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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>31

 町山さんの件は、僕のライフサイジングで直接触れる物件ですが、彼を含めた「正義と倫理の暴走」については、僕、「時事ネタ嫌い」の時からズーーーーと警鐘を鳴らしていたつもりです。先ほど保育園の子どもたちのオシッコと泣き声の大合唱例えましたが、まあまあそれはカワイイともいえるじゃないすか笑、恐ろしいのは、園児ではなく、学童クラスの精神年齢で正義や倫理が決まることで、小説「蝿の王」みたいなやつね。あっれは怖いです笑。学童は倫理や正義を追求すべきでなく、親から押し付けられる倫理や正義を煙たがるのが自然な状態ですよね。

 今、SNSによって地球規模で発病している「正義中毒」に警鐘を鳴らす学者さんは多いです(対談の企画が上がっていて、実現するかもしれません)。そうなるとずっと思ってました。そういう人は、それで一冊ちゃんと書くから、目を引くのね。僕の場合は、エッセイ集の一編とかにするんで、相手されないですけど、早い遅いで言ったら、僕が一番早いと思いますね笑(早すぎもタイミング悪いんだけど笑)

No.42
39ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 雨である。雨であるだけで素晴らしいのに、雪と混じりつつある。こういうのを淡雪という。重ねて、素晴らしい。淡雪を見ながら日記を書く。明治時代の文豪にでもなった気分である。    大体、10時から11時の間に起床。という、微妙な昼型が定着しつつある。これだと3時に眠くなるので、「真夜中」という時間も楽しめる。先日、 DOMMUNE に長時間出て、終わり、一人で外に出た。    僕は渋谷という街が元々苦手だった。やっとここに来て、「少し苦手ではなくなるかな」と思ったのは、テレビなどで盛んに見る、「渋谷の再開発」の様が、とても気に入ったからである。宮下パークには行ってみたい。寿司仲間の間で噂の寿司屋が出ているという情報も入手した。僕は何十年かぶりで、渋谷にワクワクした。それは恋に似ている。恋に似てる何か。    しかし、 DOMMUNE があるパルコ周辺は、その区域の(今の所)外である。だが僕は、外に出た瞬間、踊り出したくなる程舞い上がった。    誰もいなかったからである。    それは映画のセットのようだった。端的に懐かしい。これは、昭和の渋谷だ。60年代、映画の大手 5 社には全て「日活銀座」「東宝銀座」「大映銀座」といった、屋外型セットがあった、チネチッタにあったヴェネト通りを、フェリーニは「実際のヴェネト通りよりも、私にはセットの方がリアリティがある」と言った。    コンビニがなく、公衆電話がたくさんあり、歩きタバコが吸い放題で、終電を過ぎると、ほとんど誰もいなくなり、やっている店は大通りにはない。そんな光景が、コロナによっていきなり現出した。    それまで7時間以上パルコに閉じこもっていたので、エレヴェーターのドアが開いた時には、声に出して「うわああああああああ」と漏れてしまった。    30分ほどタバコを吸いながら歩き回り(一人も行きあたらなかった)、色々なことを思い出した。僕が通った音楽学校は池尻大橋にあった。僕が教鞭を執っていた音楽学校は渋谷にあった。様々な人と、渋谷を歩いた。常に居心地の悪さを感じながら、胸がときめいていた。    コロナが僕に与えたものは、概ね全て楽しいものだった。しかし、もし、真綿で首を締められるような、誰にでも共感してもらえるであろう閉塞感が、ネガティヴなものとして僕の中に堆積しているとしたら、コロナはこの一瞬を持って、それを全て精算したと言えるだろう。僕には、空気が綺麗に見えた。  
ビュロ菊だより
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