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些々暮さん のコメント


UFO、UMA、幽霊。その他、怪奇現象やポルターガイストと呼ばれる類のどれにも遭遇したことがない。信じていない、訳ではないが見たことのないものをどうやって心から信じろというのか。テレビで特集を組んでいる恐怖映像なんかを少しの好奇心を持って見てみるが、あまりにもの胡散臭さに開始数分でチャンネルを変えることもしばしば。
あれは信憑性云々よりも大きな音、ドアップに映し出すことによって効力を発揮する異常さを感じさせるような人面など、見ている人を驚かせるという演出に力を入れている感じがする。
本当の霊的な現象はあんなにド派手なものではなく、もっとしめやかに行われるのだ。
今日は私が一年ほど前に体験した事をお話しよう。
祖父が亡くなった。
それを知らされたのは亡くなってから数時間後の早朝だった。
私はあの夜のことを今でも悔いている。
私が人生に於いて何の苦しみも知らず穏やかに眠ることの出来た最後の日。
しかしどれだけ悔いたところで祖父が帰ってくることはない。
遺体と対面してからは冷たくなった祖父の頬を何度も何度も撫でた。嗚咽が止まらない。理性が矜持で塗り固められているような私が人の目も憚らずみっともなく泣いた。腹も空かない。
いくら悔やんでも時は進み続けた。
ドライアイスに囲まれた祖父の手を握り続けているとある事に気付いた。
布団を掛けられている祖父の腹部が呼吸をしているかのように上下しているのだ。いや、そんなはずはない。もう二度と目を覚ますことはないのだから身体が動く筈はない。
私の見間違いだろう。
いや、しかし確かに動いている。
親戚も揃っている中でその事を口に出すことは出来無かった。あまりの悲しみから気でも狂ったのかもしれない。
通夜は翌日行われることとなった。
今夜は母と祖父の三人で枕を共にする。(遺体安置の場所は普通の部屋のようになっていて布団まで用意されていた)
そういえば、祖父と眠るのはこれが初めてかもしれない。思返せば悔やむことばかりだ。
祖父の腹部が上下していたのを目撃したのは私だけではなかった。もう一人は母であった。私たちは二人、不思議に思いながらも一度も怖いとは感じなかった。
昨日まで生きていた人間が急に息を引き取ったとて、そう簡単には完全に静止させてはくれないようだ。
よく、ドラマなんかで遺体安置のシーンを見ているとこの人はもう死んだことになっているのか…本当に死んだ人の顔を見るというのは恐ろしいだろうなと思っていたが、全くそんなことはなかった。
私はその夜何度も祖父に触れ、まるで生きているかのように話しかけ三人で夜を明かした。沢山の思いをぶつけた。祖父が持ち切れないほどのそれを吐き出して、全て許されたような気持ちになった。ただの自己満足だ。

翌日、葬儀場へと運ばれた祖父の腹部はもう上下していなかった。本当に死んでしまったのだ。棺に入れられた姿を見てまた泣いた。親戚みんなで泣いて、その後すぐにパンを食べた。数分前まで大泣きしていた女たちは涙で化粧の崩れた顔を突き合わせながら談笑した。
死に慣れてしまった、訳ではないが少しだけ笑えるようになった。
葬儀、告別式と順に終えても私たちの日常は数日前とは別物だ。
しかし人としての営みは続く。
一般的に四十九日を終えるまでは死者の魂はまだ私たちの傍にあると言われている。
本当は四十九日を過ぎたって此処にいて欲しいが我儘を言うわけにはいかない。
そんなある日、夢を見た。
祖父が泣いている。誰もいなくて暗い、寂しいと言いながら。祖父の泣き顔なんて生前殆ど見たことがないのにどうして今…。
私は跳ね起きてすぐに夢のあらましを母と祖母に伝えた。
祖父のお位牌の置かれている場所は昼間は日の光も入り、それに加えて電気も付けているため明るい。しかし夜眠る時は消灯し真っ暗闇だった。
一度もそれを意識的に気にしたことはなかった。寧ろ祖父だって眠る時くらいは暗い方が良いだろうなんて思っていたくらいだ。
だから驚いた。確かに連日、祖父のことで脳内は殆どを占められているが内容がピンポイントすぎる。
その夜から眠る時でも祖父の部屋には灯りをつけることになった。今でもそれは守られていると思う。
私と母はそのようなピンポイントな夢をしばらくの間よく見るようになった。自分で言うのもなんだが、私たち母子は特に祖父に目を掛けられていたので頼み事をするならばやはり私たちか、なんて少し浮かれた。それが現在の私たちが持っている祖父との唯一の繋がりだから信じたいと、縋るような気持ちだった。
この頃から死者からのメッセージなんてものは本当にあるのではないかと思うようになった。でもこれはオカルトやスピリチュアルの類とはまた違っていて、人間同士の絆の形だと思う。
だからそのような世俗的なジャンルで括りたくないなんて思ってしまったのが本音だ。
そんなこんなで一年経ったが最近、仏眼相なんてものを親指の第一関節に見つけてしまった私は手相なんてものを信じてもいなかったのにその意味を調べて見てやはり霊的な力があるのかもしれないなんて愉悦に浸りながら日々を過ごしている。
No.10
47ヶ月前
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オバケの存在、信じる? まーたお前は何を馬鹿なことを、と笑うなら、そんなにピントを合わせて世界を見なくとも良いじゃないか、と僕も笑うぞ。  
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