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【第153回 直木賞 候補作】『ナイルパーチの女子会』柚木 麻子
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【第153回 直木賞 候補作】『ナイルパーチの女子会』柚木 麻子

2015-07-02 13:49
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     泳ぎたいな、と思った。
     シャツ、スカート、下着を足元に脱ぎ捨て、素肌に水の柔らかさと光の屈折を感じて、音のない空間をどこまでも心の赴(おもむ)くままに進んでいきたい。水温が肌になじむにつれ、自分と世界の境界線が曖昧(あいまい)になり、体重も年齢も性別もその意味を失う。言葉を発しようとしたら、すべてあぶくになって高く高く昇り、白い彼方に滲(にじ)んでやがて消えていく。暑い季節は終わろうとしているのに、何故そんな風に思うのだろうか。
     そうだ。目の前の早朝のオフィスは、人の気配がない屋内プールによく似ているのだ。
     コースロープで区切られたように整然と並んだデスク、水面を思わせるしんとした薄青い無人の空間。塩素とインクのトナーのにおいも、何かを思い出しそうになる刺激臭という点で、非常によく似ている。誰にも邪魔されずに仕事をするため、一人になれる時間と場所を探したら、一日の大半を過ごしているこのオフィスに結局、行き着いた。自分のもっとも有能な面を発揮しなければいけない空間なのに、今なら意味不明なことを力の限り叫んだり、でたらめなダンスに興じても構わないのだ。もちろん、そんなことはしない。どんな状況に限らず、大声を上げたり、ダンスなどするような自分ではない。
     国内最大手の商社、中丸商事大手町本社ビルの十九階フロア半分を占領する、食品事業営業部は朝六時から七時の間は完全に無人だ。海外から食品を輸入し国内の企業に売る、典型的な商社の業務を受け持つセクションである。
     目の前に広がる何にも染まっていない真新しい空気が、志村栄利子(しむらえりこ)の常に結論を求めたがる心と身体を落ち着かせる。タイムレコーダーに電源を入れるのは一番乗りの人間の義務だ。腰を屈めて埃(ほこり)っぽいコンセントにプラグを繋ぎ、スイッチをオンにする。壁に掛かったカード入れから、自分の名が記されたものを引き抜くと、機械に差し込む。ゴチ、という音が静寂に沈み、ずらりと並んだ六時台のタイムスタンプが、また一つ更新された。
     少女の頃から、なにごとも先取りするのが好きだった。「先手を打つ」のは商社マンにとって大切な資質のうちの一つ、と同じ会社の大先輩でもある父に教えられたからである。世田谷のマンションに一緒に暮らす両親は一人娘が朝食の席に居ないことを不満に思っているようだが、入社して八年目ともなるともう何も言わない。
     栄利子は、三十歳になる今も実家を出るつもりはない。母親のサポートなしに、これほど身綺麗さを保ち体調を整えて働くことは不可能だ。母だって、自分が家を離れたら、無口な父と二人きりの日常に息が詰まるだろう。
     いかに早く来ても、一人の時間が保てるのは、ほんの四十分足らずだった。同僚の大半が始業八時半の一時間前には出社し、コンビニ食を片手にメールをチェックしているのが当たり前の職場なのだ。五十以上はあるデスクの間を縫うように、母親が蛍光灯の輪郭まではっきり映るほど磨き抜いたTOD'Sのパンプスを交互に絨毯(じゅうたん)に沈め、自分の持ち場をまっしぐらに目指した。食品事業営業部の半分が正社員だが、そのうち女性は、栄利子と十年先輩の四葉佐弥子(よつばさやこ)主任の二人だけだ。対して派遣社員・契約社員は全員女性だが、彼女達が出社するのは始業ぎりぎりと決まっている。
     今日の朝ご飯と日経新聞が入っているコンビニ袋が、ベージュのプリーツスカートに擦(こす)れてかさこそと音を立てていた。デスクに向かいパソコンを立ち上げる。起動音が足元を震わせるほど低く響き、目に見えない弧を描きながら、辺り一面へとゆっくり広がっていった。この瞬間だけは、何も考えずとも、何もせずとも許される。もしかして、一日で一番安らぐ時間かもしれない。整理されたデスクトップが表示されるまでの間、ささやかな自由を満喫する。年収一千万をとうに超した今だからこそ、栄利子は自信を持って、この世の中で一番価値があるのは「時間」だと言い切る。時間さえあれば大抵のことはなんとかなる。誰もが慌ただしく日々を過ごしているから、現代は、企画でも商品でも作品でも、時間をたくさん費したものはそれだけで高く評価される。正しい食事の作法や柔らかな季節の挨拶で始まる便箋三枚以上の手紙、素肌のように見える薄化粧、よく手入れされた革製品が素敵とされるのも、そこにかけられた時間への敬意なのだ。
     朝食を置くスペースをつくるため、まずはアルコール除菌ティッシュを取り出し、デスクをきゅっきゅっと音を立てて拭き清める。パソコンのキーボードの谷間、電話の受話口も丁寧に拭(ぬぐ)った。神経質、と揶揄(やゆ)されようと、こうでもしないと広すぎる空間に属している一部を自分の持ち場のように感じられない。山積みになった回付書類を突き崩し、一枚一枚素早く目を通す。人の出入りが激しく電話がひっきりなしに鳴り響いている就業中の、数倍のスピードで作業が進んでいく。時間は工夫しだいで生み出せる。社会人になってまず最初に直属の上司から学んだことだ。数分後、書類の山がようやく消えると、栄利子は手を擦りあわせたい気持ちで、いよいよコンビニの袋をデスクの中央に引き寄せた。
     紙パック入りのカフェオレ。そして「かりんとうメロンパン」なる新商品の袋入り菓子パンを取り出した。今朝、近所のコンビニを二軒回ったがともに売り切れで、地下鉄駅構内の店でようやく見付けた貴重な品だ。身体に良いものが入っているわけはないと分かっていながらも、つい裏を返して原材料名を確認してしまうのは職業病かもしれない。大手製パンメーカー・ミツザキは穀物部門の得意先である。人工甘味料、保存料、着色料。自然派志向の母が嫌がりそうな食べ物を、こうして隠れて口にすることにこんな年齢になっても背徳めいた喜びを感じてしまう。これでたったの九十八円。中高生の頃、クラスメイトの何人かが購買部でこんな菓子パンを買い、お腹を満たしていたっけ。母の手製のお弁当はもちろん有り難かったけれど、栄利子はどぎつい色の大きなパンが無性に羨(うらや)ましかった。気楽なお菓子でたやすく満たされる同い年のその身体には、呑気(のんき)でのびのびした内面が広がっているように感じられたのだ。
     ブックマークしているサイトの列を長く伸ばし、お気に入りのブログのURLにカーソルを合わせ、かちりという音とともに彼女と自分だけの時間に飛び込む。目で追いかけながら、自分の顔ほどもあるメロンパンにかじりつく。ざくりと表面のクッキー生地が壊れ、バターと黒砂糖の風味、メロン味が溢れ出した。確かに、彼女の言う通り。塩気と甘みのバランスは悪くないが、実に安っぽい味がする。それでも、液晶画面に流れる文章と一緒に味わえば、染み渡るように美味しく感じられた。

    『かりんとうとメロンパンを一緒にしちゃうっていう発想がアホですよね。コンビニで見つけて、爆笑しました。でも、油っこくてざくっとした、かすかにみたらし風の醤油味がする生地をかみしめれば、トンネルを抜けたように広がる爽やかなメロンの香り。今、やみつきなんですよ。アホな味。アホな値段。こういう「アホ食」で昼飯を済ませてしまうと、色々楽ですよ。人生なめてる感じにやすらぎます。あ、おすすめはしませんけど』

     人生なめてる。いい言葉だな、と思う。栄利子にとって人生とはずっと真剣に向き合い、取っ組み合うものだったから。かすかな達成感と胸に広がる古い油の重みにぼんやりしていたら、頭の上から声が降ってきた。
    「女子高生みたいなもん、食ってるな、志村。太るぞ」
     どんな場面であれ、相手に落ち度がないかまず確認させるような物言いをするのが、水産チームの同僚・杉下康行(すぎしたやすゆき)の持ち味だった。こちらが思わず我が身を振り返っているうちに、どんどん自分のペースを押し通してしまう。そんな態度が批判さえはねのけるらしく、特に完璧主義ということもないのに、彼が上司から叱責されたり、注意されたりする場面を見たことがない。体育会系の多い営業部で杉下の痩せぎすな体つきや整っているけれどやや長い顔や細い顎(あご)、薄く色の悪い唇は目立っている。大学院で建築学を専攻していたという異色の経歴の持ち主のため、同期だが二歳年上になる。
    「おはよう。あ、このパンね。ブログで紹介されていたの。やっと手に入れたんだ」
     一人の時間が思ったより早く打ち切られたことに失望しつつ、栄利子は咄嗟(とっさ)にパソコン画面を指し示す。杉下がこちらのデスクに手をつき、ぐっと身体を乗り出した。あ、近い――。そう思ったが、身を引こうとまでは思わない。杉下の愛用する整髪料のにおいがつんと鼻をかすめた。
    「へー、奥さんブログ? 独身の志村が読んで、なにが面白いんだ?」
    『おひょうのダメ奥さん日記』はこの二年、毎日のように読み続けているブログだ。そっけないデザインのトップページ。改行の少ない長文。時々添えられる写真は携帯電話によるもので、お世辞にも上手いとは言いがたい。しかしながら、某サイトの人気主婦ブログランキングでは必ず三十位以内に入っている。主婦ブログにつきものの「アンチ」が居ないのが特徴かもしれない。
    「そうなんだけど、なんか主婦主婦してなくて、絶妙に力が抜けてるの。食生活も家事も相当いい加減なのに、不思議と清潔感というか節度があって。同い年ってところも親近感湧くし」
    「おひょう」はスーパーマーケットの店長をしている夫と都内のマンションに二人暮らしをしている。子供は今のところつくる気はないらしい。そう裕福なわけでもなさそうなのにパートをしている様子はない。専業主婦にもかかわらず、食事は作ったり作らなかったり。ファミレスや回転寿司で夫と待ち合わせ、夕食を済ますことも多い。そのことを夫はとがめるでもなく、夫婦仲は極めて良さそうだ。かといって仲睦(なかむつ)まじい様子をことさらにアピールすることはない。夫のことを「旦那さん」とか「○○くん」ではなく「魔王」と呼ぶセンスも好きだ。

    『子供は欲しいけど、作るところまで全然到達しないんです! セックスって始まってからはそうでもないけれど、やるまでが、面倒くさいじゃないですか。おい、魔王、これ読んでるか?』

     なんてきわどい話をさらっとしたりする。
     スーパーマーケットやドラッグストアなどのポイントはいっさい貯めない、クーポンも使わない、そういう主義だ、ときっぱり書いた時など実に痛快だった。

    『あいつらが、われわれの大事な時間を奪っているんですよ(怒)。ちまちま積み重ねたところで結局、五百円くらいの得のために、レジにいくたびに財布からポイントカードを探し出して差し出す手間を考えたら、いっそ全部なしにした方が、ずっと清々(すがすが)しい。あの手間にかかる時間を一生分全部合計したら十時間くらいになったりして。うち別にお金持ちじゃないから、ものすっごい損しているかもしれないけど、もう面倒くさいから、それでいい~。思い切って捨てたら、あれ、財布がめちゃくちゃ軽い! 軽やか~』

     栄利子は昔から、母親がポイントカードやクーポンで財布をパンパンに膨らませているのが、嫌いだった。父は随分早い段階で中丸商事の子会社の社長になっていたし、それなりに裕福な暮らしをしているのにもかかわらず、たかが百円、二百円の得のために、売り手の言いなりになっている母を見るのが悲しかった。母は一見マイペースに見えて、押しに弱く、意志を通せないところがあった。貰ったものを捨てられず、いつまでも取っておくタイプだった。それは自分に似ている部分でもあるので、余計に不愉快だったのかもしれない。おひょうはたぶん、時間がお金よりも上だと感覚で知っているのだ。だから、何にも縛られることなく、自分の時間をのびのびと生きることが出来るのだ。
    「こんな日記のどこが面白いんだ? お前の生活になんにも関係ないじゃん。なんか所帯じみてるよ」
     杉下がなんら感情を動かされた様子がないことに、何故かかすかに傷つき、口調を早くする。
    「等身大なところがいいじゃない。無理している感じがしないところが、好きなの。なんだか、可愛いなって思う。時間がたっぷりゆっくり流れているところも好き」
    「暇な主婦を莫迦(ばか)にして面白がってるの? 嫌だよな、女って。自分より下の女を見付けて安心したがるところがさ」
     男性社員のこうした物言いには慣れっことはいえ、引っかからないでもない。入社したばかりの頃には、社内で女性蔑視の風潮があまりにもまかり通っているのでショックを受けたが、今ではもう諦めている。受け流し、いちいち突っかからないこと。彼らに悪意はなく、驚くほど何も考えていないから、真に受けるだけ損なのだ。目くじらを立てたところで、恥をかくのはこっちだ。父親の後ろ盾があり、正社員の栄利子は誰よりも身綺麗でいることを忘れずに男達に負けないくらい働きさえすれば、対等に扱われる。日常レベルのささいな言葉遣いに苛(いら)立だっていても仕方がない。機嫌の良さそうな態度を崩すまいとした。
    「うーん。そういうことじゃないの。普通、主婦ブログって自分がどれだけ幸せか、家事をちゃんとやってるか、料理が上手いかを、見せびらかすところがあるじゃない。分かってもらいたい、という気持ちがすごく強いのよ。でも、彼女は……」
     机の上の電話が鳴り、二人の会話は中断された。受話器を取ると、カリフォルニアの鮪業者からだった。この時間帯はアメリカからの電話が集中する。
    「May I have your name, please? When shall I have him return your call?」
     担当者が今、席を外していることを告げると栄利子は再び杉下に向き合う。
     うまく説明出来ないのがもどかしい。おひょうのとぼけているようで、シャープなものの考え方が好きなのだ。彼女の言葉は、心地良く胸を流れていく。やさしい言葉遣いながらも知性を感じさせ、絶対に他人を傷つけない。ひたすら怠惰に暮らしているのに、それを恥じるわけでも、無理に意味を持たせるわけでもない。子供が居ないことに、焦りを感じている気配もない。何より、胸に残る言い回しや何気ないのに真似したくなるアイデアに満ちている。
     例えば、蒸し暑い日は水着で家事をし、そのままワンピースを頭からかぶり、区民プールに飛び込みに行くという。図書館で借りるのはもっぱら石田千。全巻揃っている玖保キリコ作『バケツでごはん』を読むためだけに、あきらかに税金対策で経営しているやる気のない近所の喫茶店に通い詰め、わざと手間のかかるメニューを注文する。夫婦でカラオケに出掛け洋楽をひたすら歌う。ピザを頼んでテレビで放送しているハリウッド映画を見る。ガリガリ君リッチコーンポタージュを求めてコンビニをはしごする。
     日がな一日なにをするでもなく、意味付けを求めるでもなく、予定を決めずにただ猫のように気ままに過ごしている様に惹(ひ)きつけられる。最後にそんな風に過ごしたのはいつだろう。もう思い出せないくらい、昔のことだった。彼女のブログを読むだけで、毎晩の会食や市場調査で張り詰めていた神経がほんの少しほぐれていく。


    ※冒頭部分を抜粋。続きは以下書籍にてご覧ください。


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