閉じる
閉じる
×
こんにちは、苫米地英人です。暑い日が続きますね。8月の放送日時は、しばらく空きまして29日(金)21時半〜23時予定です。放送では、会員の皆さんからの質問、または悩み相談のメールを募集しております。下記にいただけたらありがたいです。
drtomabech@gmail.com
このメールアドレスがメルマガ運営部のアドレスになります。こちらにいただいたメールは、運営部が管理しますのよろしくお願いいたします。現在は、私のチャンネル会員になると、今まで行ってきたなまべちでGO!!35回のうち、33回ぶんの過去放送を見られるようにしていますので、最近入会した方や、見のがした回がある方もご安心を。また、このブロマガ専用の公式twitterを立ち上げております。ドクター苫米地ブロマガ委員会という名前です。そして、今後は特別動画の投稿も予定してますので、お楽しみに。
https://twitter.c
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
コメント
コメントを書く
存在しない、ということは、自分という本体というは、
周りからエネルギーを集めた結果にすぎない、ということか。
そう、ここだけが苫米地さんと自分との異なる考えの部分・・
これから4次元5次元の世界が解明され、あの世というものが解明されたら苫米地さんは何て言うんだろう。
日本は唯物論が台頭してるからこそ、明日が見えない人が多いというのに。
これが分かる人は果たしてどのくらいいるのかな
金払ってまで読んで損した(´・ω・`)
「脳というコンピューターの中で行われている情報処理としての現象」そんなことわかってて、その現象のことを便宜的に「心」とか「自我」とか「性格」と呼んでいるんじゃん。
これを存在しないと言ってしまったら、この文中で使われている「反省」「後悔」「悩み」「自信」といったあらゆる感情が「そんなものは情報処理としての現象なので存在しません」と否定できて、まったく話しにならなくなるけど、どうなんですか?
意識っていうより「意志」の否定なんじゃないかな
自由な決断も結局色んな要因に誘導されているに過ぎないということなら分かる
けどそういった誘導の過程を自分の意思だと錯覚してる「俺」ってなんなの?
みたいに考えると魂みたいなのがやっぱりあるんじゃないかなと思う