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santafede33さん のコメント

魔都CDMXの南。先日、轟音と供に、橋が崩落し、列車が空から降ってきた。
助かった人もいたし、助からなかった人もいた。
でも、誰も驚かなかった。
もっと信じられない光景を、誰もが見たことがあるからだった。街は暗い。

当国に戻ってから、頭のフラフラが止まらない。
しばらく祖国に帰ってる間に、亡くなった人もいたし、今月家族がまた新たに旅立った。
でも、本当は、東京で見たあのギグの光景が、頭に巣くっているからじゃないかと疑っている。

こちらに来てから、長い間、戦場にいた。北米の雪降るビルの谷間で、中米の寂れた住宅街の中で、カリブ海の朽ち果てた要塞の前で、南米の近未来的な拷問施設の前で。そこは、ベネズエラであり、ホンジュラスであり、キューバであり、チリであり、合衆国であり、メキシコであった。
やっと解放された気分だった。
でも、すぐに次の戦場を探してしまう。そこで負った傷は、そうそう癒えない。

そして、フラフラの頭で、テレビを見ながらやっと気付いた。
ああ、ここにいる、悪くて、馬鹿で、面白い奴らって、ものすごくいい。
最高に面白い。悲しいほどに悪くて、馬鹿みたいに明るい。こんなにも街は暗いのに。

そういえば、周りを見渡せば、WBOばかり。
散歩をしていると聞こえてくる叫び声、一方通行の道を逆方向にぶっ飛ばす車両、僕の車の窓ガラスも何回もたたき割られた。パワーウインドウのボタンを押しても景色が変わらないので、自分の目が狂ったかと思ったが、ガラスがなくなってただけだった。砕け散ったガラスは、キチンとたたんで座席に置いてあった。誰かが間違えて、たたき割っただけかもしれない。僕が出来ることは、窓枠に新聞紙を貼るだけだ。
その新聞を見る。
そこには物語が溢れている。悪い奴らの、面白くて、馬鹿な話。

ここには二種類の悪い奴らがいる。悪い奴らと、もっと悪い奴ら。

街を歩くと、そこには人と物語が溢れている。
No.12
36ヶ月前
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 こんなにライブが飛んでいるのに何故こんなに小忙しいのであろうか。毎日「あれをしなきゃ、これをしなきゃ」と思っている間に、田村正和がなくなったり、星野源が結婚している。田村正和については「ユングのサウンドトラック」に、星野源については「次の東京オリンピック」に書いてあるが、推測するに、今エゴサをしたら、星野源についてはあの記事が出てくるだろうが、田村正和については出てこないだろう。ネットに連載していなかったからである。今はネットに書いたことだけが発言になる。書籍は何のためにあるのか、自己沈潜の最初のツールである書籍は、きっと近い将来、古文書のようになり、ある特殊な趣味と教養を持った人々の物になるだろう。ルアーフィッシングのように。    「喫煙可能(できれば全席)の喫茶店を探すのが趣味みたいになっている。今は神保町の喫茶店にいるが、アールグレイのアイスが無茶苦茶にうまい。一番美味いかもしれない。あまりの美味さにストローを使わないで飲んでいる。  
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