社会人となって数年を経た後に周囲を見渡すと、学生時代の延長線上に生きている人と、当時とはまったく別の環境に生きている人がいるように思えるものだ。どちらがよいということはないし、どちらが正解というわけでもない。それぞれにそれぞれのよさがあり、そしてまた辛さや苦労もあるだろう。
学生時代に音楽と出合ったことがきっかけで、バンドとしてフジロックに出演したり、一時は社会現象といわれるほどの注目を集めた「神聖かまってちゃん」(以下、かまってちゃん)のマネージャーとしてニコ生でいじられたりするようになったばかりか、最近では、杉作J太郎が立ち上げた「男の墓場プロダクション」所属の文筆家として各種連載もこなす劔樹人(つるぎ みきと)氏は明らかに前者中の前者。
これまでの軌跡とともに、好きな道を追求するために必要なことを伺ってみた。
不本意な生き方をした1年間は虚しかった
――劔さんは、最初、かまってちゃんのマネージャーとして有名になった印象がありますが、ご自身もバンドマンとして「あらかじめ決められた恋人たちへ」(以下、あら恋)のベーシストとしてご活躍ですよね。
あら恋に誘われたのは東京に引っ越してきた2007年頃なんですけど、ちょうど同じタイミングで他のメンバーも上京してきたんですよ。実はその前にやってたバンドを辞めちゃった後、1年くらい会社員してたんですけど、やっぱり音楽を諦めきれていなかったので虚しかったんです。そのとき28歳くらいだったんで、最後のチャンスっていうか、東京に行ったらもっと音楽に近いところで仕事できるんじゃないかと思って。
――どんな仕事をしてたんですか?
広告関係です。仕事しないとお金がないからするしかないけど、毎日ハリがなくて。デザインとか編集とかの仕事ってほんと辛いじゃないですか。寝ずにやったりしないといけないから、日々そればっかやってる感じがして精神的にもきつくて。しかも働きながらつけたラジオから、前に自分が関わってたバンドの曲が流れてきたりして。ほんとになにやってんだろうみたいな虚しさに耐えきれず、結局すぐにドロップアウトしちゃいました。
――上京してからは、すぐに「音楽に近いところ」での仕事と巡り合えましたか?
最初、渋谷のLUSHってライブハウスでバイトしてたんですけど、そしたら今の会社(※現在、株式会社パーフェクトミュージックのプロデューサーを務めている)のオーナーが「なんかやらないか」って声を掛けてきたんです。それで、「最近気になってる、かまってちゃんっていうバンドのマネジメントしたいです」って答えたのがきっかけで、自分の会社作ってマネジメントすることになったんです。でもすぐに人気が出て一人で手に負えなくなって、かまってちゃんごとパーフェクトミュージックにお世話になることになったんですけど。
――かまってちゃんの一時期のフィーバーぶりはすごかったですが、マネージャーを務める劔さんの注目度の高さも相当なものでした。
かまってちゃんの活動の軸がニコ生だったんですけど、僕はいちいちそこに引っ張り出されてて、そういう立ち位置を面白がってくれる人もいたんですよ。それ以降、アイドルのマネージャーで目立つ人が増えたと思いますけど、僕は先駆けだったんじゃないかと思います。でもパイオニアは、ASAYANやってたときのモーニング娘。の和田マネージャーでしょうね。
かまってちゃんのマネージャーとして、マネージャーらしいことは何一つやってきてない気もしますけど、バンドがステップアップしていく中で、音楽を仕事にする上でのセオリーは学べました。あと、ネットを使って無料でもパフォーマンスを見せていくっていうのは、かまってちゃんが先駆けだと思うんですけど、今の時代なぜそういうことが大事なのかってことも学びましたね。
Yahoo! トップニュースってすごい
――今後もネットの重要度は変わらないでしょうか?
こればっかりは分かんないですよね。刻一刻と変わっちゃうんで。みんな音楽にあまりお金かけなくなってきたし、YouTubeとかでもシングルまるごと聴かせるの当たり前になってきてるし、これから先も、その都度その都度で一番いい方法を見付けていくしかないですよね。だけど今のところ僕はまだYouTubeの力を信じてるというか、例えばナタリーでニュースにされるのってすごく大事ですけど、最近は数が多いから普通の話題だったら埋もれちゃう感じで。その点、YouTubeは、アップされる動画数は多いけど、しっかりアイディアを持ってフックを作ればちゃんと話題になる気がしてて。
あと、Yahoo! トップニュースの力はすごいですね。実は僕、4回くらい関わってることが取り上げられたんです。最初は鬼束さんとニコ生やったときだったんですけど(※鬼束ちひろのネット番組の司会者を担当)、FBの友だち申請が一気に増えて。次が、かまってちゃんの「フロントメモリー」っていう曲を川本真琴さんが歌って元モーニング娘。の新垣さんがMVに出演したときで、「元モーニング娘。新垣里沙の今」みたいな取り上げられ方だったんですけど、やっぱりみんなそういうの気になるみたいですごい盛り上がり方でした。それから、去年結婚したときもすごかったです(※昨年、コラムニスト、エッセイストの犬山紙子さんと結婚)。みんなネットで知ってるから、未だに久しぶりに会う人に「結婚おめでとう」って言われるくらい。あとは、『SPA!』で松浦亜弥さんに関しての取材受けたんですけど、それが「松浦亜弥の再評価」みたいな形で出たところ、CDが一気に売れて一時期在庫も無くなってiTunesのランキングもトップになって。
みんなYahoo! のトップニュース狙いたいっていうんですけど、狙いようがないですよね。お金出せば載れるもんじゃなく、向こうのさじ加減なわけで。だから、向こうが取り上げたいと思うくらいインパクトあるもの、話題性のあるものをどれだけ作れるかっていうことですよね。
環境によっては、結婚してなくて普通。焦る必要なんてないと思う
――犬山さんとの結婚式は、その後、まとめサイトでもまとめられまくってましたね。もともと結婚願望は強かったのでしょうか?
全然。逆に結婚なんかしないのが当たり前くらいに思ってて。僕のまわりは男性も女性も結婚してない人が多くて、僕みたいにぶらぶらしてる感じの人ばかりなんですよ。でもやっぱりちゃんとした社会人だと、ある年代になったら「結婚しなきゃ」って思わされる環境みたいのもあるわけですよね。僕の生きてる環境からすると、「焦る必要あるんかなあ?」って感じなんですけどね。ちょっと環境が変わると、結婚しなくて当たり前みたいになるんで、気にしなくていいと思うんですよ。僕はたまたま、奥さんもああいう生き方だから結婚できたようなもんで、一般の女の子からだったら、選ばれなかったと思うんですよね。そう思うと運がよかっただけで。
――結婚してよかったことはありますか?
嫁の顔を見せるという親孝行ができたとは思います。僕ね、小さいころ、勉強できる子だったんですよ。よくある話ですけど、子どものことはいろんなことに興味があって抜群に記憶力がよくて、将来どんな天才になるんだろうって期待されてたんですけど、成長するにつれてそういう能力は薄れて行ってこの通りですよ。どうしようもないボンクラになって30も過ぎてしまったので、嫁の顔を見せることができたことが人生で一番の孝行に思えていまして、それだけはよかったなって。
なんせ、ずっとなんの仕事してんのか分かんないような感じでしたから。結婚に関してもほぼ諦めてたような時期もあったわけだし、僕も杉作さん(杉作J太郎)みたいになるんだろうなって思ってました。仲間たちと好きなことして、年取ったら若い男たちと集まって。でも、そういう風になるためには、ちゃんと見聞も広げなきゃいけないし、人間を惹きつける魅力もつけていかないといけない。いろんな出来事に直面しないとそういう魅力って身につかないじゃないですか? だから、今いろいろ苦労しなきゃいけないんじゃないかっていうのは常に思ってますね。初対面の人に会ったとき、心に残る話の一つでもしてあげたいですから。ただぼーっと生きてたら何も話せることなんてないですからね。
自信のない自分の生き様でも見せていかなきゃいけない
――以前から杉作ファンを公言してらっしゃいますが、杉作さんの魅力ってなんでしょう?
生き様ですね。もしかして、自分はそうなりたくはないけど、自分がなれないようなものを見せてくれてるっていうことかもしれないですね。でも憧れってそうじゃないですか。僕はアイドルが好きなんですけど、アイドルもそう。やっぱり生き様がすごいんですよね。
――道重さんへの熱い想いはよくブログにも綴られていますよね。
松浦亜弥さんが、人知を超えた大自然の驚異みたいな圧倒的超人の天才だとしたら、道重さんは「普通の女の子が努力だけで辿り着いた前人未到の領域」って感じですかね。だからこそ多くの人が道重さんに大きな共感を抱くし、彼女の言動に魂が震えるんです。どっちもそれぞれ頂点であることは間違いないですけどね。
――ずばり、劔さんにとってアイドルとは?
最近気がついたんですけど、僕は「アイドルが好き」なんじゃなくて「アイドル道が好き」な気がするんです。「武士道」とか「剣道」「柔道」みたいな道のことなんですけどね、まだ若い女の子が、同じ年代の女の子が恋愛だ旅行だと青春を謳歌している中、ひたすら歌とダンスに打ち込み何者かになろうとしている。悩んだり苦しんだりしながら、ステージでは笑顔で自分の限界に挑んでいるわけです。
思えば僕は、子どもの頃からずっと自分の居場所探しみたいなことばかりしてきて、何か一つのことを究めるために誰より努力するってことをしてこなかった。それをこの年になって後悔してるところがあるんです。だから僕にとってアイドルは、「自分ができなかったことを実践している憧れ」なんですよね。特にハロプロのアイドルにはそれを感じるんです。サークル活動みたいな意識が透けて見えるアイドルに対しては、心が動かなくなってますね...。
――劔さんご自身はこれからはどういう風に生きていきたいですか?
やっぱり心のどこかでは、僕の生き様が誰かの役に立てばうれしいなと思ってます。例えば、僕、漫画に割と自分のこと描くこと多いんですけど(EYESCREAM.JPで連載中。他に『高校生ブルース』(太田出版)など)、自分の人生に自信があるわけじゃないんで、自分の生活を題材にするのは非常におこがましいと思ってるんです。でも杉作さんから学んだのは生き様を伝えていくことなんで、自信のない日常でも見せていく勝負をしたいと思っちゃうんですよね。だから人に笑われるためにひどい目に遭いたい、幸せになってはいけないみたいな気持ちは常にありますね。いや、でももちろんそのひどい目とも全力で戦いますよ。失敗から立ち上がることこそ誰かの勇気につながりますから。
そんな風に生きてきて一個だけ自信持っていえるのは、諦めないのって大事ってことですかね。僕、これまで自分にとって大事なことは一つも諦めてないんです。一回行き詰って辞めちゃったりしても、手を変え品を変えして、やっぱり同じようなところに戻ってきてるんです。学生のころは物書きになりたくて、そのための進学には失敗したけど、結果30過ぎて本出せたし。まあ、なぜか漫画でしたけどね。音楽活動にしても、昔と比べると、生活の中における音楽の比重は変わったけど、音楽やること自体は諦めてない。諦めきれなかった往生際の悪さってありますね。大輪の花は咲きませんでしたが、ちっちゃな花は咲いたかな。
世に出ようとしたら批判浴びることもあるし辛いこともあるけど、それでも諦めずにやるって大事ですね。結婚もフジロック出演も、できたからってそれがゴールじゃないし、これから先も、いいこと悪いこといっぱいあると思うけど、そういう人生を諦めずに楽しんでいきたいですね。
大阪での大学時代から音楽活動をスタート。様々なバンドでのベーシストとしての活動を経て、2008年からはダブ・エレクトロバンド「あらかじめ決められた恋人たちへ」に参加。
2009年、株式会社パーフェクトミュージックにて「神聖かまってちゃん」のマネージャーに就任。マネージャー自ら表に出される画期的なスタイルでバンドとの二人三脚を確立し、2011年には、映画『劇場版神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』にも出演している。同年、鬼束ちひろのニコニコ生放送番組『包丁の上でUTATANETS』で進行役に抜擢。
また、杉作J太郎率いる「男の墓場プロダクション」に所属し、2012年に2人でTBSのトークバラエティ『オトナの!』に出演した際は、女性視聴率0%という記録を打ち出している。著書に『あの頃。男子かしまし物語』(イースト・プレス)『高校生のブルース』(太田出版)など。