Title〈Conclusion 2020〉
 From〈Yozoh.Uchigami〉 2014/4/7
 To〈Dr.Frederick.Carson〉

 幾つもの扉が叩かれる。東京代々木の先端医療を施す総合病院の、イスタンブールの壮麗な寺院脇にひっそり建つ朽ちかけたアパートの、あるいはカリフォルニア州サンノゼのメガベンチャー企業の社長室において。それはまぎれもない契機であるのだが、扉を叩く側も無自覚なことが多い。引き金に続く連鎖は、よりよきことへ向かうのが望ましいのだが、彼または彼女は手前の都合で扉を叩くのみだ。もちろん、あくまで比喩的な意味で。実際に拳を使って戸を叩く者もいるにはいるが、今は、まあ、コミュニケーションの手段が発達しているから、電話をかけることも、メールを送信することも、FacebookやTwitterでメッセージをアップすることもある。
 それは、塗装の剥げた鉄扉が叩かれるところから始まった。イスタンブールのヨーロッパ側旧市街、スレイマニエジャーミィの近くの小高い路地に、ある男が一人で住んでいる。元々は三人で住んでいたのだが、アッバス・アルカン氏との同居に耐えかねて一人が去り、残る一人も氏に借金を押し付けて去ってしまった。
 氏はひとり教典の見直しをしているところだった。ぶしつけにドアを叩く音が確かに鼓膜を揺らしたはずだが、氏はその音が自分に関係があるとはいささかも考えなかった。この時の氏が関与すべきは、世界の在りようを正しく記しつつある教典――実際のところそれは氏が自分で書いていたのだが、本人にとっては何か崇高な存在に書かされている、もしくは太古に記され失われたものを発掘しているのだという感覚だった――の言葉の解釈であった。例えば「禁忌」について、「統治」、「打倒すべき敵」、「克服すべき弱さ」について、一文一文慎重に読み進めては書き直し、教義があるべき姿となるまで氏は決して諦めない。しぶとくドアを叩く音に続いて罵詈雑言がまたも鼓膜を震わせたにもかかわらず、氏がみじんも反応しなかったことは、教典に向かう氏の専心ぶりを知る者からすれば驚くに値しないだろう。アッバス・アルカン氏にとっては、さっきから何度も頭の中で復誦している「王」について書かれた一文の方が、現実の災厄の予兆よりもはるかに重要なのだ。しかしそれは氏の都合であって、ドアの外の訪問者にはもちろん関係のないことだろう。扉を叩いている取り立て屋は、透明者の一人だった。そのため彼の思念が、私には伝わってこない。しかし、いかに透明者とはいえ、その声を聞く限り苛立っていることは明白だ。ドアを叩く震動とともに、男の声が部屋に響く。ねえお兄さん、いるんでしょ、無駄に閉じこもっていないでちゃんと出てこないと、確かにあんたが借りたんじゃないかもしれない、でもね、ちゃんとここに契約書があるんだよ、ね、お兄さん、確かに神様は利息を禁止なさったのかもしれないけど、この紙には勝てないんだよなぁ、あんたの田舎まで行くのもこっちは面倒なんだからさぁ。
 アッバス・アルカン氏は「王」について書かれた文章からふと目を上げた。それは取り立て人の発した、「アッラー」という単語のためだった。映画「Back to the Future」においてマイケル・J・フォックス演じる主人公が「鶏」という単語で憤怒のスイッチが入るごとく、氏はその言葉に激しく反応するのだ。氏がイスタンブールオリンピック誘致反対運動に熱狂するあまり一人目の同居人に愛想を尽かされたのも、弟の葬式に参列せずに父親から勘当を申し渡されることになったのも、その言葉がきっかけだった。氏は教義が書き付けられたノートを机に置き、透明な糸に引っ張られるように、言葉の発生源に近づいて行く。傷んだ扉を開くと、取り立て人が意外そうな顔で氏を迎える。
 このようにして、アッバス・アルカン氏の冒険は始まった。この冒険にまつわる他の人物――例えば、シリコンバレーの中央、カリフォルニア州はサンノゼにオフィスを構えるスタンリー・ワーカー氏にも、一通のメールが届く。広報担当者からのメールだ。スタンリー・ワーカー氏の基準によれば、部下であるそのヴァイスプレジデントは中ダメージのミスをあと3回、または大ダメージのミスを1回犯せば解雇される予定だった。だが、もちろんスタンリー・ワーカー氏はそのことを本人にも周囲にも伝えていない。
 ヴァイスプレジデントのメールは、日本のテレビ局からの取材依頼の件だった。IT関連業界の革新的な経営者として知られる氏のもとには、世界中からこのような取材依頼がひっきりなしにやって来る。にべもなく断ることがほとんどなのだが、稀に脈絡なく取材を受けることがある。スタンリー・ワーカー氏から取材の受諾を言い渡されたヴァイスプレジデントは、特に驚きはしなかった。スタンリー・ワーカー氏の傍らに仕え、予想のつかない氏の言動に慣れている彼は、まったく反応を示せなくなっていた。そのような慣れによる良識の欠如は、氏に「小規模のダメージのミス」としてカウントされているのだが、もちろん彼はそんなことは知らない。
 氏の承諾に驚いたのはむしろ、取材を申し入れた赤井里奈さんの方だった。年初の編成変更以降に始まった番組で「あの猫杓亭メバチがあのスタンリー・ワーカーに新製品を提案する」という企画が持ち上がり、ディレクターから指示されたアシスタントディレクターの彼女がスタンリー・ワーカー氏の経営するKnopute社にオファーを出したのだった。深夜の会議でこの企画を提案したのは過労気味のベテラン放送作家なのだが、元を正せばそれは猫杓亭メバチが以前言っていたアイデアだった。スタッフの幾人かも同じ場で猫杓亭メバチが言ったのを聞いており、深夜で頭が朦朧とした面々にはその案がとても魅力的に響いた。
 Knopute社から取材承諾の連絡が来た時、最も困惑したのは猫杓亭メバチ本人だった。「わしの言うたことはなんも信じたらあかんで。なんも考えとらんのやから」が彼の口癖だが、実のところ彼ほど自分の発言を偏執的に覚えている人間も珍しいくらいだ。彼はお笑い芸人の仕事に全てをかけていたし、それが自分に課せられた使命であると思っていた。短距離走者がコンマ1秒以下の数字に人生のすべてを投資するように、彼は限られた尺の中で、最大の笑いを取るための芸を究めてきたのだ。だが、この冬に始まった番組に対しては改良の余地を見出せず、既に情熱を失っていた。どのように番組を終わらせるかと思案していた折、自分が冗談で口にした企画を進めていく旨をプロデューサーから知らされた。自分の名を冠した番組とはいえ、沈みゆく船でもたもたしているわけにはいかない。世界的に有名な企業から取材OKをもらった興奮を隠そうともしないプロデューサーに、大物芸人は密かに腹を立てている。
 大物経営者、スタンリー・ワーカー氏は、広報担当のヴァイスプレジデントの処遇について考えている。人の命運を左右する権力を持つ快感には既に慣れきった氏にとって、それは食欲や睡眠欲等と同列の欲望に過ぎない。いわゆる権力と呼ばれるものには悪魔的な魅力があり云々といった箴言は、成人病に罹患しないように摂生する、あるいは惰眠をむさぼって体調を崩さないように気をつけるという程度の、日々の心がけ以上のものではない。スタンリー・ワーカー氏は自分が人に与え得る影響について考えるのをやめ、ヴァイスプレジデントの好ましいところを思い浮かべながら、コーヒーを飲んだ。そして彼が転送してきたメールに今一度目を通す。FYI(ご参考までに)の頭語に続き、「日本で一番ビッグなコメディアンがあなたに新製品の提案をしたいと言っています」とある。Knopute社が日本メディアの単独取材を受けるのはこれが初めてだった。氏はコーヒーを啜りながら、取材概要を吟味する。そして、もし興が乗ったなら、「最高製品」の情報をそこで初めて明かすのも面白いかもしれない、とふと思い付く。プロトタイプも未完成の「最高製品」が普及するまでにはまだ相当に時間がかかるが、その先触れを世界の一つの極である日本のメディアにのせてみてはどうだろう? これまでのコーポレート戦略とは全く異なった、落ち葉のようなさりげないメッセージとして。
 猫杓亭メバチの焦りとは裏腹に取材の準備は着々と進められていく。プロデューサーから件の新製品を考えるように依頼された彼は、「冗談でないときのメバチさん」と言われる表情と声音で、スタッフ側で考えるように言った。沈みかけの泥舟のために、これ以上労力を割くような猫杓亭メバチではなかった。

 ――と、ここまでで、そろそろ今日のメールは終わりにしたいと思う。のっけから気張ってしまって、いろいろと書きすぎたかもしれない。


※冒頭部分を抜粋。続きは以下書籍にてご覧ください。

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