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【第157回 直木賞 候補作】『会津執権の栄誉』佐藤巖太郎
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【第157回 直木賞 候補作】『会津執権の栄誉』佐藤巖太郎

2017-07-10 11:00
     猪苗代の湖面には、いつもより穏やかな波が行き来していた。風がなく、陽は暖かい。
     富田将監隆実は、軽く手綱を控えて馬の歩度を常歩へと落とした。隆実の馬が湖岸の砂地で弧を描き始めると、後続の十騎の騎馬集団も集まってきた。
    「ここで一息つく。馬を休ませよ」
     延々と馬に乗っていると、一歩ごとに突き上げてくる反憧のせいで尻と腰に負担がかかる。若い隆実の指示を機に、配下の年長者たちが、それぞれ息抜きのために馬から下りた。
     隆実は、その様子を馬上から眺めていた。
     小休に際して、馬から下りて休むことはない。それが指揮官の心構えだと思っている。会津四郡を治める大名・芦名氏の宿老の家系、富田家の嫡男としての自覚がそうさせる。
     右手綱だけで馬の後足を軸に旋回させながら四方を見渡していると、一騎が近づいて馬首を寄せてきた。
    「左手を使わない手綱さばきには見えないな。兄者、火傷の具合はどうだ」
     弟の平八郎常雄も馬を下りない。富田家で覚えた習慣は、佐瀬家に養子に入った後も変わらない。
    「たいしたことはないが?」
     隆実は、赤く腫れた左の掌の火傷に目を落とした。たとえ軽傷とはいえ、放置するつもりはなかった。軽いけがを甘く見て放置した結果、戦場で不覚をとった者を何人も見ていたからだ。
     昨日、湯治場で火傷を負った。
    流れてくる湯の口以外にも、隠れた場所から湯が湧き出ていたらしい。湯に入った時に、知らずに左手をついてしまった。猪苗代湖に沿った帰途を選んだ理由は、薬を調達するためである。
     漁師の集落に使いに出しておいた郎党の一人が、やがて申し訳なさそうに戻ってきた。どの小屋にも柿渋はなかったという。
    「漁網に柿渋を塗るなどとは聞いたことがないぞ、兄者」
    「村によっては使う所もあるはずだが……。昔、見たことがある。柿渋の使い道は広いから、知っていると重宝する」
     柿渋?。渋柿のまだ青い実を潰して数日寝かせ、重石を載せて搾り出した汁を、さらに数年寝かせる。すると、特有の熟れ腐った匂いの液汁ができる。火傷にはこれが一番効く。それだけではない。柿渋は随所に塗られている。板塀や漁網。木や網が腐るのを防いでくれるからだ。
    「この辺りは葦や灌木ばかりで、それらしい木も見当たらぬぞ。柿と言えば山であろうが」
     隆実も周辺を見回してみたが、たしかに湖と草原ばかりで柿の木など見当たらない。漁網を使う漁村のどこかには柿渋があると思ったのだが、当てがはずれた。
    「兄者、会津黒川城下に戻るまではそのまま我慢するほかないな。だから、猪苗代城で薬を頼めばよかったのだ」
    「馬鹿言え。他家に醜態をさらすことになるわ」
     猪苗代城は、猪苗代弾正盛国の居城である。隆実の富田家は芦名の重臣だが、家格ということになれば、芦名氏血族の猪苗代家が上となる。こちらから出向いたのが、昨日のことだった。
    新しく来た家老連中の政務参加を、弾正盛国に認めさせよ?。
     最初、その役目を家臣筆頭の金上盛備から告げられた時は、正直、気が重かった。よそ者に芦名の遺風が汚されるのを望む者などいない。とくに反対派の急先鋒と目される弾正盛国の首を縦に振らせるのは難しい。厄介な役回りを命じられたものだ。だが、芦名を一つにまとめるためには誰かがやらねばならない。猪苗代城に向かう道中でも、内面では煩悶していたことを覚えている。
     いま、湖を眺める隆実の目に、波の勢いを弱めるため水際に打ち込まれた幾本もの柵が映った。
     血脈による正統性がなくなれば、誰を当主にしても争いは起きるものなのだろう。後継者争いで家中が揉めるのは、なにも芦名に限らない。
     芦名家は、会津守護。鎌倉幕府の御家人、三浦氏の後裔。四百年近くの長きにわたり、会津を領有してきた名跡だ。
     その芦名に、凶兆が現れた。まず十八代当主盛隆が、家臣に襲われ惨殺されてしまう。その跡を嗣いで生後一ヶ月で当主となった一子、亀王丸隆氏も、わずか三歳で疱瘡を病んで没した。相次ぐ当主の死により、芦名家嫡流の男系の遺児が絶える。これにより芦名家の屋台骨が揺らいだ。
    残された遺児に、十七代当主盛興の娘の岩姫がいた。その婚姻相手として婿養子を他家から迎え、当主に据えることになった。ここから家中の軋轢が生まれる。常陸の佐竹義重の次男義広か、伊達政宗の弟小次郎かで、家臣団が対立したのだ。
     一門が集った評定では、結局、佐竹家の義広を当主に迎えることに決まった。ただ、そう決定した時でさえ、迎える側の誰もが、新当主を飾り同然の神輿にすぎないと考えていた。義広が、まだ幼さの残る十二の少年だったからだ。だが?。
     義広を補佐する名目で会津黒川城に乗り込んできた佐竹家の家老たち。これら新参の取り巻きに問題があった。
     大縄讃岐。刎石駿河。佐竹家から来た家老が、芦名家家臣団を仕切ろうとしたのだ。
     その結果、古株の重臣たちとの衝突が生じた。弾正盛国も、新参家老に対抗しようとした一人だった。
     重臣たちの対立は、やがて派閥に属する家臣同士の殺傷沙汰にまで発展する。大縄配下の侍大将が、芦名家家臣と斬り合いの末に殺されるという事件が起きたのだ。
    ここに至って大縄などは、館の外堀を深く掘らせ、侵入に備える構えを見せた。外観がよくない、という言い分のもとに、だ。噂にも尾ひれがついた。刎石は、玉薬を運び入れて戦さ支度をしている。探りを入れる使者が送られた。いや、その使者を頑強に追い返したらしい。まことしやかに語る者まで現れた。
     こうなっては、疑心が人を離れて独り歩きしはじめる。行き過ぎた私闘を放っておけば領内はまとまらず、外敵の干渉を招く。
     そこで急遽、騒乱停止を目的とする一種の私闘禁止令が出された。
    上意を下知したのは、一門筆頭の金上盛備である。

     鉄砲を用いて喧嘩致し候者あらば、曲事として科を重くすべき事

     鉄砲を使って私闘を行った者は処罰して重い刑を科す、というのである。
    いわば芦名家家臣団の内部規律だ。理由を問わず処罰する。その強い姿勢に内部対立を鎮めようとする金上の強い意志が表れている。
    さらには、佐竹家家老と譜代の重臣たちとの協議で政務の舵取りを行う、という融和策が提示され、その折衝役に、隆実が選ばれた。
    「それにしても、猪苗代弾正殿がよく折れてくれたものだ。物別れに終わるのが関の山だと思っていたのに、意外だったな」
    隆実がまさに考えていたことを、期せずして平八郎が口にした。
    「おれも驚いている。頼みを聞き入れてもらうのは難しいと感じていたのだが」
    隆実は、鉢金の下の平八郎の表情を覗き込んだ。首尾よく役目を終えた喜びに笑みがあふれている。もともと楽天家ではあるが、それでも行きの道中に垣間見えた険しさはどこにもない。肩の荷が下りたということだろう。それは隆実にしても同様だった。
    弾正盛国は、最後には承諾した。
    隆実が、佐竹の家老連中の政務への参加を切り出すと、最初は異を唱えた。芦名のしきたりを踏みにじるものだ、と。ありったけの言葉で平八郎と一緒に説得するうちに、弾正盛国は不承不承といった様子で、佐竹の家老が政務に参加すること自体に反対なのではないと言った。芦名の遺風が損なわれるのを案じている。芦名の流儀に従う。その言葉を聞かせてもらう条件で、政務参加を認めてもよい、という。
    話はそれで決まった。上首尾だと思う。あとは黒川城下に戻って報告するだけだった。重臣の一角を担う富田家の一員として、目的は十分に果たしたといえる。
     難事から解放された安堵のせいか、湖の穏やかな波がまぶしく輝いて見える。出発を命じた後も、後ろ髪を引かれる思いで湖面に目が吸い寄せられる。
     富田家は、父祖代々この地で領国治政を続けてきた。この湖を、累代の祖先たちが、自分と同じようにこうして眺めながら、試練に耐え、難事を解決してきたのだ。
     平八郎は相変わらずまっすぐ前を見つめて馬を進めているが、一団の中で少なくない人数の者たちが湖を見つめている。そのことに、隆実は気づいた。
    視線の先には際限のない水面が続いている。だが海は、猪苗代の湖よりさらに広いと聞く。まだ見たことのない海の広さを、隆実は思った。
    (海は、湖と違って淀むことがないのか?)
    そう考えた途端、自分の生き死にが、閉ざされた瀞と重なる姿になって頭の中をよぎっていった。芦名の重臣としての役割。それは、当主を他家から招いても変わることがない。途切れるかに見えても、途絶えることなく繋がり続けた道。その道が強いる定め?。
    この道を父は歩き、その父である祖父もまた歩いた。祖先が同じように主家のために戦い、同じように斃れていった。他家と内輪で揉め、時に融和し、共に戦場で外敵と刃を交え、当主の上意には無条件に応える。自分も同じ道を歩くことになる。そして戦さで名をあげ、そこにわずかな喜びを見出す。それでよいのだが?。
     反面、夢想もする。京では羽柴秀吉が関白となり、帝から勅許を得て豊臣を名乗ったという。世の中は大きく変わろうとしている。家内のいざこざに汲々とする生き方以外に別の道があるのではないか。湖の畔のはるか遠くには、思い切り自分を試すことのできる世界が広がっているのではないか?。
     重い兜を揺らして、郎党たちの顔を見回した。
     富田家の嫡男としての責務を思い出した。いまは自分のやるべきことを考えよう。会津黒川に戻ったら、自領の在家農家から徴発できる野伏せりの人数を確認し、記帳を進める。そして、柿渋探しだ。
     一刻を過ぎた頃、隆実らは会津黒川の館に到着した。留守居役がすぐに近寄ってきた。金上家からの使者が書状を届けに来たという。
    「口上は聞いているか」
    「はっ」
    「申せ」
    「猪苗代左馬介殿、謀反の恐れありとのこと」
     耳を疑った。
    この世はどんなことも起こりうる。そう自分に言い聞かせてきたつもりだったが、書状を開く手が思うように動かない。一瞬、館が敵兵に囲まれているのではないか、と考えてしまうほどにまで不安を覚えた。辺りの静けさを耳で確かめて、ひとつ息を整える。
     何があったにしろ、問題は謀反の恐れがあるという人物だ。
     猪苗代左馬介盛胤?。昨日、機嫌よく別れてきた猪苗代弾正盛国の嫡男である。
     もし猪苗代家が謀反を起こすというのなら、昨日の話し合いで道化を演じたことになる。
     忘れかけていた手の火傷が、隆実に痛みを伝えてきた。


    ※7月19日(水)18時~生放送
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