崖のような坂ばかりの町なんです。たしか地上を走る丸ノ内
線車内から急勾配な町並みが見えるはずですね。その入り組んだ崖が子供たち
の格好の遊び場だったんです。
その頃、私が1番好きだったのが“怪獣”。リアルタイムでは1972年4月から“ウ
ルトラマンエース”が放送されてまして、ウルトラマンよりも“怪獣”だったんで
すよ(笑)
子供心にストーリーは響かず、毎週毎週、色とりどりの“怪獣”が心を奪ったん
ですよ。怪獣のお人形とずっと遊ぶ信一くんを見て、両親がプレゼントしてく
れたのが“怪獣の乗り物”。
写真4、怪獣の乗り物with信一くん
これは相当に嬉しかった。それからというもの、毎日ずっーと“怪獣”にまた
がってアパートの小さな庭を行ったり来たりしてました。
来る日も来る日も“怪獣”にまたがる毎日。
少しずつ運転も上手くなり、脚力がついてくると行動範囲も増え、アパートの
外へ出るようになると水を得た魚のように公道を走り回りました。
そして、慣れた頃が1番危ないと人は言いますよね。ついにやらかします。
茗荷谷というのは「茗荷が良く採れた湧き水豊富な谷」ということで、前述し
た通りの急勾配。オートマ車でも坂の途中で止まったら嫌だなぁと思う坂で
す。
ある日、私を乗せたブレーキの無い“怪獣”は、どこまででも坂を猛スピードで
下りました。1番下まで坂を下ると線路沿いの車通りで、完全にアウトだった
でしょうね。
天は私にハンドル操作を誤らせました。そして、壁に激突。頭から血を流して
泣き崩れる我が子を見て、母は慌てたでしょうね。
ヒステリー持ちの感覚があるので、痛がってる私より「キャーキャー」言って
たんじゃないかな(笑)
そのまま近くの町医者へ私を抱えて走って行ったそうです。
その時の“254春日通り”の信号待ちが私の脳裏になぜか焼きついているんです
よ。
母がキャーキャー言いながら「早く!早く!」って信号にお願いしてる場面。
私は母に抱かれてるだけなのですが、極度の痛さに感覚は通り過ぎていたから
逆に「何でこの人ギャーギャー言ってるんだろう」みたいに冷静だった記憶で
す(笑)
そんなこんなで、ホッチキス・タイプで頭部の傷口を塞ぎ、数ヶ月は帽子みた
いなネットを被らされていました。
写真6、ネット帽with母&鍋
だがしかし!それでも私は“怪獣”に乗り続けました。
写真5、怪獣の眼も取れますがお構いなし!
そして、3歳になっても“怪獣”は活躍し続けるのでありました!
写真、近所の子らwith“怪獣”
風呂なし6畳、3畳、台所というアパート暮らしだったのですが、近所の風呂屋
が潰れて不自由になり、練馬という地へ移住するのでした。
つづく。
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
小林さんメルマガ200号おめでとうございます!
システムの更新完了ですか?創作に集中できますね!
笠原さんの記事、とっても嬉しいです!笠原さんのおかげで今のメルマガがあるんですね〜。また是非メルマガにご登場、楽しみにしています!毎週大好きな小林さんからメールが届くって、本当に嬉しくて特別なことだと思います✧*。٩(ˊᗜˋ*)و✧*。
生い立ちシリーズ、何度見ても素敵な御家族で心温まります!今はお父様によく似てらっしゃいますが、小さい頃はお母様かな、と思います。
2月はツアーやセミナーがあってお忙しそうなのがとてもわかりやすいのですが(笑)1月もお忙しいのですね。今週Twitterがとてもお静かだったのが気になります(笑)
お身体気を付けて下さいね。
メルマガを200回も書かれてスゴイと思います!約4年ですか!継続することは素晴らしいと本当に思います。小林さん、いつも楽しいメルマガをありがとうございます。そして、メルマガを始めるきっかけを作られた笠原さん、毎週まとめてくださっているスタッフさんにもお礼を言いたいです。これからも末長く楽しみにしています!!! バックナンバーの写真は小林さんはかわいくて、一緒に写る方によって表情が違うことが私にはツボで、見るたびに和ませてもらっています。ご両親ともモデルさんみたいで素敵です☆ 作曲の神様が降りてきてくださいますように☆彡 今年も独り占め企画を楽しみにしています♩