• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

  • ペンギン音楽大学生徒募集のお知らせ

    2018-04-13 18:00


    菊地成孔です。長らく新入生(正規入学、短期ワークショップ共に)の募集を行わなかった、ワタシの私塾「ペンギン音楽大学」ですが、以下の3つのクラスを4年ぶりに生徒募集いたしますので、応募される方は

    pendai1804@gmail.com

    まで、タイトル「ペン大入学希望」として、メールをお送りください。詳細に書いた要綱をお送りいたします。(稀に、こちらから送信した要綱が、迷惑メールに振り分けられることがありますので、メールをいただいた後は、迷惑メールもチェックしてください。基本的には、入学希望メールを頂戴してから、要綱の送信は数日以内には必ずお送りいたします)

    <ペンギン音楽大学2018年度新規募集>

    すべてのクラス、曜日内でのスケジュール変更、
    入学時、手続料、初回から6回分(←これは入学金ではなく、最初の6回分の前払いです、以後、授業ごとのお支払いと成ります)を支払うことを了承いただける方

    「モダン・ポリリズム」

    (既存のクラスに、下記カリキュラムの間のみ合流=非正規入学)

     金曜20-22時(定員20名)

     講師菊地成孔が、自他の作品を分析、作曲するために編んだ「モダン・ポリリズム」のオリジナル・メソッドを、ワークショップ形式で直接指導します。

    「理論初等科ゼロからクラス」(新入生として正規入学)
      
     クラシック音楽の楽理ではない、ポップス/ジャズ発の音楽理論を講師菊地成孔がまとめたオリジナル・メソッドを、完全初心者向けのクラスとして開講します(楽譜が読めなくても受講できます)

     土曜17-19時(定員30名)

    「BBLS(ビーバップ・ロー・スクール)ワークショップ」
    (既存のクラスに合流=非正規入学)

     濱瀬元彦先生の「チャーリー・パーカーの技法」を下敷きに作成した、ペン大オリジナルのビーバップ用エチュードを基に、理論理解と実践をワークショプ形式で行います。主任講師である菊地の他に、サブ講師がつきます。
     *入学テストあり、何らかの楽器が弾けること

     日曜19-21時(定員なし)

  • <菊地成孔の一週間/2018年3月第4週>

    2018-04-13 10:00
    216pt

    3月23&24日

     

     

     一週間の出来事のうち、たった二日しか写真が撮れていないというのは、いよいよもう「ノンフォト・インスタグラム=一番最初の頃のウエブ日記」に向かうしか無いのか、と思う訳だが、もし脱会者が急激に増えたら、もうしょうがないので、カメラマンを雇い、常にスマホで写真を撮って貰う事にする。スマホの自撮り機能に対するアゲインストである(ウソ)。私は長い間、いわゆる自撮りは鏡に映してやって来た。その頃から、「左右反転は面白いけど(ブログの写真を見てライブに来た人等が違和感を感じるだろうから)、なんかこう、ビデオカメラみたいに、自分でモニターが見れるデジタルカメラが出ないかな?」と思っていたら、出た(まあ、スマホの自撮り機能に押されてくっ付けただけ)。即購入してみたら使いづらいわ特に良い事もないわ、すぐ使わなくなってしまった。スマホの自撮り機能はもう便利過ぎて凄過ぎて、逆にもうアップアップである。竹槍で良いし、最近は竹槍も尽きた。

     

     昔日人々は、まず言葉を発し、そこから誘導的に連想される写真やイラストを添えて来た。それが逆転しているのが現在である。この点だけとれば、一見現代は非常に良い時代になったと思われる。言葉=屁理屈=男性的=無力、よりも写真=感覚的=女性的=有力という、80年代が盛んに夢見ていたユートピアである。当時はこの理念を、テクノロジーの整備ないまま強行し、つまり、いたずらに言語的な意味の繋がりを疎かにし、図像のインパクトで何かを語ろうという、よくわからないモダンアートもどきの現象(作品ではない。具体的な作品も遭ったけど)がメディアに横溢した。一言で言えばエリートの時代である。エリートは理念を試験的に実行する権利を持つ。

     

     現在、その「整備」は、エリートから大衆の手に渡った。彼等はまず「良い写真」を撮ってしまい、そこから誘導的に連想されるテキストを添えている。いま、インスタグラムに小説を連載し、その挿絵としての写真を自分で撮影して添える者がいたらかなり斬新だろう。

     

     しかし、では現在は、80年代が夢見た事が女子中学生にまで定着した、素晴らしい時代の実現した姿なのだろうか?答えはギリギリで否である。言葉優位から、写真優位へ、というのは発達ではなく単なる変化である。つまり、何も変わっていない。写真家は変わらず言葉が不自由であり、小説家は変わらず写真に不自由である。求められるのは常に越境者しか無い。この事は現在、当サイトの動画コンテンツ「ポップアナリーゼ・リローデット」で、「教養主義と無教養主義の融合」として追求されている事や、過去、私と大谷能生と慶応義塾大学で展開した、後に「アフロディズニー」にまとめられる視聴覚の追求とほぼ同じだ。

     

     写真(視覚情報)中心主義には、社会的に盲者を排除するという構造的な欠陥がある。「いや、それは液晶画面上の言葉も一緒でしょう?」という反駁はあるだろうか?無いと思いたい。言葉は音声に容易く変換出来るが、写真を言葉に変換する事はできない。私はさっき、最終スパンクハッピーの歌詞を書いていた、その中に「目の見えないお洒落なアタシはインスタグラムが出来ない」というフレーズを入れたばかりである。当初の案では「目の見えないアタシはお洒落が出来ない」としていたが、どうも釈然とせず、切り替えた瞬間に総てが納まった。

     
  • <菊地成孔の3週間/2018年3月第1、2、3週>

    2018-03-19 14:00
    216pt


     小磯が敷く手、失礼、小忙しくて、メルマガ(そろそろ死メディア)のクリシェだが、更新が遅れて申し訳ない。という訳で、一気に3週まとめてしまうことにした。


     写真を撮ることに抵抗が生じているという症状はまだ続いていて、というか悪化している。食事に行った際に食べたものの写真を撮れなくなってしまった。

     SNSの誕生よりはるか前、ブログに食事の写真を載せるに際して(私はこの世代である)、店の店主と、勝手に写真を撮った客が揉める。などという牧歌的な時代があった。

     現在、「写真お断り」なんていう店は、無いか、あってもものすごく少ないだろう。情報を封鎖する「取材お断り」の店だった数少ない店だけが、恐らく今でも写真は撮らせていないと思うが、面倒なので詳述はしないけれども、私はこの問題に非常に興味がある。

     メディアで何度も繰り返し言っているが、言われる方がフロイド的失視(ヒステリー症状の一部)によって、見えなくなっているのだろう。誰からも反応がないが、ネットカルチャーの最大の属性は無法性だ。インターネットを規制する国内法も国際法もなく、特に問題なのは後者だが、まあそれはともかく、国民全員の掌中に握られた無法性の塊、即ち無法者が社会を変えてゆく。これは凄いことだ。

     筒井康隆(敬称略)的な発想だが、「取材お断り」の有名店に、SNSファシズムどっぷりの客が来て、料理の写真を撮ろうとし、店主と揉める。そのやり取りを周到に書くだけで相当面白い短編になるだろう。

     当然、<客が写真を撮って拡散する行為を「取材」と定義するかどうか?>の議論が行われるし、あらゆるネットカルチャーの本質的な話題が会話の中で出てくるだろう。店側の、「不特定多数の客に知られたくない」というコンセプトに対し、全く理解を示さない客が、「知られたくないなら商売をするな」と言うだろうし、「取材というのはプロの取材という意味だろう。我々はプロではない」「ではアマチュアか?アマチュアの取材者というのは何だ?」「国民全員のことだ」という、筒井独特の、不毛な議論が延々とかわされ、途中から客は、このやり取りをツイッターで生中継し始め(そんなことができるかどうかわからないが)、ラストは発狂した店主が、客を殴って失神させ、頭から天ぷら油を浴びせて焼き網に乗せて焼いてしまう。文字通りの「炎上」、それによって店は大繁盛で、文字通りの「炎上商法」、つまり「取材お断り」の店が「炎上商法」の店に反転。というベタベタの締めがよろしい。

     と、妄想の筒井康隆昭和短編時間が長くなったので、話を戻すが、今やシェフというのは、料理だけでなく、自分や自分の店の給仕やソムリエまでも撮影される前提の商売になってしまった。これは、病的なナルシシズムの強要、というか、強い感染であり、SNSの本質を突いている。

     私は、まず通って上顧客になり、自然と撮影が許されるようになるか、あるいは店主に「あのう、お料理の写真を撮ってもよろしいでしょうか?もちろんチェックを入れていただいて構いません」と聞いて、むしろそこそこ喜ばれていたクチだが、食べログなどの写真を見ると、見るに堪えない下手くそな写真が多く、まあなんというか、ドルオタぐらいにはグルメブロガーの写真の腕を上げてもらいたいと、今は願うしかない。

     料理人が最悪の場合二重に(料理と自分を含む、従業員と内装)被写体になってしまった世界。嫌だと言ってももうしょうがない。面白がるしかない。しかし、本当に気持ち悪い。イヴリン・ウォーぐらいのブラックユーモア感覚が必要である。医者がそうなったらどうだろうか?

     この三週間で、いうまでもなく三週間分、飲食店に行った(今更だが、私は100%外食である)。しかし、恐るべきことに、あれほど食事の写真を撮るのが好きで、そこそこ上手かったという自負すらあった私が、今は気がつくと1枚も撮っていない。