(※この記事は2013年8月9日に配信されたメルマガの「メディア/イベントプレイバック《part.1》」から抜粋したものです)

僕も現地取材へ参加し、ルポを寄稿した『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』が発売されてはや1カ月。その間、東浩紀さん(@hazuma)といろいろな番組で共演し、チェルノブイリ取材の感想やこの本の見どころを語ってきました。そこで今回は、それらをまとめて再構成した総括的な対談を掲載します。僕たちが現地で見たチェルノブイリの現実とはどのようなものだったのか、そしてそこから日本が学べることは何なのか。「福島第一原発観光地化計画」の意義や可能性を東さんにおうかがいしました。


◆チェルノブイリからフクシマへ――東浩紀が語る「福島第一原発観光地化計画」の意義

(2013年7月2日 J-WAVE『JAM THE WORLD』「BREAKTHROUGH!」[*1] および2013年7月8日 テレ朝チャンネル2『ニュースの深層』[*2] 、その他トークイベントなどから再構成)

出演:東浩紀(思想家)、津田大介


津田:本日のゲストは作家・批評家の東浩紀さんです。今年4月、東さんと僕は東さんが代表を務めるプロジェクト「福島第一原発観光地化計画」[*3] の取材で、ウクライナにあるチェルノブイリ原発を訪れました。その模様は『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』[*4] という1冊の本にまとめられ、7月4日に発売されました。まずは、僕も参加している「福島第一原発観光地化計画」について、簡単に内容を教えていただけますか。

東:2011年3月、東日本大震災で事故を起こした福島第一原発の事故の記憶を、将来どのようなかたちで継承していくのか。跡地に博物館を建てるのもいいけれど、それだけでは人が集まらないので、25年後、30年後というタイムスパンで周りに人が集まってくるような観光地化も考えていいのではないか。そこから発想が始まったプロジェクトです。

津田:プロジェクトそのものを思いついた直接のきっかけは何だったんでしょうか。

東:もともと観光には関心があったんです。福島第一原発事故というのは、日本では「戦後最大の事件」という、あくまで日本の文脈で捉えられています。しかし、世界的に見たらまずチェルノブイリの事故があって、次に福島の事故なんですよね。そういう連続性や文脈で捉えられている。2012年の夏ごろかな。そのことを考えていたときに「そういえば、チェルノブイリはいまどうなっているんだろう?」と思ってネットで情報を調べてみたらポーランドとウクライナが「EURO2012」というサッカーの欧州選手権を共催していて、そこに来たお客さんがチェルノブイリ原発の前に行って短パンとTシャツでガッツポーズをして写っている──そんな写真がネットに結構転がっていたんですね [*5] 。あれ、これはどういうことなんだと。

チェルノブイリといえば今でも廃炉が行われていなくて、いまだに後遺症に苦しんでいる人がたくさんいる──そんな話だったのに、実際には石棺で覆われた4号機のわずか数百メートル前の近いところで明らかに観光客であろう人たちが記念写真を撮っているわけです。これは複雑だなと思い、チェルノブイリについていろいろ調べ始めました。すると、チェルノブイリが観光客を受け入れていることは、復興や人々に事故の記憶をどのように伝えるのかという点で大きな役割を果たしていることがわかった。であれば、福島第一原発についても似たようなことを考えてもいいのではないかと思い、この計画を始めたんです。


◇チェルノブイリで見たもの

津田:その計画の一環として、この4月、チェルノブイリで実際に行われている観光ツアーに参加するかたちで取材をしてきたと。ツアーに参加されてどんなことを感じましたか?

東:まず、「ここは危険だ」とか「死の街だ」という感じはしませんでしたね。事故を起こしたチェルノブイリ原発の20kmくらい南──日本でいうと福島第一原発と南相馬ぐらいの距離ですかね。そこに、チェルノブイリ市 [*6] という古い町があって、そこは「ゾーン」と呼ばれる原発30km圏内の立入禁止区域内に含まれているんですが、その町では原発作業員や役人の方が多く働いていて、市内には人も歩いているし車も走っている。食堂もあれば、バスターミナルもある。何となくわれわれは立入禁止区域は無人の世界だという予断をもっていたのですが、実際に行ってみるとそんな簡単な話ではなく、そこには人々の生活があるし、みんなが暗い顔をしているわけではない。現実はいろいろ複雑なものなんだなということを改めて感じました。

津田:本当にそうですね。僕も何となく感じていた「チェルノブイリとはこういうものだ」というイメージがことごとく打ち砕かれました。

東:日本ではチェルノブイリ報道はひとつの方向性をもっていて、「今でも被害に苦しむ人がいる」「廃炉も終わっていない」「チェルノブイリを中心に、放射能に汚染されて人も住めない」といった話が流通しています。それはそれで真実ですが、同時にチェルノブイリの街は労働者がたくさんいて車もバスもたくさん走っている。つまり放射能に汚染されて人は住んでいないけれど、仕事があって人々が働いている。おそらく福島についても将来はそうなると思うんです。

津田:チェルノブイリで意外だったのは、観光客を受け入れようとする周辺地域住民の姿勢です。取材した人たちが口々に事故の記憶を後世に残していくことの重要性を説いており、それが強く印象に残りました。

東:物見遊山、好奇心だけで人が来るのだとしても「そういう人が来ることでチェルノブイリが記憶に留まるなら、それはいいことだ」と彼らは言います。単にしかめっ面をして「この事故を忘れません」ということではなかなか風化は止まらない。人が何かを覚えておくためにはその記憶を覚えたいと思う「欲望」がないとダメなんです。福島第一原発も、事故が悲惨だからこそ、それが記憶に留められていくためには人々が「楽しみながら学ぶ」というかたちがあるべきではないか、と。

いまチェルノブイリに行くべきなのは日本人だと思います。福島と似た事件を27年前に起こした場所の現在がどうなっていて、人々がどんな表情で働いたり生きているのか見てほしい。「観光地化」という選択がいいかはわからないし、さまざまな批判もあるとは思いますが、「あの事故の記憶を残す」という部分だけは絶対に手放してはいけないと思っています。


◇ダークツーリズムとは何か

津田:そんな思いが結集したのがこの7月に発売された『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』なんですね。ところで、書名のタイトルに入っている「ダークツーリズム」──あまり耳慣れない単語ですが、まずはこのキーワードから説明していただけますか。

東:まず、ツーリズムというのは「観光」という意味ですよね。ダークというのは「暗い」とか「闇」という意味です。つまり、「観光」というと、普通は「明るい」「いい景色」ですとか「快適」なところにいくわけですが、ダークツーリズムの場合はむしろ悲劇の土地──アウシュビッツ [*7] とか広島 [*8] だとか、そういう場所に行く。そこで「人間っていろんな過ちを起こしたな」「ここで人が死んだり、いろんな悲劇があったんだ」と噛みしめたり、悲劇の犠牲者を追悼しながら旅をする行為をダークツーリズムと言うんですね。でも、実は日本でもダークツーリズムはいろいろなかたちで実践されているんです。たとえば修学旅行や社会科見学で広島や長崎 [*9] 、沖縄のひめゆりの塔 [*10] とかを訪れた方も多いんじゃないでしょうか。あれこそがダークツーリズムなんですね。

津田:なるほど。修学旅行や社会科見学で考えるとわかりやすいですね。最近は「スタディツアー」[*11] なんて単語もありますが、ダークツーリズムはそれらを包括する概念とも言えそうです。そして、ダークツーリズムには、災害の記憶を風化させないという目的や、負の遺産や負の記憶を継承する効果がある、と。

東:そうですね。今回の福島第一原発事故もそうですし、チェルノブイリ原発の事故もそうですが、これらの負の歴史は人類全体で継承していくべき記憶ですよね。ですが「記憶するんだ」「忘れないんだ」というお題目だけで人が動くかというとそうはいかない。実際に現地に足を運ばせる──そこに人を呼ばなければいけないし、そこに人が来て、その場所を“それなりに”楽しむといった別の付加価値がないと人は来ないんですよ。

広島の原爆ドームを訪れたことのある方は多いと思うのですが、広島観光って原爆ドームだけ見てすぐに帰るわけではないですよね。お好み焼きを食べたり、神社に行ったりそれ以外もいろいろしているはず。ひと口に悲劇を継承するといっても、追悼式典に出たり、博物館に行ってうなだれるだけじゃなくて、それにさまざまな行為──楽しい「観光」も絡めて、楽しみのなかに学びを入れていくのがダークツーリズムだと思うんです。日本は今後福島第一原発事故の記憶や教訓を受け継いでいかなければいけないわけですが、その記憶や教訓を受け継いでいく際にダークツーリズムの考え方はひとつのヒントになるなと思っています。


◇日本人の知らないチェルノブイリ

津田:東さんがチェルノブイリに行ったのは、まさにチェルノブイリ原発が新たなダークツーリズムスポットとして注目され始めている事実があったからだと思うのですが、一方、日本人のわれわれからすると「27年前にチェルノブイリ原発が事故を起こしたよね」「後遺症とか大変なんだよね」ということは教科書レベルでうっすら頭のなかにあるものの、実際に今のチェルノブイリ原発周辺がどのようになっているのかはまったく知らない。先ほど「現実はいろいろ複雑なもの」という発言がありましたが、具体的に複雑さを示すエピソードをいくつか教えていただければ。

東:実際に行くとわかるのですが、チェルノブイリの事故が深刻であることは疑いがない。今でも後遺症で苦しんでいる方々もいるし、廃炉もまだまともに始まっていないわけですから。このことは絶対に抑えておかないといけない「事実」です。しかし、だからといってチェルノブイリが全部「死の町」になっているかといえば、そうではない。これもまた「事実」なんです。実はチェルノブイリ原発は事故で廃墟のようになっているのかと思いきや、発電所そのものはまだ現役の施設として「動いて」いる。といっても「発電」はしていません。原子炉は2000年以降すべて止められているのですが、実はチェルノブイリ原発はウクライナ全土に電気を送る電力網のハブになっていて、送配電の機能は今でも残っているんですね。

チェルノブイリ原発では廃炉作業も含めて、数千人の方がまだ働いている。2年前までは原発事故前からずっと働いているという職員もいたし、原発事故直後からずっと働き続けてる職員の方もいる。原発事故を起こしたからといってそこが死の町になってすべてが廃棄されるわけではない──そんな当たり前の現実を、現地に行くことで確認できたわけです。実際に作業員とも話しましたが、彼らがすごく暗い顔で放射線防護服を着て怯えながら作業をしているかかというと、全然そんなことではないんですね。鼻歌を歌ったり、ちょっとふざけあいながら仕事をしていたりする。人間が仕事をしているから当たり前の話なんですが、そういう光景を目の当たりにすると、普通に僕たちが「チェルノブイリ」って単語で想起されるイメージとはずいぶん違うよねと思いました。

津田:チェルノブイリ原発事故は福島第一原発事故よりも多くの放射性物質を拡散したと言われています。実際に行って見て原発周辺の放射線量はどうだったんでしょうか。

東:驚くほど低かったですね。原発敷地内に入ると3〜5マイクロシーベルト毎時と多少高くなりますが、立入禁止区域内の放射線量は約0.1から0.2マイクロシーベルト毎時──東京や関東北部とほとんど変わらない線量でした [*12]

チェルノブイリの立入禁止区域の空間放射線量が東京と同じくらいだというのは、実は日本でも言われている話なんです。ただそれが日本で言われるときは「だから東京はすごく危険だ」「東京はチェルノブイリと同じくらい汚染されている」という文脈で使われたりもする [*13] 。でも、僕らが実際にチェルノブイリに行って感じたのは「あれだけ悲惨な事故があったチェルノブイリですら27年も経つと除染が進み、半減期によって全体的に自然減衰してここまで低くなったんだ」ということなんですね。同じ事実でもどちらから切り取るかによって与える印象がまったく違う。

津田:それは日本におけるチェルノブイリ関連の情報が偏っているということなんでしょうか。

東:チェルノブイリに対する日本人の見方はひとつの方向性をもっているんですね。なぜなら、先ほども言ったように「チェルノブイリは悲惨な事故が起きて今でも後遺症で苦しんでいる人がいる。甲状腺がんがこれだけ発生している」──そういうタイプの報道がすごく多いから。われわれが参加した観光ツアーの主催者で、事故当時原発のすぐそばの町・プリピャチに住んでいたアレクサンドル・シロタさんはいまも事故による後遺症で苦しんでいらっしゃいます。でも同時に、彼はある程度元気にNPOの仕事を行い、ツアーのガイドもやっている。そのあたりを二重に見ていかないといけない。インタビューで彼は「今でも後遺症に苦しんでいます、ウクライナ政府はまったく何もやってくれなかった」と言ってました。われわれが本をつくる際、その部分だけを切り取ってインタビュー記事にすることもできる。実際にそういう趣旨の発言をしていたわけですからね。でも、そういう切り取り方をすると、チェルノブイリへの見方が一面的になる。

今回思想家の僕とジャーナリストの津田さん、そして社会学者の開沼博さん──今までの「チェルノブイリ報道」とはまったく無関係の人間がチェルノブイリに入った。この「無関係」で「素人」の3人が行ったおかげで従来のチェルノブイリ報道とはかなり違う部分を切り取ることができた。とにかく、そこの部分を見てもらいたいですね。

津田:原発から約15kmくらい南にあるチェルノブイリ市に「ニガヨモギの星公園」[*14] という原発事故をモチーフにした慰霊のための公園がつくられていましたね。あれは今回の取材のなかでも大きな驚きのひとつだったんですが、それについて説明していただけますか。

東:チェルノブイリ原発事故から25年たった2011年に福島第一原発が事故を起こすわけですが、その事故直後にニガヨモギの星公園がオープンしたんです。そこは1年に1回、チェルノブイリ原発が事故を起こした4月26日に被災者たちが集まって式典をやったりする場所としてつくられ、今でも拡張工事中なんですね。僕らはニガヨモギの星公園と、キエフにあるチェルノブイリ博物館 [*15] の両方を設計したデザイナーのアナトーリ・ハイダマカさんにインタビューしたのですが、彼は「記憶を残す」ことにとても前向きで、公園をつくることも「いいこと」だと思っているんですね。公園には事故によって強制避難させられて住めなくなってしまった村の名前を掲げたプレートが70個くらいずらっと並んでいる [*16] んですが、それを見た僕らが「なくなってしまった村の名前を掲げると、元の住民の方からトラウマを呼び覚ます、傷つくからやめてくれ」というクレームはないんですか? と聞いたら「あるわけないじゃないか」と。「こういうかたちで村の名前が残ることを彼らは喜んでいるし、式典や一時立ち入りしたときに自分が住んでいた村のプレートの前に花を捧げるんだ」と言うんですね。それ自体も貴重な経験でしたが、僕が驚いたのは「ニガヨモギの星公園」でネットや新聞記事データベースを検索しても日本ではほとんど紹介されてないことなんですよ。この公園がつくられたのは福島第一原発事故直後で、日本でも事故の引き合いとしてチェルノブイリに関する報道がたくさん出てきたんですが、この公園についての情報は皆無だった。そういう意味でも、チェルノブイリ報道には特定の傾向性があったことが今回の取材でよくわかりました。

津田:放射能による健康被害が重要なのはもちろんですけど、それ以外の現実も幅広く見ていかないとそこで起きていることの本質はつかめないよ、と。

東:勘違いしていただきたくないので繰り返しますが、チェルノブイリの事故が悲惨で、いまも後遺症に苦しんでいる方々がいて、甲状腺ガンの発生率が上がり、健康被害が起きているというのは事実です。しかし、そうした悲劇があっても、その場所で人は生きていくんですね。そのときに人は何を考えたのか、どのように事故のトラウマを受け入れていくのか、ということにも焦点を当てないといけない。ウクライナはあれだけの事故を起こしましたが、それでも原発依存率は50%もあって [*17] 、簡単に脱原発なんてできない。僕は脱原発すべきという立場ですが、日本もいまの政治状況や核燃料サイクル、廃棄物の問題を考慮すると、そう簡単に脱原発はできないと思っています [*18] 。その点で日本とウクライナは似ているんですね。ウクライナ人は脳天気だからあれだけの事故が起こっても原発を推進している──そんな単純な構造ではないんです。彼らはロシアとの政治的な対立関係 [*19] やエネルギー安全保障や経済的な問題などの葛藤があって、推進せざるを得ない立場になっている。今回取材したチェルノブイリ博物館の副館長はいみじくもこんなことを言ってました。「ウクライナという国は、一方では原発に頼らざるを得ない現実があるが、他方ではやはりあの事故はとても悲惨で、私は原子力というものは非常に危険な存在と思っている」と。彼らはその相反する認識をすりあわせながら生きているんですね。それは日本人も恐らく今後考えていかなければいけない現実でしょう。その認識を学ぶ意味でも、ウクライナ人たちのインタビューを読んでいただきたいですね。

津田:今回の取材では実際に事故を起こした発電所のなかに入って原子炉の近くまで行きましたよね。原発内ではどのようなことを感じましたか。

東:チェルノブイリ原発は津波と地震で被害を受けた福島第一原発とは違って、事故を起こしたのが4号機だけだったので、ほかの部分は無傷なんですよ。先ほども言いましたが、ウクライナ全土に電力を送る送電のハブとしてはいまでも現役の施設であるわけです。事故前と事故後でくっきり分かれると僕たちはイメージしがちなんですが、全然そうじゃない。事故後からずっと働いている人もいれば建物も同じ。そして原発内に入って驚くのは放射線量が意外に低いことです。僕たちは石棺の近く──「この壁の向こうは石棺です」というところ [*20] まで行っているんです。おそらく直線距離的に数メートル。そこは11マイクロシーベルト毎時程度と高かった [*21] 。しかし、そこに滞在するのは1〜2分なので、健康に被害があるようなものではない。そういう場所で作業員は働いている。ガチガチの防護服を着るわけでもなく、給食の白衣みたいなものを着て。

津田:原子炉制御室にも入りましたね。

東:僕らが見学した2号機の原子炉制御室 [*22] は事故を起こした4号機と同じデザインなんですが、僕はこれは産業遺産として非常に重要なものだと思いました。旧ソ連の科学に対する信仰と自信に裏打ちされたもの。原子力という危険なものをかつて人類は制御できると思っていた──その夢と誇りと傲慢さみたいなものが、制御盤のなかに凝縮されている。だからデザインとしてすごく美しいです。映画のセットみたいでした。こうしたものを遺産として残していくのは非常に重要な意味があると思います。

津田:一方、原発から2kmほど離れた原発作業員たちの町・プリピャチにも行ったわけですが、プリピャチの印象はどうでしたか。

東:プリピャチは「廃墟」としてはすごく有名な場所なんですね。事故を起こした1986年で時が止まっているので、旧ソ連時代の町並みがそのまま「フリーズドライ」されて残っている。日本で言えば『3丁目の夕日』みたいなものですね。そういうこともあって、ロシア人が観光地として訪れているみたいです。ノスタルジーを刺激するんでしょうね。行く前はプリピャチをすごく楽しみにしていたんですが、僕の個人的な印象では原発のほうがはるかにインパクトが大きかったです。まぁ廃墟は廃墟に過ぎないという感じですね。廃墟の中に朽ち果てた観覧車 [*23] があって。人々がここで生活していたのがすべて空っぽになってしまって、まさに原発事故の悲劇を体現しているような雰囲気。その観覧車も現在のチェルノブイリやプリピャチの町を象徴する存在としてよく映像に出てきますが、僕はそのゴーストタウンよりもいまだチェルノブイリが生きていることに感銘を受けたし、新鮮な驚きがありました。つまり、プリピャチの廃墟は「僕たちが予想していたチェルノブイリ」なんですよ。けれども原発のなかでは人が鼻歌を歌いながら歩いているし、そこには事故直後から働いている人がいて、そのことを誇りに思っている。僕にとって予想外のことでした。


◇「観光地化」という名の開放

津田:あらためて、チェルノブイリの「観光地化」についておうかがいしたいんですが、2011年にウクライナ政府は立ち入り禁止区域内の見学ツアーを許可しました [*24] 。こうした「観光地化」の動きについて、元々はどういう経緯で始まったんでしょうか。

東:ウクライナ人たちに聞いても、正確な起源はよくわからないんですね。恐らく90年代の終わり頃から始まったんじゃないかと言われています。立入禁止区域といっても、壁に囲まれているわけじゃないので、ゾーンに入ろうと思えばいくらでも入れるんです。だから、原発事故のあと強制避難させられても戻りたい人が勝手に戻っていて、彼らは自主帰還者──サマショールと呼ばれています。あとは、「ストーカー」という、興味本位でゾーンに入る人たちもいる。そんななか、海外のメディアや医療関係者など、専門家がチェルノブイリに入りたい場合、関係者が個人的にツアーを組むようなことが90年代から始まったそうなんですが、それが旅行代理店をとおした公式なツアーになり、誰でも入れるようになったのはここ2年の話ですね。

津田:観光ツアーが注目されたり、遊び半分でゾーンに入る人が増えたのは、2007年に発売されたシューティングゲームの存在が大きいんですよね。

東:2007年に『S.T.A.L.K.E.R.』[*25] と『Call of Duty 4』[*26] という2つのゲームが発売され、どちらも大ヒットしました。『S.T.A.L.K.E.R.』をつくったのはウクライナのゲームメーカー [*27] です。

津田:これらのゲームが流行って、そのプレーヤーたちが「実際のプリピャチの街はどうなっているんだ?」と「聖地巡礼」[*28] をしたことが観光客を増やしたと。しかし、廃墟となったチェルノブイリを舞台にするなんて聞くと「なんて不謹慎な!」と思う人もいると思うんですが、ウクライナ人たちはこれらのゲームの存在をどう思っているんでしょうか。

東:ひと言でいうと「ゲームがきっかけだろうがなんだろうが、来てくれればいい」という答えなんですね。日本人の感覚からすると打ち捨てられた自分の故郷がゲームの舞台になって、しかもダダダダダダダと機関銃などで破壊されるなんてとんでもないと思うわけですが……。恐らくこの背景には事故から27年たって、実際にチェルノブイリの記憶がどんどん風化している現実があるのでしょう。ゲームだろうが映画だろうが、何がきっかけでもいいからチェルノブイリに関心をもってくれれば──彼らにインタビューするなかでそういうリアリズムを強く感じました。

津田:リアリズムというと、ウクライナ政府が観光ツアーを進める背景にはツアーを原発推進のプロパガンダに使おうという思惑があるとも聞きましたが……。

東:僕たちが行った限り、プロパガンダのような情報コントロールはほとんどされてなかったので、そのような指摘は推測の域を出ていないと思います。実際、僕たちを案内してくれたアレクサンドル・シロタさんはどちらかと言うと反原発ですから。でも、そんな人も含めて現状ウクライナが原発を推進するのはしょうがないと思っているわけで。かつてシロタさんと一緒にツアープランをつくり、ガイドもしているセルゲイ・ミールヌイさんに「観光ツアーは原発推進のプロパガンダと思われているけど、そういう批判についてはどう思うか」と聞いたら、彼は笑いながら「このツアーに参加して原子力技術が安全だと思うやつはいないよ」と答えました。僕もそうだと思うんですよ。福島第一原発の観光地化計画についても、原発の廃炉作業を見せたりとか、安全に立ち入られるということ自体が結局原発推進のプロパガンダではとおっしゃる方もいる。けれども僕はまったくそう思わない。むしろ見せるのが一番「原子力技術は危険だ」ということを知るきっかけになるんです。僕がチェルノブイリを2日間見て思ったのは「やはり原子力技術はまずい」ということなんです。こんなに広大な土地を空っぽにして、いまだに廃炉はできてない。原発の横には巨大な新しい石棺 [*29] ができて、それには大変なお金と労力がかかるけど、それでも事態は収まらない。やっぱりこんなものはやってはいけないと思いましたよ。

津田:チェルノブイリや福島第一原発の現実を観光客に見せることが原発の危険性を知らせる一番のきっかけになると。それが「福島第一原発観光地化計画」につながっているわけですね。

東:福島第一原発は広島と違って近くに大都市があるわけでもなく、原発を中心に都市開発されていたわけですから自然環境がいいわけでもない。もし今のままだったら原発跡地がぽつんとあって、すごい物好きだけが行く場所になる。でも、それでは結局大多数の人は行かないですよね。だから導線をつくらなきゃいけないし、「ここに来れば学べるんだ」という中心がなければならない。チェルノブイリの報道がひとつの見方にしかならなかったこととも関係してるんですが、僕はこういうときにジャーナリストや専門家だけが見ればいいとは思っていなくて、一般市民こそ行かなきゃいけないと思ってるんです。なぜかといえば、一般市民が行くというのは、いろいろな見方があるということだから。一般市民が行く。それはすなわち観光地化するということ。一般市民は取材なんか申し込まないですよね──つまり、これは「市民に開かれる」ということなんです。

津田:報道や博物館を作るだけでは足りないと。

東:ええ。チェルノブイリの取材に行って一番感じたことはそれかもしれないですね。つまり、僕たちはチェルノブイリに関して「素人」なんです。素人がツアーに申し込んで行った。この本をつくれたのはなぜかといえば、チェルノブイリが観光地化してるからです。もし観光地化してなかったら、チェルノブイリの専門家、原子力の専門家、放射線医学の専門家しかチェルノブイリには行かない。すると、ひとつの方向から見た記事しか出てこない。実際に日本ではチェルノブイリに関する本はいっぱい出版されていますけど、みんな傾向が似ているんです。

津田:なるほど。そう考えると「情報公開」の最大限に開かれた形が観光地化ということになるわけですね。

東:そうです。だから福島もそうしなきゃいけない。福島に海外からジャーナリスト、研究者が来るといっても絶対に偏ってるはずなんです。だから福島に関する報道にいろいろな方向性を持たせて福島の総体を見てもらうためには観光地化するしかないんですよ。

津田:一方でチェルノブイリは27年たったから観光地化できたわけですが、福島はまだ2年半しか経ってない。時期尚早じゃないかという批判はありますよね。

東:それはそうだと思います。ただ考えるということで言えば、27年先は遠かったとしても震災から10年後はそんなに遠い話ではないし、そもそもキエフにあるチェルノブイリ博物館は事故から6年後にはオープンしているんですよね。僕たちからしたら6年後というのは3年半後。今考え始めることが「早すぎる」とは思いません。


◇チェルノブイリから学ぶ

津田:チェルノブイリ取材の成果は、すでに進んでいた「福島第一原発観光地化計画」にどのような影響を与えましたか。

東:人間はそんなに長いこと記憶できない──その重要性を学びましたね。チェルノブイリ博物館はキエフにあるんですが、それも実は福島第一原発の事故が起こるまではあまりお客さんが来ないので、災害博物館みたいに組織を変えようという話があった。つまりチェルノブイリの事故に焦点を当ててもしょうがないんじゃないかという話があったらしいんですね。チェルノブイリですらそうだったわけです。いまはまだ日本では福島第一原発事故の記憶が強烈なので、観光地にするのはとんでもないという意見が多いのはわかります。ですが、いまから10年20年たったあとに、この強烈な記憶をみんながもち続けているのだろうかというと、僕はそう思わないんですね。もちろんそのときでも廃炉は始まっていないし、もしかしたら放射能はタレ流しになっているかもしれない。少なくとも税金が大量に投入されているんだけど何も良くなっていないという悲惨な状況だと思います。しかし、それでも人は忘れてしまうんですよ。お金を使っているのに、忘れてしまう。ウクライナの人たちはそういう点で僕たちより25年先に行っていて、かつ現実をすごくシビアに見ている。だから、入り口が映画だろうがゲームだろうが、チェルノブイリについて関心をもってこれるのであれば何でもいいし、それを逆手にとってツアーや博物館で記憶を受け継いでいこうとしているわけですね。その強い意志をウクライナの人たちから感じたので、僕も日本で同じようなことをやっていきたいなと。記憶を次の時代に伝えるためにはきれいごとを言っているだけではなくて、Tシャツとか短パンで来るような人たちも引きずり込まなきゃいけない。彼らに向けて「ここでこんなに大きな事故を起こったんだよ」と言えるようなタフさが必要だし、ウクライナ人たちからその勇気をもらったと思います。

津田:「観光地化」計画として進めることに迷いがなくなった?

東:そうですね。簡単に言うと、人間というのは楽しいことしかやらないんですよ。喪服を着て、厳しい顔をして、追悼式典に出て「ここに戻らなければいけないんだ」みたいなものでは誰も行かないし、時がたてばみんな忘れてしまう。やはり「学び」というのは「楽しみ」のなかに入れなければ学びとして機能しないし、単にいろいろな人にインタビューをしたり、博物館をつくってもそれがすごい田舎にあったら誰も来ない。「そこに行ったら何かいいことがある」と思わせる必要があるんです。

あともうひとつ、今回の観光ツアーをガイドしてくれたアレクサンドラ・シロタさんはプリピャチ出身で、彼が小学生のときに被災しているんですね。小学生のときのエピソードとともに語られる案内を聞きながらツアーを回る体験は新鮮でしたし、被災者の方からすればツアーガイドをするというのはまさに記憶を伝える行為なんですよね。日本で記録に残すというと、ビデオにとって証言を国会図書館などの大きなところにデジタルでアーカイブ化して、それをいつでも検索できるようにするとか [*30] 、そういうイメージですよね。でも、本当にそれだけでいいのかと。実は「人は人に話したい」わけですから。明確に目的をもってやってきたジャーナリストとか専門家に話すだけじゃなくて、普通に暮らしている物珍しさで来た等身大の人に対して話すことで当事者にとっての癒しになっている部分もある。そういう面で観光ツアーをやるのは被災者の方々の気持ちを考えるうえでも悪い話ではないと思います。

津田:観光地化も、被災者に対するひとつの寄り添い方であるということですか?

東:僕はそう思いますね。

津田:『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』の編集責任者として一番見てもらいたい見どころはどこですか。

東:この本は津田さんにもすごく長い原稿を寄せていただいていますし、読み応えはありますが……それと同時に文章を読まなくても、伝わるようなレイアウト、写真の配置といったこともすごく気にかけました。つまり、しっかり読もうと思えばかなり読み応えがあるし、文字もいっぱい詰まっている。しかし、パラパラとめくるだけで「今までと全然違うチェルノブイリがここにある」と思っていただけるはずです。誰でも手にとれる本というのを目指してつくりました。あと、今回ゲンロンではこの本を出版するだけではなくて、「現地に行ってほしい」という思いが強くあるんですね。単にチェルノブイリや福島をネタにしていろいろ議論を戦わせて終了というのではなく、実際に現地に行って感じてみてほしい。実はある旅行会社さんと組んでこの本をきっかけにしたオフィシャルなチェルノブイリ観光ツアーを企画しているところです [*31] 。この本でインタビューされている方々に直接話が聞けるようなツアーにしたいなと。実際にこの本読んでチェルノブイリに行く人が増えて、行った人が現地で何かいろいろ感じて日本に戻ってきて、今度は福島の未来について考える──そんなサイクルがつくれればいいなと思っています。

津田:最後に東さんが考える日本人がチェルノブイリから学ぶべきテーマとはなにか教えてください。

東:福島の事故は唯一無二の事故ではなく、「チェルノブイリの次」の事故だと思うんです。そして、人類はそれでも原子力技術を手放す気がない。となると、これから3つ目、4つ目が重大事故が起こる可能性もあるんです。そのときまでに僕たちはチェルノブイリから何かを学ぶ必要があるし、福島の事故の教訓を次の事故で苦しむ人たちに伝えなければならない。「チェルノブイリはウクライナの事故だ」とか「福島は日本の事故だ」という視点ではダメなんだと思います。だから、僕は福島第一原発の事故について日本人全体が「自分たちが当事者」だと思って世界に向かって記憶をつないでいく──そんな大きなスケールの感覚が必要だと思っています。

津田:なるほど、よくわかりました。今夜は作家・批評家の東浩紀さんにお話を伺いました。ありがとうございました!


▼東浩紀(あずま・ひろき)

1971年生まれ。株式会社ゲンロン代表/批評誌「思想地図β」編集長/思想家/作家。専攻は現代思想/情報社会論/サブカルチャー論。2009年に初の小説『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)を発表。三島由紀夫賞受賞。2010年に出版社コンテクチュアズを設立。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『一般意志2.0』(講談社)などがある。

株式会社ゲンロン:http://genron.co.jp/

ツイッターID:@hazuma


[*1] http://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/break/

[*2] http://www.tv-asahi.co.jp/ch/contents/news/0003/

[*3] http://fukuichikankoproject.jp/

[*4] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4907188013/tsudamag-22/

[*5] http://www.traveljunkiejulia.com/touring-chernobyl-photos-25-years-after/

http://www.spiegel.de/international/europe/a-day-trip-with-a-geiger-counter-fukushima-disaster-boosts-chernobyl-tourism-a-758269.html

http://www.telegraph.co.uk/sport/football/competitions/euro-2012/9337123/Nuclear-attraction-England-fans-flock-to-Chernobyl.html

http://ajw.asahi.com/article/behind_news/social_affairs/AJ201302030008

http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotos-g294474-d3370334-w5-Chernobyl_TOUR_Day_Trip-Kiev.html

http://continentalbreakfasttravel.wordpress.com/2013/07/08/embracing-dark-tourism-a-day-at-chernobyl/

※ほかにも「Chernobyl」「tourism」という単語で画像検索するとたくさんの記事を見つけることが可能。

[*6] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%96%E3%82%A3%E3%83%AA

[*7] http://www.am-j.or.jp/index2.htm

[*8] http://www.pcf.city.hiroshima.jp/

[*9] http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/abm/

[*10] http://www.himeyuri.or.jp/

[*11] http://ngo-studytour.jp/about/

http://www.actionman.jp/kaigaibeginner.html

[*12] https://api.safecast.org/ja/bgeigie_imports/12613

http://map.safecast.org/map/30.183344957276258,51.27639894742426,13

[*13] http://okwave.jp/qa/q6738906.html

[*14] http://togetter.com/li/493758

[*15] http://www.chornobylmuseum.kiev.ua/

[*16] https://twitter.com/tsuda/status/322274327313670145

[*17] http://www.tsunamachimitakai.com/pen/2012_10_004.html

http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1201/06/news020.html

http://www.jaero.or.jp/data/02topic/cher25/contribution1.html

[*18] このあたりの複雑性の問題は本メルマガvol.46の記事「政府の原発ゼロ政策はなぜ骨抜きになったのか」で詳しく紹介している。
http://ch.nicovideo.jp/tsuda/blomaga/ar7931

[*19] http://allabout.co.jp/gm/gc/293377/

http://news.livedoor.com/article/detail/7360813/

[*20] https://twitter.com/tsuda/status/365665205088292865

[*21] https://twitter.com/tsuda/status/365665495539666944

[*22] https://twitter.com/tsuda/status/365665859525541889

[*23] https://twitter.com/tsuda/status/365667386256396290

[*24] http://www.asahi.com/international/intro/TKY201212260957.html

[*25] http://stalker.zoo.co.jp/

[*26] http://www.callofduty.com/

[*27] http://www.gsc-game.com/

[*28] http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%81%96%E5%9C%B0%E5%B7%A1%E7%A4%BC

[*29] https://twitter.com/tsuda/status/365666263881629697

[*30] http://nagasaki.mapping.jp/p/japan-earthquake.html

[*31] http://fukuichikankoproject.jp/goto_chernobyl.html