山口組検証

田岡一雄三代目と司忍六代目「徹底比較」

 二○一一年四月九日に現場復帰した司忍六代目は、神戸入りしたその足で、自らが信奉してやまず、現在の山口組の「原点」と位置付ける田岡一雄三代目の墓参を行なった。司六代目はその墓前で何を誓ったのか。田岡三代目と司六代目との比較を通じ、今後の構造改革を占う。


●カリスマ性と統率力

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六代目山口組組長司忍

 田岡三代目は、昭和四十年に心筋梗塞で倒れ、以後、昭和五十六年に亡くなるまで、闘病生活を余儀なくされた。山口組の「全国進攻作戦」が一段落する一方、当局の頂上作戦が開始された時期で、田岡三代目が倒れたことでそれは本格化し、山口組は解散の危機に陥った。

 だが、田岡三代目はその強靭な意志と統率力によって、この危機を乗り切り、さらに強固な山口組を築いた。

 田岡三代目は病に倒れる前の昭和三十八年、現在の執行部体制の原型となる「七人衆」制度を設けていた。

 山口組が急速に勢力を増し、田岡三代目の目が末端にまで至らなくなる状況が生まれる中、組織運営の方針を七人の最高幹部による合議制で図っていくというものだ。

 もちろん、最終的な決断は田岡三代目の了承を得なければならないが、最高幹部の合議制による組織運営を導入したことは、当時のヤクザ社会では画期的なものであった。

 同時に、この七人衆と直参との伝達機関、現場責任者として、若頭補佐を設けている。七人衆のうち地道行雄若頭を除く六人が三代目舎弟であったのに対し、若頭補佐はいずれも三代目若中から選出されている。

 当時の山口組は、神戸の一組織から日本最大組織に脱皮し、かつ舎弟中心の組織運営から台頭してきた若手実力者中心の組織運営への転換という過渡期にあった。

 このときの田岡三代目の施策は、そうした転換期にあって将来を見据えた組織体制づくりであった。

 事実、田岡三代目が病に倒れ、山口組最高幹部に対する頂上作戦が熾烈化していくと、七人衆を含む舎弟衆の多くが脱落。田岡三代目は「事業に専念せよ」と、企業舎弟を組から切り離した。七人衆は事実上、崩壊したわけだが、若頭―若頭補佐というラインがそのまま、執行部として十分に機能を果たしていったのである。

 病床にあった田岡三代目は、解散を迫る当局に対し、「わし一人になっても、山口組は解散しない」と言い切った。山口組内部でも「解散論」が強まっていたが、この田岡三代目の言葉が伝わると、「解散論」は霧消した。そして、全国進攻作戦の立役者であり、絶対的な権力を握っていた地道若頭までもが、解散論を唱えたことで求心力を失い、事実上失脚した。

 まさに山口組が迎えた最大の危機で、田岡三代目の統率力が遺憾なく発揮され、山口組はこれまで以上に、一枚岩の団結を固めたのである。

 また、闘病生活を送る田岡三代目に面会できる直参はごく小数に限られたが、一方で地道若頭の後任である梶原清晴若頭の発案で発行された「山口組時報」に毎号、「試練のなかから前進しよう!」とのタイトルで自らの考えを指し示すことで、そのカリスマ性は絶対的なものとなった。

 一方の司六代目は、自らが抱える裁判に不利に働くことを承知の上で、山口組百年の大計のため火中の栗を拾い、六代目に就任した。そして矢継ぎ早に改革のレールを敷き、三カ月後に最高裁で懲役六年の刑が確定すると、後事をすべて執行部に委ねて自ら出頭し、下獄した。

 この潔い態度、自己犠牲の精神により、司六代目は確固たるカリスマ性を確立したといってよいだろう。

 ある意味、六代目の座と引き換えに下獄したようなのもだが、渡辺芳則五代目に対する「使用者責任」、自らを含む三人の執行部に掛けられた「共謀共同正犯」、そして暴対法「改正」や「共謀罪」の新設など、当局の攻撃が強まるなか、山口組、そして任侠界全体の生き残りを図るために、自らがリーダーシップを発揮して構造改革に乗り出したのである。

 司六代目がそのレールを敷き、留守の間、高山清司若頭を中心とする執行部によって着実に実践されてきた改革により、山口組は大きな変貌を遂げた。

 執行部体制のシンプル化、ブロック制の強化、直参の世代交代と少数精鋭化など、さまざまな改革が行なわれてきたが、注目すべきは執行部への登竜門と位置付けられて新設された「幹部」ポストである。次代を見据えた組織づくり、人材育成策が、幹部ポスト新設に集約されており、「若頭補佐」を新設した田岡三代目の先見の明を髣髴させるものがある。

 また、当局に対する非妥協の姿勢もまた、田岡三代目譲りといえよう。

 司六代目は、自らの銃刀法違反事件の裁判で、一貫して無罪を主張して戦ってきた。当局に対する非妥協の姿勢を、裁判を通じて率先垂範して示してきたのだ。最高裁で有罪が確定するや自ら出頭、下獄したが、これは罪を認め当局の軍門に下ったわけではなく、「ジタバタしたくない」という男の美学である。

 自らも共謀共同正犯の拡大解釈により社会不在を余儀なくされただけに、今後、新法の制定や拡大解釈といった法律面を含め、当局対策に力を入れるものと見られる。

●信賞必罰

 その当局との対抗上、「綱紀粛正」「信賞必罰主義」がさらに強まるだろう。すなわち、絶対的な権力を持つ当局に対抗するには、その付け入る隙を与えなくすることこそが、最大の組織防衛となるからである。

「信賞必罰主義」は、田岡三代目が組織運営の基本においたものである。組織にとって弊害となる人物、任侠の道を踏み外した者は容赦なく放逐し、手本となる者はたとえ新参であろうとも抜擢していく――。田岡三代目は当時、山口組最大級の勢力を誇り、若頭補佐を歴任したこともあるボンノこと菅谷政雄菅谷組組長までも、組織にとって弊害があると見るやすぐさま処分している。

 司六代目は、「薬物」「抗争」「不良外国人との接触」を厳禁事項とし、違反すれば直参クラスでも容赦なく処分すると通達し、現に有力直系組織の最高幹部クラスが何人も処分を受けている。

 圧巻だったのは、司六代目が服役中の平成二十年十月、六代目山口組舎弟で五代目時代に若頭補佐も歴任した後藤忠政・後藤組組長の除籍処分をきっかけに、八人もの直参が絶縁、除籍処分となった「大量処分騒動」である。処分を決断、断行した執行部に対し、司六代目は「よくやっている」とその労をねぎらうメッセージを贈ったと伝えられる。

 この処分は、執行部に対する不平、不満を口にしていたためともいわれる。一時は、「山口組分裂か」とさえ騒がれた。たとえ小さな出来事であろうとも、団結を阻害するようなことを見逃していれば、いずれ組織の輪を乱し、当局に付け入る隙を与えかねない。芽のうちに摘み取ることでそれを未然に防ぎ、強い姿勢を示すことで、今後そのような事態が起こらぬよう予防策としたのである。

 また、直参の少数精鋭化もまた、綱紀粛正の結果ともいえる。直参昇格へのハードルは、これまでにも増して高くなっているが、当局が直参を狙い撃ちにした頂上作戦を展開しているだけに、そうした隙を与えぬこともまた、直参の条件になっているといえる。

 今後、さらに厳しい通達が出たり、あるいは綱紀粛正のための専門の委員会を立ち上げる可能性も強いと見られる。

●外交戦略

 田岡三代目といえば、全国進攻作戦に象徴されるように、また、自らも若き日に組織のために命を賭けた超武闘派組長である。

 だが一方で、とりわけ第一次頂上作戦以降は、一時は一触即発の事態も招いたことがあった稲川会と親戚縁組し、また「阪神懇親会」「関西懇話会」を設立するなど「平和共存」の確立に多大な貢献をしてきた。圧倒的な「武」を持ちながらもそれを前面に押し出さず、当局の締め付け強化に対して業界の大同団結を呼びかけたのである。

 司六代目もまた、自身が大日本平和会系組織との抗争で長期服役を経験し、自らが率いていた弘道会も「山一抗争」「山波抗争」「名古屋抗争」「北関東抗争」など数々の流血抗争で名を挙げた武闘派組織である。

 だが、山口組のトップに君臨するや、司六代目は「平和外交」を打ち出した。

 六代目体制発足直後、國粹会が山口組に加入し、首都圏のヤクザ勢力図が大きく塗り変わった。これによって首都圏に緊張感が高まり、実際にその後の平成十九年に住吉会系との「新東京抗争」が勃発したわけだが、これは山口組側から持ちかけた話ではなく、國粹会側が縁組を望んだものだった。

 司六代目は、國粹会の内部抗争に際し、その終結のために奔走した中心人物の一人だった。そこから当時の工藤和義会長はじめ國粹会最高幹部らが司六代目の考え、生き様に共鳴し、自ら盃を望んで山口組に加入したのだった。

 以後、当局の締め付けが強まるなかで、業界全体の生き残り、任侠道伝承のために平和共存を力説する司六代目の考えに共鳴し、従来からの親戚団体や、これまで縁の薄かった団体までもが山口組と盃や後見の絆を結ぶようになったのである。

 司六代目は「親戚・友好団体とは身内同様の付き合いをするように」と通達した。その教えに従い、司六代目の誕生会を兼ねた新年会に、親戚団体トップが招待されるようになり、盆と暮れには親戚・友好団体トップらが神戸の本家を訪問し、また食事会などといった親睦会、親戚団体「若頭会」が開催されるなど、日常的に友好関係を深めてきた。そのつながりは、それぞれの団体の独立性を尊重するものではあるが、「親山口組同盟」ともいえるほどの深いものとなっている。

 今後、こうした交流はますます盛んになり、その絆はさらに深まるであろう。また、この友好の輪に加わる団体が増える可能性もある。

 これから司六代目が、どのような改革、「原点回帰」を実現していくのか、注目したい。